3.ツノ付き童と魔女屋敷④ 混乱で頭がおかしくなりそうだ。
◇ ◇ ◇
母と思われる女のこと、そして弟ないし妹と思われる赤子のことが頭を巡り続け、授業には全く集中できなかった。
詳しいことを大熊先生に聞きたかったが、そうなると、なぜ気にするのとかいう話になるかもしれない。どうしてもそれに答える気になれず、結局なにも聞けないまま昼を過ぎてしまった。
そして午後の自由時間になってようやく、大地は決心がついた。
運動場で遊ぶ健太郎たちを横目に、診療所へと続く廊下を進む。
詳しいことは知らないが、大熊先生は昔医者を本業としていたらしい。その名残なのか、喜楽園の隣に建てられた小さな診療所で、今でも患者数を絞って宅診を続けている。
廊下の窓を通して駐車場に目をやると、黒い軽自動車が止まっていた。
(診察中か?)
引き返すべきか迷ったが、ここでやめたらずっとタイミングを逃し続けるような気もする。大地は行くだけ行ってみることにした。
診療所へと入ると、診察室の中から話し声が聞こえてきた。
「すまない、呼び出したりして。お前の『臓器』でどうにかできないか、確認したかったんだ」
診察ではないようだ。大熊先生の話しぶりからすると、相手は親しい間柄らしい。割って入る余地はなさそうだ。
大地は引き返そうとしたが、続く言葉に足を止めた。落ち着いたトーンの、男の声。
「構わないよ。ただ……恐らくだが、私の『臓器』は役に立たない」
「なんてことだ。本当に置き去りにするなんて……」
置き去り。
大熊先生の言葉に、心臓がどくんと波打った。
(置き去りってまさか……)
それがもし、午前に見た赤ん坊のことを指しているのなら。
(また捨てたのか……母さん!)
ギリッと目がつり上がる。
大地はもっとよく話を聞こうと、忍び足で診察室の前へと近づいた。扉は少し開いていたが、角度的に中の様子はうかがえない。
淡々とした調子で会話は進んでいく。
「私の所で預かろう」
「この子の心臓は本物だぞ」
「でも同じだ。限られた命の中捨てられた」
「……お前はいつまで続ける気なんだ? 時間なんて、もうそんなに残ってないだろう」
「なればこそ、私は私にできることをやる」
「そうか……そうだな」
「それでこの子の名前は?」
「置き手紙によると、ソラというらしい。男の子だ」
(ソラ)
たった2文字がこの世の命運を左右するとでもいうように、大地はその名を強く心に刻みつけた。
ソラ。それが赤ん坊の名前。
(俺の弟の名前……!)
名前を聞いたことで、自分に弟がいるという実感が強くなった。喜びにも似たその気持ちと母への怒りが同時に沸き起こり、混乱で頭がおかしくなりそうだ。
そんな大地の心情をよそに、大熊先生が話を続ける。なぜだか、会話の相手を試すような口調だった。
「お前は最後までソラを育てるのか?」
「最悪の場合は、眠らせてやるのが優しさだ」
穏やかな声でつづられる言葉にぞくっとしたものを感じ、大地は思わず扉を開けていた。
「どういうことだよ!」
中にいたのは大熊先生と、診察用のベッドに横たえられた赤ん坊。
そして、患者用の丸椅子には男が座っていた。大人の男だ。
男は大地の顔を不思議そうに見ている。
彼の反応を見て、大地は帽子をかぶっていなかったことに気づいた。
しかし男は、大地のツノそのものに驚いているわけではないようだ。異質なものを見たというよりは、目の前のものを、過去の記憶からたどっているような顔だ。
「君は……宿舎に来た少年か?」
大地は思い出した。
(この男、魔女屋敷の!)
6年前、大地をつまみ出した男だ。
あの時――屋敷で出会った女の子が気を失った時に現れ、大地を見て一言「自分の居場所に帰りなさい」と言い放った男。風邪でもひいていたのか、男は青ざめた顔でふらついているふうだった。
目の前の男は、その当時の記憶と比べて、顔の細部の印象に違和感があった。それが6年という歳月による変化なのか、自分が人違いしているだけなのかは自信がない。しかし男の話しぶりからすると、イコールあの時の男で間違いないだろう。
記憶がよみがえったと同時、大地は身を翻して逃げるように駆けだした。よくよく考えれば逃げ出すことはなかったのかもしれないが、無断で敷地に侵入したという後ろめたさが、考えよりも先に足を動かしていた。
そして後から懸念が追いついてくる。
(弟が……ソラが、あの男に引き取られる?)
それがなにを意味するのかは分からなかった。自分を捨てるような母の手を離れるのは、ソラにとっては良いことなのかもしれない。
だけど大地は安心できなかった。
――眠らせてやるのが優しさだ。
(どういう、意味なんだ?)
不安は足を踏み出すごとに募っていった。
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