3.ツノ付き童と魔女屋敷③ ひとりの人間なんですよ?
◇ ◇ ◇
喜楽園にいる子どもたちは皆、なにかしらの理由で親をなくしていた。死に別れた者もいれば、大地のように実質的に失った者もいた。親をなくした子どもたちは、喜楽園で新しい家族となった。
そんな背景をもつからか、大地にとって喜楽園は居心地の良い場所だった。
9歳で喜楽園に引き取られてから、はや6年。ツノの存在が疎ましいのには変わりがないが、誰からもおとしめられない世界というのは、大地にとって救いであった。今ではもう、ここの住人みんなが大切な家族だ。
しかし大切な家族であるからといって、不満がないわけではない。
「優菜、早く洗濯物干せよな!」
園の裏にある大きな庭で。
大地はてきぱきと洗濯物を干しながら、隣で突っ立っている優菜に嚙みついた。
「ちゃんと干してるよー、丁寧にやってるだけ」
優菜は動じたふうもない。腰に手を当て、干された洗濯物を満足げに見つめている。
「そのいちいち浸ってる時間、絶対いらないだろ!」
これだから、優菜と一緒の洗濯当番は嫌なのだ。園長の大熊先生には度々、洗濯当番の組を変えてほしいと頼んではいるが、相手にしてもらえない。新しい子が入ってこれば、自然と変わるのだからと。
(そして3年が過ぎました!)
大地は知っている。大熊先生が新規の入所者を受け入れていないことを。
理由は知らないが、これだけ分かっていれば十分だ。
つまり新しい子は来ない。
もう数年もすれば、年少組が当番に組み入れられるだろうから、その時を期待するしかない。
絶望に空を仰ぎ見ると、大地の心境に合わせたような、もやもや曇り空が目に入った。夕方気をつけていないと、洗濯物を取り込む前に一雨来てしまうかもしれない。
(優菜は取り込むのも遅いからなあ)
それも踏まえて早めに取り込もう。
こっそりそんな予定を立てていると、
「優菜、大地。まだ干してんのかぁ? 授業始まっちゃうぜ」
背後から声がかかる。
振り向けば建物の窓から、健太郎がひょっこりと顔を出していた。
健太郎は大地や優菜、透たち15歳組のひとつ上、16歳の最年長だ。自然リーダー的存在となってはいるが、どこか頼りない。もちろん本人には言えないが。
「もう終わる!」
健太郎に向けても仕方ないが、大地はいら立ちをぶつけるように強く返した。
「俺は先行ってるから」
「ああ」
閉まる窓にはもう目もくれず、大地はそそくさと手を動かした。丁寧さを犠牲にしてペースアップし、なんとか洗濯物を干し終える。
几帳面に干された洗濯物と、大地の干したやや乱れた洗濯物を見比べ、優菜が一言。
「大地ってほんと雑だよねえ」
「俺だって時間があれば丁寧にやるさ!」
ほんのり皮肉を込めるが、たぶん伝わらないだろう。
大地は空になった洗濯籠ふたつを重ね合わせ、さっさと歩きだした。
「早く行こう。授業に遅れる」
「はーい」
優菜が間延びした口調で応じ、後に続く。
喜楽園では、大熊先生や、定期的に外からやって来る先生が授業をしてくれる。学校の卒業資格が欲しい場合は、通信制も選択肢に含めた、なんらかの学校に通うことだって可能だ。
しかし過去在籍した者を含めても、喜楽園においてそれを選ぶ者はあまりいないらしい。卒業資格の代わりに卒業程度認定を取得し、職を得ると同時に園を去っていくのが大半とのことだ。
大地もさまざまな事情から、学校に通うことに抵抗を感じていた。だから通わずして学べるここの環境は、とてもありがたかった。
そしてだからこそ、授業には遅れたくない。
急いて角を曲がると、なにやら裏門の辺りが騒がしかった。子どもたちの喧噪よりもおとなしく、だが漂ってくる空気感だけで不穏さが感じられるような騒がしさだ。
(なんだ?)
常時平穏な喜楽園に似つかわしくない、言い争うような雰囲気。
授業のことは気になったものの結局好奇心には負けてしまい、大地は立ち止まって目を向けた。
大熊先生が門を挟んで、女と問答している。よく見えないが、彼女は赤ん坊を抱えているようだ。
「ですから、うちでは今、新規の入所者は受けつけていないんです。そうでなくとも、おいそれとは受け入れられませんよ。物じゃないんです。ひとりの人間なんですよ? 最近ではこの辺りでも不審者が目撃されていますし、置き去りだなんて絶対にやめてください」
珍しく怒りをにじませた、大熊先生の声。
女が赤ん坊を置き去りにしようとした現場を、ちょうど目撃でもしたというところだろうか。
(子どもを、それも赤ん坊を捨てるなんて……!)
かっと頭に血が上る。
「でも私っ、もう無理なんです! お願いします、この子をもらってください!」
(え?)
大熊先生に食い下がる女の声に、大地は一瞬怒りを忘れた。興奮したように声量を上げた彼女の声が、大地になにかを思い出させた。
「しかるべき場所を紹介しますから、まずはそこでご相談ください。あなたはまず誰かに話すべきです。あなた自身のためにも」
大熊先生が辛抱強く言い聞かせるも、女はなかなか引かないようだった。
「ひどいよね」
隣で優菜がつぶやく。
「あ、ああ」
戸惑い交じりに同意したのは、優菜の声が聞いたこともないほど冷たかったから……だけではない。
大地は女の顔を凝視した。遠目で分かりづらいが、声は確かにあの人だった。
記憶の奥底にしまっていた影が突然現れ、心臓を鷲づかみにしてきた。
「行こ。クマ先生が着くまでに、教室行ってなきゃ」
そっぽを向いて歩きだす優菜。
(なんでだ?)
大地は上の空で続きながら、高鳴る心臓音に疑問を重ねた。
(どうしてここに、母さんが……?)
◇ ◇ ◇




