3.ツノ付き童と魔女屋敷① 母を悲しませたくはなかった。
◇ ◇ ◇
(俺、なにやってんだ……)
処置室の入り口で、大地はただ立ち尽くしていた。
室内にある2台のベッドにはそれぞれ、赤子と少女が横たえられている。
一方はある意味では命が尽き、もう一方は命の火が消えつつあった。
その灯火を消すまいと、ひとりの男が必死になっている。額に汗を浮かべて医学書のページを繰る彼を見ながら、大地は心の中で繰り返した。
(なにやってんだよ、俺……)
答えはどこからも返ってこない。だけど目の前の光景が、明確になにかを突きつけてきていた――
◇ ◇ ◇
その町を訪れた時のことは、今でもよく覚えている。母との初めての旅行だったから。
観光名所らしい動物園――野生動物と間近で戯れられるという売り込みだ――に行ったら、大きな生き物ばかりで、ぎらつく目が少し怖かった。もちろん、母の前では平気なふりをしたけれど。
町は大地が生まれ育った土地よりも、数段田舎くさいというか、利便性などの点で遅れている感じがした。道路を走る車もガソリン車ばかりで、水素自動車はおろか、電気自動車すらろくに見かけることはなかった。
母によるとそれは、技術の進歩に惑わされないための『あえての文化レベル』らしいのだが、当時の自分には、ただの古くさい町にしか見えなかった。
それでも母と一緒に旅行できること自体がうれしかったし、古くさいのも悪くはなかった。どのみち仮想空間にダイブできるバーチャルゲームなどは、貧乏な大地には縁がないのだ。
いろいろな場所を見て回った後、母と町の外を散歩した。
林道へと続く細道を進んでいくと、フェンスで囲まれた施設の前に差しかかった。第一印象としては幼稚園が近かったが、それよりも建物の規模は大きく、2階まであるようだった。
母が熱のこもったまなざしで中をのぞいていたのが、その時は不思議に思えたものだ。
自分はというと、フェンスの内側から聞こえる笑い声が嫌なことを思い出させるので、目をそらしてさっさと通り過ぎた。
しばらく進み、林の向こうにのぞくとがった屋根を見つけた時、大地は「あれはなに」と尋ねた。
「なにかしら。まるで魔女の屋敷みたいね」
「魔女って?」
「物語に出てくる、魔法を使う女の人のことよ。箒で空を飛んだり、怪物に変身したりするの」
「怪物……」
大地はその時こう思ったのだ。
怪物といえば牙や爪、そしてツノ。魔女からすれば自分は『普通』だ。いやもしかしたら魔女の魔法があれば、本当に普通になれるかもしれない。
もちろん魔女は架空の存在だけど、なぜだか期待が膨らんだ。
だけどそんなことを口に出せば、きっと母は悲しい顔をする。大地のアレについて話す時、いつもつらそうに顔をゆがめるからだ。母を悲しませたくはなかった。
だから大地は、翌朝こっそり『魔女の屋敷』に行ってみた。
もし本当にすごい怪物がいたら怖いから、殺虫スプレー――虫嫌いな母がいつも持ち歩いているものだ――と、ホテルにあった洗濯物干し用のロープも持っていった。
思いの外長い距離を歩いてたどり着いた屋敷は、ぐるりと塀に囲まれていた。正面の扉には鍵がかかっており、梯子でもなければ侵入できそうになかった。大地の安易なもくろみは、あっけなく砕け散ったかに見えた。
しかし、当てもなく塀に沿って歩いていると、運よく、折れた大木が塀の上に倒れ込んでいるのを見つけた。たぶん前日の嵐で折れたのだろう。
怪物の拘束用に持って来たロープが、違う形で役に立った。木を這って登れば、ロープを使って向こう側へと下りられる。
一体どんな怪物がいるのだろう。
わくわくしながら塀を乗り越えたのを覚えている。
だけど結果は……怪物なんていなかった。
生意気なことを言う女の子も、大地をつまみ出した大人も、全くもって普通だった。結局自分のアレを、余計に惨めに感じただけだ。さらには女の子が馬鹿げた妄想を語るものだから、わずかにでも魔女を信じた自分が遠回しに笑われているようで、ひどく恥ずかしかった。
失意を抱えて宿に戻ると、黙って出かけたことで母にたっぷりと叱られた。ガミガミと怒鳴る母の顔が、ほっとしていると同時に少し残念そうに見えたのは、気のせいだったのか今でも分からない。
それから数カ月後、母はまた同じ町に大地を連れて行ってくれた。ちょうど花火大会が催される日だった。そこそこ大きな花火大会だと聞いていたので、母と見られるのを楽しみにしていた。
屋台ではたぶんなにも買ってもらえないだろうが、別に構わない。幸いというか、大地は子どもにしては珍しく、甘々な食べ物が苦手だった。だから屋台の誘惑に勝つのは難しくなかった。フランクフルトとかは結構我慢が必要だったけれど。
母は前回同様、町の外へと大地を連れ出し、一緒に道を歩いてくれた。幸せな時間だった。
その後、フェンスに囲まれた、例の場所の前まで来ると、
「忘れ物しちゃった。取ってくるから、ここで待っててね」
と言い残し、母は去っていった。
そして戻ってこなかった。
一度目の旅行は、自分を捨てるための下見だったのだと、大地は捨てられてから気づいた。
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