2.崩れる世界・拡がる世界⑤ 神様って結構勝手だよね。
◇ ◇ ◇
白い台紙の上で、鮮やかなオレンジ色の花弁が重なり合っている。重なり方の違いで生まれる色の濃淡がきれいで、それが標ということを差し引いても、マキはこのカードを眺めるのが好きだった。
だが今の照度では、その鮮やかさは記憶の中でしか確認できない。
電気もつけない部屋でひとり、机に向かってカードを眺める。まだ日中なので電気をつけなくとも支障はなかったし、あえて暗い中にいたいという鬱々とした思いもあった。
窓の外は若草色の春に染まっているが、マキにとっては色あせた景色だ。
毎年陽気に浮かれ騒ぐのに、リサのいない春は灰色にくすんでいる。
標――マリーゴールドの押し花は、花弁やがく片の部分で多少凸凹している。
それを透明なシートの上から指でなぞりつつ、マキは思いをはせた。
(あの男の子、今どうしてるんだろう)
リサが旅立った日の夜、夢を見た。幼い頃の夢だ。
それまで断片的に夢に出てきていたイメージが、全部つながって現れた。
そしてマキを不安にさせる夢は、かつて実際に起きた出来事が元になっていると分かった。
(あの時はセンセイの言う通り夢だと思ってたし、後で塀を見ても木なんて倒れてなかった。だからそのまま忘れちゃってたけど……)
思い出した今なら分かる。あれは、あの男の子は、絶対に夢じゃない。
男の子はどこへ消えたのか。
センセイは結局、男の子のことを知っていたのか。
そして……男の子の言っていたことは本当なのか。
マキは、きゅっと口を引き結んだ。
(リサは……みんなは、本当に楽園に行けたのかな)
それが一番怖かった。
楽園が存在しないこと。
当たり前に信じていたことが、崩れていくこと。
(センセイなら答えてくれるかな)
きっと答えてくれるだろう。楽園は実在すると。
だけどもう、センセイの言葉だけでは安心できない。
(どうしよう……私、もうすぐ旅立つのに)
そこまでだ。
心が縮んでそのまま消えてしまうような気がして、怖くてそれ以上考えられない。充電で体の元気は補充できても、心までは満たされない。
知らずして緩んでいた指の間から、標が抜け落ちる。マキは頭を抱えてうなだれた。
(こんなんじゃ私、旅立てない)
沈んでいると、部屋の外からばたばたと足音が聞こえてきた。足音の主はマキの部屋――今はもう、マキだけの部屋だ――のすぐ外まで近づくと、勢いそのままに扉を押し開けた。
「マキ~。センセイが、みんな憩いの部屋に集まるようにって」
相変わらず呼び出し役を買って出ているミーコが、扉の隙間からひょこりと顔をのぞかせる。
「ん、分かった。今行くね」
がたりと椅子を鳴らし、マキは立ち上がった。
標を引き出しにしまい込み、早く早くとせっつくミーコに続いて部屋を出る。
呼び出されたのはマキが最後のようで、部屋に着くとすでに全員がそろっていた。
ひとたび集まれば、騒がしくなるのが家族の常だ。だけど今は静かに長テーブルの前に立ち並び、マキの前に大小それぞれの背中を見せている。
家族がこんなふうに集まる時は決まっている。
新しい待ち人を受け入れた時だ。
(どんな子だろう。男の子かな、女の子かな)
沈んでいても、そういったことには好奇心を抱いてしまう。そんな自分にあきれながら、マキはミーコとともに家族の列へと加わった。
テーブルを挟んで向こう側に、センセイが立っている。その両腕には、おくるみに包まれた赤ん坊が抱かれていた。すやすやと眠っている。
「新しい家族――ソラだ。いつもみたいに、みんなで快く迎えてあげよう」
センセイは歌うように言葉を紡ぐと、腕の中の赤子を見下ろした。
「だが……この子は恐らく、すぐに楽園に呼ばれるだろう。もしかしたら今日、明日にでも、旅立ちの時が来るかもしれない」
「センセー。その子はどうして、そんなに早く呼ばれたの?」
ミーコが不思議そうに顔を傾ける。
「神様の気まぐれかな」
「えー。ミーコはもっと時間かかるのに。神様って結構勝手だよね」
マキはたしなめようとしたが、不思議と声は出なかった。
センセイはというと、こちらも意外な言葉が返ってきた。
「そうだね……本当に、困ったお方だ」
センセイは苦笑しながら、いとおしげにソラを見つめていた。
◇ ◇ ◇




