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2.崩れる世界・拡がる世界③ そんなの常識だ。

◇ ◇ ◇


「え?」


 マキはめいっぱい目を見開いた。

 塀の外から――悪い生き物だらけの外から人間の子どもが現れるなんて、天地がひっくり返るような大きな出来事だ。

 しかし木が出てきた時点で、天地は一度ひっくり返っている。つまり逆さまの逆さまで、これで元通りなのかなと、ついつい間の抜けたことを考えていると、子どもは枝をまたいで全身を現した。


(やっぱり人間、だよね?)


 信じられなくて、まじまじと見る。

 年はマキと同じか、少し上くらいだろうか。服装が白一色のマキたち待ち人とは違い、その子はカラフルないでたちだった。

 赤と白のしましまシャツに、紺色の短パン。黄色いリュックサックのような物を背負っている。大きめの帽子に隠れて見づらいけれど、髪の色は黒くて、気の強そうな顔をしていた。たぶん男の子だ。

 マキは不思議に思った。どこからどう見ても、自分と同じ人間の子どもにしか見えない。

 男の子は大胆にも塀の上に大股で立ち、宿舎をはじめ広場全体を見渡していた。全然目が合わないなあとマキが思っていたら、男の子はようやく、すぐ足元にマキがいることに気づいた。

 よほど驚いたのか、後ろへ下がろうとして足を踏み外しかける男の子。マキはきゃっと身をすくませた。

 しかし男の子はなんとか踏みとどまると、目を細めてマキをじっと見てきた。にらんでいるのかと思うくらいに。


(えと……取りあえず、挨拶した方がいいよね?)

「こ、こんにちは」


 迷いながらも笑顔で挨拶。しかし返事はなく、マキの言葉はむなしく消えた。

 男の子はマキから視線をそらさない。そしてたっぷり十数秒かけてマキを見た後で、怒ったような、がっかりしたような声を上げた。


「なんだよ。普通じゃんか」

「普通?」


 聞き返すマキを無視して、リュックサックを下ろす男の子。ごそごそと引っ張り出したのは、ぐるぐるに巻かれたロープだった。

 男の子はリュックサックを背負い直すと、ロープを太めの枝に結びつけた。そしてもう片方の端を塀の内側――つまりはマキの近くへと落とした。そのままロープを伝って、こちら側方へ降り始める。


「あ」


 マキは迷った。

 外の世界にいるのは、悪い生き物だ。だから決して外のものに()れてはいけないと、センセイはいつも言っている。


()めなきゃ。悪い生き物がこっちに入ってくる!)


 そう思うけど、相手はどう見ても人間の男の子だ。外から来たというだけで、本当に追い返していいのだろうか。


(それに追い返すのだって、()れなきゃ無理だし……あ、その場合は特別に()れてもいいのかな? どうなんだっけ?)


 マキが悩んでいるうちに、男の子はもう近くまで降りてきていた。マキをふたり縦に並べたくらいの高さまで。


(わわ、どうしよどうしよっ!)


 限界だった。自分の頭ではどうにもできない。

 やっぱりセンセイを呼んでこようとマキが思った時、バキッという音がした。

 上を向くと、太めの枝が折れているのが見えた。ロープが結んであった枝だ。

 ということはつまり、


「うわあ!」


 男の子は叫び声を上げながら、どすんと地面に落ちた。その拍子に帽子が飛んで、マキの足元へと落ちてくる。


「ううっ」


 痛みに耐えるようにうめく男の子。それを見てマキのすべきことは決まった。

 男の子を追い返すべきかどうかはまだ答えが出ないけれど、痛がっているなら、優しくしてあげるべきだ。


「大丈夫?」


 マキは帽子を拾って、男の子へと近づいた。

 男の子は痛そうにお尻をさすっていたが、マキが近寄るとキッとにらんできた。まだ会話らしい会話も交わしていないのに、やけに攻撃的だ。

 本当ならそれだけで()()づいてしまう。しかしマキが足を()めたのには、もっと別の理由があった。


(? 頭が……)


 気になったのは、男の子の頭の両側から、なにかとがったものが突き出ていることだった。まるでツノみたいに。

 マキが不思議そうに男の子の頭を見ていると、男の子は、はっとしたように自分の頭を押さえた。そのままうつむく。

 マキは好奇心を抑えられなくて、口を(ひら)いた。


「あなた、ツノが生えてるの?」

「…………」


 男の子は下を向いたまま、答えない。

 男の子の頭や外の世界のことについてはよく分からなかったけど、男の子が頭のツノ(ということにした)をよく思っていないことは、マキにもなんとなく分かった。

 下を向く姿がとてもつらそうで、マキはとっさに男の子を励ました。


「大丈夫だよ。ちゃんといい子にしていれば、きっとあなたも楽園に行けるよっ」

「……楽園?」


 男の子が、怪しげな言葉を聞いたかのように、顔を上げる。

 マキは知らぬ間に握っていた拳を解いて、両手をバッと広げた。


「私たちはね、昔は楽園にいたんだよ。ここは待ち人の家なの。みんな時が来たら、順番に楽園へと帰ってくんだ」

「死ぬってことか?」

「違うよ、私たちは死なないの。楽園は悲しいことが起きない場所で、みんな一緒にいられるんだ。センセイが案内人で、私たちを楽園に連れて行ってくれる。幸せの花を咲かせて、ずっとずっと、苦しみのない楽園で暮らすんだよ」


 センセイに教えてもらったことを、少しでも多く正しく伝えようと、必死に口を動かす。頰も熱くなってきた。

 一通りしゃべった後で、マキは一気に駆け昇った感情を抑えようと深呼吸した。


「あなたは今は資格がないかもしれないけれど、いい子にしてれば、きっといつか呼んでもらえるよ」


 それは親切だった。だから、


「なんだよそれ」


 男の子が冷たく返してきたのは、本当に意外なことだった。

 男の子は戸惑うマキを見て、いらいらと続けた。


「ずっと幸せになんて、そんなノーテンキな場所あるわけないだろ。だいたい、僕たちは絶対にいつか死ぬんだ。そんなの常識だ」

「死なないよ、私たちは楽園で――」

「だから楽園なんてないんだよ! (うそ)っぱちだ!」


 男の子が怒鳴る。


「いいよな、頭が平和で幸せなやつは! 自分がつらくないからって、他のやつもそうだと勘違いしてさ! バッカじゃないのか!?」


 激しく否定され、マキの心はひどく揺れた。攻撃的な感情を、こんなに強くぶつけられたのは初めてだった。

 身体(からだ)の中のどこかが、ずきりと痛む。場所を特定する前にそれは、あっという間に(から)()(じゅう)へと広がった。心がぐちゃぐちゃに潰されそうだった。

 なんとか自分の心を守りたくて、マキは言い返した。


「そ……そんなひどいこと言ってるから、ツノが生えちゃうんだよ!」

「僕が……僕が悪いっていうのか!?」


 とっさに投げた言葉は、男の子の心のどこかを突き刺したようだった。

 男の子は顔をくしゃくしゃにして、地団駄を踏む。


「お前なんかに、僕の気持ちが分かるもんか! なにが『いい子』だよ! こんな狭っ苦しい場所でこそこそ生きてるくせにっ……『いい子』でいるのがどれだけ大変なのか、これっぽっちも分かっちゃいないくせに!」

「やめてよ!」


 マキは叫んだ。顔が熱い。

 まるで泥沼だった。マキも男の子も、自分の心を守るために、相手の心を攻撃していた。それがどこまで続くのか分からなくて怖くなった。


「やめてよ!」


 耳を押さえて繰り返す。

 叫んでいると頭がぼおっとして、ふらりと体が傾いた。


「え? おい!?」


 男の子の焦った声が聞こえる。

 少なくとも、心配するくらいには嫌われていないと分かり、マキは少し安心した。

 安心して、そのまま眠りに落ちた。


◇ ◇ ◇

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