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青髪王子と灰仮面の輪舞。(中編)


「少し、風に当たって参ります」


 と、言い置いてテラスに出たアズールは、大きく息を吐いた。


 人と話すのは苦手ではないが、若い女性に囲まれ、興味のない話を振られて盛り上がったフリをしなければならないのは流石に疲れる。


 顔に出すことはないが、今は少し面倒でもあった。


 灰仮面のことがあるからだ。


 『パドーレが謀殺されたことを、確信しているのか』と、スオーチェラ夫人は言ったが。


 ーーーむしろかの女傑は、本当に事故であの方が死んだ、と思っているのだろうか。


 生きている以上、不慮の死は常に付き纏うだろう。

 しかし記録を調べれば、パドーレとゼゾッラが死んだ後の捜索と事後処理の手際は、良すぎるように思える。


 最初に『ゼゾッラ達が行方不明』との報がもたらされた早さ。

 隣国の者が来訪がないことを確認し、折り返し伝令を寄越していたのだとしても、あまりにも早過ぎる。

 

 また、失踪場所の特定に関しても同様だ。


 山を越えるにはいくつかのルートがある。

 それら全てを捜索して崖から落ちた痕跡を見つけ、降りて遺体を確認するまで、わずか三日。


 山に入る前にも当然道があり、そちらから捜索を始めたとするのなら、発見までには本来、さらに時間が掛かっているはずだ。


 しかも剣聖パドーレの遺体は、壊れた馬車や御者の遺体から少し離れた場所にあった。

 一緒に入っていた地図に打たれた印は、崖から落ちた時に投げ出されたにしては不自然な、まるで誰かから隠れるような位置につけられていたのだ。


 仮に精霊の手を借りたとしても、見つけることすら困難だったといえる。


 しかもその際に、ゼゾッラの遺体は見つからず、周りの足跡を追うにも『積もり始めた雪で消えていた』という記録があった。


 なのに『彼女が亡くなった』という結論に至り、デュークが家督を継ぐまで一ヶ月と経っていない。

 その段階で、捜索も当然打ち切られていた。


 ーーー不自然な点が、多すぎる。

 

 そうしたアズールの心のモヤモヤが、今回の『灰仮面』の件で噴出したのだ。

 彼女らが事故にあった時はまだ成人前で、政治に参画していなかったので、どうすることも出来なかったが……今ならば。


 もしゼゾッラが生きているのなら、あの時に起こったことを問い、彼女の助けになれるかもしれない。


 少し酒を口にして火照った頬に、心地よく冷たい風が当たる。

 白く染まる息を何気なく目で追ったアズールは、手すりの前に立つ、何者かの姿に気づき。



 そのまま、目を奪われた。



 明るく月光を照り返すのは、精緻なレースで彩られた肢体を包む、純白の舞闘装束。


 波打つ金の髪は頭頂で結ばれて風になびき、両手に握るのは、透明な刀身を持つ、二振りの剣。

 目元を覆う灰色の仮面から覗く翠の瞳は、勝ち気な色を放ち。

 城の後ろに広がる街を背景に、月を背負った幻想的な姿。


 その姿を見て。


 懐かしい面影を感じたアズールは胸に確信を抱いた。


 ーーーやはり、君だったのか。


 どこか幽玄の存在にも思えるような浮世離れした様子でありながら、

 同時に『共に舞いたい』とそう思わせるに足る覇気を、アズールは灰仮面から感じ取る。


 剣を合わせれば、全てが分かるだろう。


 思った瞬間にアズールは剣を引き抜き、ピタリと半身になって片手でそれを構える。

 そして、静かに問いかけた。


「私と踊っていただけますか? ーーーゼゾッラ」


 双剣の妖精は、呼び掛けには黙したまま……代わりに、音もなく石畳の上に、ツ、とつま先を滑らせる。


 流れるように、あまりにも自然に動き始めた彼女が、トン、と微かな音を立てて宙に舞いながら、双剣を十字に振り下ろした。


 アズールは、柔らかく抱き留めるように、振り下ろされた十字の重なる場所に己の剣を合わせる。


 キン、と張り詰めた空気を震わせる音が響くと同時に、猫のように軽やかに、灰仮面は着地した。

 軽く剣を引いて、アズールが突き込むと、鮮やかなきらめきを放ちながら〝硝子の双剣〟が剣閃の弧を描いて弾く。


 重なる剣が弾き合う以外に、音は立たない。

 舞闘士の足運びは、音を伴わぬことを是とするからだ。

 

 灰仮面の剣さばきは、流麗にして優美、自由奔放で、様々に予想を外れたところから刃が現れては即座に引かれる。


 ーーー素晴らしいな、ゼゾッラ。君は何も変わっていない。


 より鋭く、より速く、より華やかに舞うようになったが、それでも芯の部分は記憶にあるままの彼女だ。


 このままいつまでも舞っていたい、と。

 高揚する気持ちのままに、アズールは剣を振るい続けた。


※※※


 ーーー相変わらず、とてつもなく強いわね。


 王子の剣さばきは、華麗にして強烈、質実剛健な様はまるで、父パドーレの生き写しのようだった。


 付け入る隙がない。

 アズールは剣を抜いてはいるが【精霊憑依】を使っている様子はなかった。


 それでも、スーリエの力を借りたチェルと互角、ということは、彼の実力は遥かに上。

 今はきっと、こちらに合わせて舞ってくれている。


 それが嬉しくもあり、悔しくもあり……そして、寂しくもあった。


 ーーーそれでも随分、差がついてしまった。


 昔は、速さでチェルが勝り、力でアズールが勝り、技は互角だったのだ。


 自分の境遇を、言い訳には出来ない。

 ずっと稽古は積んでいたし、アズールよりもその時間が短かったということはない筈だから。


 ーーーあんなことがなければ。


 自分はきっと、彼と二人、こうやってお互いを高め続けることが出来ただろうに。


 チェル……ゼゾッラ・トレメンスは、表向き死んだことになっている。

 

 父と一緒に崖から落ちたことは、事実だ。

 しかしゼゾッラは彼に庇われて生き延びていたのである。


 悲痛な精霊の叫びと、父のいつも通り静かに嗜める声を聞いたゼゾッラは、意識を取り戻すと同時に痛みと痺れを感じた。


『パドーレ!』

『騒ぐな、スーリエ……』


 あまりにも寒い夜で、雪ではなく雨が降っている日だった。


 隣国の、冬の聖夜を祝う舞闘会(マスカブレード)に呼ばれた父は、ゼゾッラだけを連れて行ったのだ。

 義母らは、自国で新年の祝いの準備をするために残っていた。


『お父様……一体、何が』

『崖から落ちたのだ。……スーリエ、足を挫いてしまった。お前が、スオーチェラを呼んでこい。場所は分かるだろう?』

『わ、分かった! 急いで行ってくるから!』


 スーリエが飛び立ち、残されたのは自分と、抱きしめてくれる父だけ。

 なぜか馬車の姿も、御者の姿も見えなくて。


 しかしそんな状況に疑問を覚えることすら、その時は出来なかった。

 ただ父の外套と、彼が行使した火の精霊魔法で冷たい雨がゼゾッラを打たなかったことだけを、覚えている。


『必ず助かる。じっとしていろ』

『は、はい……!』


 だが父はーーー落下の時にゼゾッラを庇い、鋭い枝に裂かれて背中に深い傷を負っていた。


 そんなことをおくびにも出さず、ゼゾッラを温め、励まし続け、自分はずっと雨に打たれて。

 真っ青になった義母が【精霊憑依】の力を使って山を駆け抜け、スーリエと共に現れた時には、もう、手の施しようがないほど血が流れていた。


『なんで言わなかったんだ、パドーレ! そしたらボクが憑依したのに! そしたら助かったのに!!』

『俺が助かっても、動けるようになるまで待っていてはゼゾッラが保たなかっただろう。そう喚くな』


 スーリエの叫びを退けた父は……意志の力のみで死を弾き続け、スオーチェラに自分を託した彼は、言った。


『馬車の車輪軸に、傷が入っていた。何者かが、我らの命を狙ったのだ』

『パドーレ様……!』

『ゼゾッラに、スーリエを託す。我が血族で、俺以外に、最も所持者に相応しい才覚を、持っているからな。……スオーチェラ。狙った者を、探るな。何も知らぬふりをして、ゼゾッラが、お前の目に適うまで……隠し通すのだ……』


 見上げた義母は、悟っていた。

 もう焦点の合っていない父が助からないことを、はっきりと理解していた。


 だが、ゼゾッラは理解出来なかった。


『行け』

『……御意。ご冥福を、パドーレ』

『嫌よ! なぜお父様を見捨てるの! 義母様!』


 ゼゾッラには何も出来なかった。


『お父様ーーーー!』

 

 凍えて体を動かすことも出来なかった自分を腕に抱いた義母が、駆け抜けるままに、父が遠ざかるのを食い入るように見つめることしか、出来なかった。


 そして、ゼゾッラは存在を隠され。

 今『チェネレントラ』として、義母らの身の回りの世話をする侍従扱いで、屋敷で過ごすことになったのだ。


 義母がどう思っているのか、ゼゾッラには……チェルには、分からない。


 自分を隠している理由は、父の言いつけだからなのか。

 自分の想いを語らず、表情を変えない『氷の舞姫』たる彼女は、何を考えているのか、自分をどう思っているのか、全く分からない。


 だから、チェルは決めたのだ。


 ーーーお父様を、誰かが殺したのなら、私が見つける。


 それによって得をした者が、犯人だ。

 だから義母の元で黙々と剣の腕を磨き、舞闘会へと赴き、情報を集めた。


 浮き上がってきたのは、二人の人物。


 家督を継いだチェルの叔父であるデュークと、屋敷と財産の一部を手に入れた、義母自身だ。

 義母がチェルを隠しているのは何の為かには、後二つの理由が考えられた。


 一つは、デュークが犯人である場合。


 彼を真の家督者にしないため。

 〝硝子の双剣〟を持つ者が、トレメンス家を継ぐ……そう定められているのだ。


 だからデュークは、正式には当主代行なのである。


 もう一つは、義母が犯人である場合。


 トレメンスと自分の血を継ぐ誰かに、剣を継がせようとしているのではないだろうか。

 例えば姉のどちらかを、トレメンスの血を継ぐ誰かに嫁がせ、その子に剣を継がせようとしているとしたら。


 ーーー王家には、三代前にトレメンスの血が混じっている。


 当時の当主の妹が、王家に入っているから、義母は姉のどちらかをアズールに嫁がせようと考えているのかもしれない。


 だから、王家の舞闘会にだけは参加するのではないか。


 そうならば、チェルには時間が残されていなかった。

 もし二人のどちらかがアズールの目に適えば、もう後数年後には、義母が本性を現し、チェルを殺すかもしれない。


 自分は今、ゼゾッラという名のトレメンスの継承者ではなく。

 あくまでも彼女の侍従チェレネントラだ。


 死んだとしても、気にする者はいない。


 スーリエも、今はマスターであるチェルに従順だが、あくまでも初代から連綿と仕えてきた剣の精霊である。

 チェルが殺されれば、次の継承者に剣として仕えるだろう。

 

 ーーー今日しか、今しか、ここしか、ないのよ。


 青髪の王子は、心の底からチェルとの舞いを楽しんでいるようだった。


 どんどん鋭く、速くなっていく剣に、チェルが対処しきれなくなって来たあたりで。



 ーーー夜中の十二時を告げる時計台の鐘が、ゴォン、と重い音を響かせた。

 

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