指摘
情報というのは強いアドバンテージになる。だから、必要最低限を小出しにして、常に優位に立てるように立ち回る。それができる人間というものである。
で、ある。
しかし。
「い、以上です」
私が終わりを告げると沈黙が降りた。
そう、たった今、私はそのアドバンテージを余すところなくペラペラと恐るべき口の軽さでさらけ出し終えた。――それこもこれも、ルシアンの形相(笑顔)が恐ろしかったからだ。
あれを見た瞬間に、私は自身の迂闊さを理解した。混乱から天啓を受けたような解放感は気のせいだった。恐怖からわけがわからなくなっていただけで、解決策などではなかった。もっと慎重に考えて発言するべきだったのだ。
だが、今更だ。
リカバリーのために最善をつくさねばならない。
ここで下手に情報を出し惜しみして、凍えるような笑みを浮かべるルシアンをどうにもできなかったら確実にまずい状況に追い込まれるので、ならば持てるすべてを投入して、私の怪しくなさを納得してもらわなければならない。その結果、苦渋の選択として、アドバンテージを手放すことにした……わけではもちろんなく、考えるより先に言葉がつるりつるりと滑り落ちていた。もう、ぺらぺらぺらぺら、よくここまで口が回るなぁと自分でも感心するほど、条件反射とでもいうように、脳を通さずに情報が駄々洩れしていく感じだった。はっきりいって上手な説明ではなかった。侯爵家のベンジャミンとの初顔合わせで記憶を取り戻したときから今日までを思いつく順番で言葉にしただけというのが正しい。
意外だったのは、ルシアンが途中で一度も口を挟まなかったことだ。相槌を打つこともない代わりに、余計なことも言わない。しゃべらせるだけしゃべらせてやろうという感じだった。だから、無言の人に一方的に話すというのはきついものがあるけれど、それでも私は一人で話し続けた。
一時間ほどして、ようやく話の終りが見えてきた頃、私も少しだけ冷静になり、しゃべりすぎたことを実感した。ここでも慎重さが足りなかった。他の方法があったのではないかと頭が回り始めたが後の祭りだった。
そんなわけで、私は到底賢くはないやり方での弁明は終えたところだ。
「また随分と壮大な話だったな」
しばらくして、返答があった。
ルシアンは相変わらずとてもにこにこと楽しそうに、椅子にふんぞり返っている。声音の低さは解除されたけれど、ご機嫌はきっとまだまだ斜めなのだろう。
「……信じてくださいますか?」
「信じるか信じないかと問われたら、信じられるわけがないだろう」
「あ、はい」
それはそうであろうけれど、にべもなかった。
ひやひやと沙汰を待つしかない私は、生唾を飲み込んだ。
ルシアンは優雅に足を組みかえて、一つため息を吐いた。
「だが、この状況で嘘をいうほど君は愚かではない……と思いたい」
断定してはくれないので、私の知能が低い疑惑は払拭できてはいないようだ。これも仕方ない。いきなりあなたの恋のキューピットですとか言ってしまうような者は知能が低いし、その後、前世の記憶があるのです、ここはゲームの世界です、と言い出して、その話を前後不覚になりながらもつらつらと説明するような者はどう考えても頭が悪い。今になって急激に恥ずかしくなってきた。私は愚か者だ。でも、愚か者だからこそ、嘘などついていないという証明になるのでは? 騙す脳がない……つまり愚かな方がいいのでは? などと逃避してしまう。
「それに気になる点もある」
続けて、ルシアンが言った。
気になる点……それはそうだと思う。何せルシアンは現状では公爵家ひいては国家のために尽くすことだけを考え、愛? 何それおいしいの? 状態のはず。いきなり恋愛シミュレーションゲームの攻略対象(しかも隠しキャラ)ですと言われ、しかもヒロインにぞっこんになるなんて、気になるだろう。
「でも、本当にヒロインちゃんを愛するんですよ」
だから、ヤンデレ闇堕ちせず、私のことも殺さず、彼女のために手を汚さないで、という建前の命乞いだったが。
「違う」
「え?」
「愛や恋などどうでもよろしい。私が引っ掛かっているのは魔の物についてだ」
「魔の物?」
「……いや、その前に、君はそこから立ちなさい」
ルシアンに言われて、私は自身の状況に意識が向いた。
緊張が途切れ漫然と身体の全体に気が流れていく。
脛が痛い。
何故なら、私は床に正座しているから。
――違うんです! 違うんです!
ルシアンの機嫌が急下降してから、私は大慌てでそう弁明を告げながらベッドから飛び降り、彼の側の床に正座した。
正座とは誠意を見せるためのもの。前世の記憶参照だ。
無論、この世界で床に直に座るなんてありえないが、だからこそ、私の切羽詰まった気持ちが伝わり、彼は私の話をとりあえず聞いてくれたのかもしれない。真剣さというのは伝わるのだ。
しかし、長い間そうしていたせいで足が痺れていた。
私は、そろそろと動く。完全に痺れている。
「何をしている?」
正座などしたことがないだろうルシアンには、立ち上がれないというのが奇妙に見える。訝しんでいるのは明らかで遊んでいると思われ、また機嫌が降下されても困るので私は素直に現状を告げた。
「足が、痺れてしまって動けません。……あ、痺れというのは、必要以上に体重が足だけに集中して、それで、その重みに耐えられなくて、麻痺したようにじーんじーんてなることなのですけれど、そのじーんじーんが治りかけたらこう、はわわってなって動けなくな……わぁ!」
痺れというものが伝わらなくては困ると説明――というか痺れというもののメカニズムなど知らないから抽象的なことしか言えないけれど――をしている途中で、ルシアンが立ち上がったので驚いて変な声が出た。
「痺れぐらいは知っている。私には人が床でのたうち回っているのを平然と見ている趣味はない」
別にのたうち回ってはいないし、一時間ばかり床に直座りの正座で話している私を黙認していたどの口が言うのか? と思ったが口に出さなかったのはえらいと思う。
それからルシアンは私を抱き上げてベッドに置いた。反動で足に衝撃が走り、あぎゃぁ、と悲鳴を上げた。だが、それについては一瞥しただけで何も言わずに彼は定位置の椅子にまたふんぞり返るようにして足を組んで座った。どうやら床でのたうち回っているのは気になるが、べッドで悶絶しているのは気にならないらしい。基準がわからない。
私はさすさすと痺れた足を片方の手で撫でながら、もう片方の人差し指を舐めて額につけた。前世での痺れが治るおまじないだ。効果があるかは知らない。
「それでさっきの話だが……君の話では、その……殿下ルートでは婚約者のイザベラ令嬢が魔の物の手下になってしまうのだろう? それをヒロインが光属性の魔力を開花させて撃退し国に平和が訪れるといっていたが、他のルートでは魔の物との決着はどうなるのか」
ルシアンは何事もなかったように先程の続きをはじめた。
マイペースすぎないか。
苦手なタイプだ。ここまでルシアンとは何一つ噛み合っていない。これは由々しき事態なのではないだろうか……こういう場合は、下手に取り繕ったり言葉を重ねても失敗するだけだ。相手の問いかけに端的に答えるというのが一番傷が浅い。
しかし、ルシアンの発言はまったく考えたこともない視点だった。
殿下ルートは国を乗っ取ろうとする魔の物との戦いという要素が絡む壮大な物語だが、大商家の子息ピートルートは両親が運営するお店を巡るエトセトラで魔の物は登場しない。ルートによって話の展開、規模が異なるのがこのゲームの特徴だ。私は二人の恋が世界の命運を左右するようなスケールの大きな話より日常のあれこれという想像しやすいものが好みだったのでピートルートの方が馴染みやすかったが、現実を忘れたい者には殿下や、隣国の王子ルートが人気だった。こんな風に、制作者は千差万別の好みを少しでも網羅できるようにそのようにしたのだろう。
「出てこないので、わかりません」
私はありのままを答えた。事実だった。
「……そうか。ならば、君の考えを聞こう?」
「か、考え? とは?」
「無論、他のルートでの魔の物についてに決まっている。……君の話では、前世の記憶を取り戻して半年以上は経過しているようだが、もしかして、そのことについて危機感を持つことはなかったのか?」
ジロリ、と一睨みにあう。
まるで私がするべきことを怠っていたと責めるような眼差しだった。
だけど、待ってほしい。これは怒られる案件なのか? 乙女ゲームの悪役令嬢に転生して死亡するかもしれないとわかり死亡回避をするためにあれこれ考えてきた私は真っ当にするべきことをしていますよね? まずそれを考えますよね?
……そ、そりゃあ、ルシアンが言う通り殿下ルートに出てくる魔の物は同じ世界なのだから他のルートでも出てこないだけで存在はしているはず。そして、奴らは世界の転覆を狙っているのだから世界の危機だ。世界の危機は私の危機でもある。ありますけれど、そんな大層なところまで話を膨らませて考えなければならないなんて思っていなかった。だって私がプレイヤーとしてプレイしていたのは恋愛シミュレーションゲームで冒険ゲームではなかったのだ。魔の物のことだって、割とあっさり終わってしまう。だから、そのことを深く考えることもしなかった。――でもここがゲームの世界ではなく現実ならば、その可能性を考えるべきだった?
私は急に恐ろしくなった。自分が何かとんでもないところに片足を突っ込んだような悪寒がする。
わからない、何かもう、ぐるぐるとでたらめに喜怒哀楽がやってきている。
「まさか、魔の物が出てこないルートなら魔の物の存在そのものがなくなるなんて短絡的な結論を出したのではあるまいな?」
答えに窮しているとルシアンが言った。
「流石にそれはないです。……正直、指摘されるまで魔の物について考えたことがありませんでした。今、その点を聞かれて、初めて考えましたがルートが違ったら存在がなくなるなんて、それはいくらなんでも楽観すぎるでしょう。同じ世界観のゲームなのですからその考えはしていません」
私はどこまで低能と思われているのか。低能というか、お気楽というべきか。――冗談ではない。私はこの半年近く、死亡フラグを折るために地道にコツコツ頑張ってきたのだ。死ぬかもしれないと思えば恐ろしくて眠れなくなったことだってある。すべては、この、目の前の男が、愛のために私を犠牲にするせいで!
なんだか、理不尽を言われすぎてムカムカする。
しかし、それ以上に不可解そうに、
「自信満々に言っているところ申し訳ないが、まったく考えることもなかったより、思考として一度上げたが心配なしと判断したという方がまだ救いがある気がするが?」
とルシアンが言った。
「ええ? 可能性に気づかなかったなんて誰にでもあることでしょう? 可能性に気づいていながら対策を取らないでいいと判断していた方が余程問題だと思いますけれど?」
合わない。
どうもルシアンとは絶望的に合わないようだ。
それは彼も同じだったのか、
「……君とそんな意味のない議論をする気はない。それよりも君の話は奇怪すぎて私も混乱している。しかし、世迷言と切り捨てるだけの根拠もない。万一に正しいとしたら放置できない内容でもある。この件については後日改めてもう一度聞きたい。それまでにもう少しわかりやすく説明できるように。君の話は長いわりに要点が掴みずらい」
ルシアンはやれやれと右手の人差し指でトントンとこめかみを叩いた。
要点が掴みづらいと言われては私は愚の音もでなかった。自分でも話の時間が前後したりして途中で何を言っているかわからなくなったところもある。パニックだったのだから、ある程度は仕方ないと思う。私は頑張ったのだ。
自分を慰めていると、ルシアンは立ち上がり椅子を元の位置に戻し始めた。後日話すと決めたので用は無くなったということだろう。
それにしても、椅子をきちんと戻す几帳面さと、それからあまりにもあっさり帰ろうとする姿にも面食らう。
私は脅されて、命の危険に恐怖におびえていたはずなのだけれど……。
呆気にとられる私を置き去りにルシアンはさっとカーテンを開けるとバルコニーに出て行く。風に揺れるカーテンの隙間を遠慮がちに入り込んでくるだけだった月の光が部屋の奥まで届き魔石の光と混ざる。二つの光は境がなくなり溶け合った。
ルシアンはそのまま出て行ってしまうのかと思ったが最後に振り返り、
「私が出て行ったら、きちんと窓の鍵は閉めなさい」
「あ、はい」
真顔で言われ思わず返事をしてしまったが、きちんと鍵を掛けていたのに勝手に入って来た人がいるのだから、あまり意味がないのでは? と疑問が浮かんだときにはルシアンの姿はもうなかった。
読んでくださりありがとうございました。
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