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兄の友人

 ベンジャミンの誕生日以来、私は混迷していた。

 思いがけず、他のライバル令嬢と間近で接したせいだ。

 そう遠くない未来に私を含む誰か一人は不幸になるということを私だけが知っているという現状が精神的にきつかった。

 

 不幸になると知っていながら、それを教えないのは罪ではないのか?


 そんな問いが頭をぐるぐるしている。

 人道的観点からいえば罪だと思う。

 自分一人だけが、不幸な未来から抜け出そうとしているのだ。後ろめたさを感じない方がどうかしている。かといって、彼女たちに話して、信じてもらえるかどうかもわからない。下手をすれば狂人扱い……それならばまだいい方で、侮辱罪とか不敬罪に問われたりするかもしれない。


 こんなときどうしたらいいのだろう?


 考えるほどに、深みにハマる。

 何一つ確かなもの、信じられるものもないまま、自分というちっぽけな小舟で大海を漂っている。向かう先は定まらず、たどり着ける大陸があるかもわからない。そのような状況で、精神を保っていられるはずがない。

 

 ダメだわ。ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ!


 このままでは大変よろしくない。

 考えて答えが出るようなものではないことを、いじいじと考えていては病んでしまう。

 頭より身体を動かそう。こういうときこそ運動だ。健全な精神は健全な肉体に宿るなら、健全な精神を手に入れるためにまずは肉体のアプローチをする。心と身体は繋がっているのだ。


 私は作業用の服に着替えて庭に出た。


 太陽が真っすぐに私の畑に降り注ぎ、ロット草の濃い緑が日差しにさらされて揺れている。

 数はまだ半分よりは多い。ドルフの見立てでは、もうあと二、三日で収穫できるという。この調子なら、思っていたよりも多くを摘み取ることができる。

 物量として目に見えた成果を前に、私はほんの少し落ち込んだ気持ちを持ち直した。


 まずは畑に入って水やりだ。

 ロット草は光を浴びることでその効力を強める性質がある。だから日の高いときに栄養分となる水やりをするのが効果的なのだ。

 畑の隣にある栽培室に養分を溶かした専用水がある。それを桶に入れて運び、更に如雨露に移してまく。水やりが一番の重労働だ。

 それが終われば次は不要な葉の剪定と雑草処理が待っている。

 ロット草を植えてから、毎日かかさずしている作業だけれど、必ず雑草を見つけるのだから、その生きたくましさには脱帽する。雑草魂おそるべし。

 雑草も種類により、根こそぎ抜けるもの、茎の途中でブチッとちぎれてしまうものと様々だ。ちぎれたものは、根をとりきるために土を掘らなければならない。ロット草を傷つけないよう、スコップではなく自らの手で土を掻き分けるのがよい。丁寧な仕事が大事だ。


 たらり、と頬に汗が垂れる。

 鍔の広い帽子を被っているので、幾分涼しくはあるが、それでも暑さを凌ぎきるほどではない。

 行儀はよくないが、右腕でぐいっと拭う。ちなみに作業服は長袖である。日焼け対策だ。少しでも直射日光を避ける。


 日焼け止めがあれば……。


 そのような商品が脳裏をかすめる。名前の通り塗るだけで日焼けを防止するという代物だ。かつての暮らしの中に存在した画期的な商品。あれはどのように作っていたのだろう。知っていればここでも作ることができるかもしれないが、生憎と詳細不明だ。私はただそれを享受していただけだから。

 記憶を取り戻して以降、しばしばこういうことが起きていた。

 そして、もっと知識があればとがっくりするのだ。


 いや、でも、私にも何かできることはある、かも?


 この世界には魔術が存在する。それと前世の知識を組み合わせれば、新しい何かを生み出せるかもしれない。

 そんなことを漠然と考えながら、淡々と雑草処理を続けていると、


「精が出るじゃないか」


 すっとかがみ込んでいる私を覆うように畑に影ができる。

 驚いて見上げれば、セドリックが覗き込んでいた。

 立ち上がろうとすると手を貸してくれる。

 

「お兄様。このような時間に屋敷にいるなんて珍しいですね」


 昼を回ったばかりだ。

 セドリックはセントルシア学院の三年生で来年卒業を迎える。今は夏休みだが、卒業後は父と同じく薬術の研究をすることになっていて、すでにそちらの研修生として顔を出し雑用係として忙しくしている。


「今日は休みで友人と美術館へ行っていたんだが……隣国の国宝『ペルジャの微笑み』の展示の初日だったから人がすごくてな」

「そういえば、ベンジャミン様からお誘いを受けていました。今日からでしたのね」


 友好国の証として国宝の貸し出しが約二十年ぶりにされ、絵と共に隣国の第二王子(つまり攻略対象)も一緒にこちらに外遊に来ている。そのためのパーティが今晩催される。デビュタント前の私は招待されていないけれど、両親やセドリックは出席するはずだ。

 その前に現物の絵を見に行き話題を確保したかったということだろう。社交にマメさは大事なことだ。


「ああ、まさかこれほどの盛況ぶりとは思わなかったよ。……なんとか観賞はしてきたが、周囲のカフェテリアもいっぱいで、仕方ないから我が家でお茶でもと戻ってきたところだよ」


 せっかくだし、お前にも紹介しようと思ってな――セドリックは言いながらチラリと背後に視線をやった。その先、少し離れた場所に一人の男性が立っていた。

 逆光になっていて陽炎のようにゆらめくその人は、ただ立っているだけなのに遠目にもわかるほど洗練されている。

 私は帽子の鍔に手をやって、光を遮断するように彼の顔を見る。次第に目が慣れてきて、輪郭が定まり、顔立ちも克明に……


「――クローザー……」


 脳内に散らばっている記憶が正しい組み合わせをさぐってガチャガチャとひしめき合い、その欠片の一つがぽろりと口から零れ落ちた。

 同時に、どきん、と強く心臓が脈打つ。その音に共鳴するように、キーン、と耳鳴りのような警報がけたたましく鳴り響いた。

 時間の密度が一度ぎゅっと濃くなって、それを今度はゆったりと分散させるように低速度で伸びで行く。ゆっくりと、とてもゆっくりと、世界が、時が、流れている。


「ん? クローザー? 彼の名前はルシアン。カール公爵家の次男だよ」


 セドリックがのんびりと彼の正式な名前を紹介してくれたのが右耳から左耳へ素通りしていく。

 必要な情報ではなかったから。そんなもの、今更教えてもらわなくても知っている。

 ルシアン・カール公爵子息。

 彼のことを私は知っている。とてもよく知っている。

 仕事のときの呼び名をクローザーという。

 そう、彼こそが、私を殺害する人物。隠しキャラ、その人だ。


 記憶がガチャンと噛み合う音。


 驚きはそこまでなかった。ベンジャミンの誕生日会で、自分の立場というものを理解したから、彼ともそのうち何らかの接点を持つ可能性は想像していた。でも、それが現実になると、やはり動揺はした。

 心臓が痛んで、強く奥歯を噛む。

 落ち着いて、大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 そう、まだ大丈夫だ。ゲームは開始されていない。彼がこの場で私に何かすることはない。だから私も堂々と挨拶をすればいいのだ。けれど……


「……ご、ご友人に紹介していただけるのは嬉しいですけれど、このような格好のところにお連れになるなんてあんまりです! わ、わたくし着替えてまいりますからお部屋でお待ちになってくださいませ」


 私の口から出たのは逃避のためのもの。挨拶をするにしても、とりあえず一度一人になりたい。一旦落ち着きたい。そのために、作業服を着た泥だらけの状態だったのをよいことに抗議の声をあげた。

 

「え? 別に今のままで構わないよ。ルシアンはそんな細かいことに拘るような奴ではないし。お前は子どもじゃないか。まだ許される年齢だ」


 しかし、セドリックには通じない。

 たしかに、この国では十三歳の選定の儀式を迎えるまでは一切の責任能力がないとみなされる。だから私は法律上まだ子どもだ。でも、十二歳ともなれば立派な淑女として扱うのが貴族というものだろう。親にとって子どもはいつまでも子どもというが、セドリックはそんな感覚なのだろうか。ルシアンのこととは関係なく、この抜けさく兄が! と悪態をついてよいレベルだと思われる。

 ああ、一刻も早くここを去りたいのに通じないセドリックの頓珍漢ぶりが恨めしい。とはいえ、ここであらん限りの暴言を吐けば自ら淑女失格を公言するのと同意になる。あんまりな言葉を叫ぶわけにもいかず、


「お兄様!」


 私は令嬢らしい非難にとどめた。


「な、なんだよ」

「なんだよではありません! どうして、お兄様はそうなのですか!」

「そうって? え? 僕、何かそんなに悪いことしているか?」


 本当に本気で悪いと思っていないらしい。

 ううううう、どうしたらいいの? 

 もうこのまま立ち去ってもいい? 

 けれどもあそこにいる隠しキャラことルシアンは公爵子息だ。いくらなんでもそれは無礼にあたるだろう。将来私を殺害する人物でも、まだ殺害されたわけでもない。不審に思われないためにも礼節は必要だ。

 セドリックが一言、ああ、そうか、マリーもすっかり令嬢なんだねぇ、ごめんごめん、と去ることを許可してくれたらそれでよかったのに!

 ぶるぶると手が震える。混乱と怒りとどうしていいからわからなくてぶるぶるする。


「今のはセドリックが悪いだろう」


 すると、まさかの救世主が現れた。

 誰でもない大問題のルシアン本人が、いつの間にか傍に来てまさかのフォローをしてくれた。

 彼は困ったように眉尻を下げてセドリックと私を交互に見ている。兄妹喧嘩と映っているのだろう。

 私は近づかれてひぃっと悲鳴を上げそうになるのを我慢する。

 

「だが、湯浴みして着替えとなれば時間がかかる。今日は夜会があるから君だって長居はできないだろう? 紹介できない可能性があったから、ここで会ってもらうのが合理的だと判断したんだ。細かなことを言う奴ならば僕だってしないが、君はそうではないだろう? きちんと人を見ているつもりだけれど」

「……私への信頼、どうもありがとう。だが、合理性と女性の気持ちは反発しあうものなのだよ」


 セドリックにはセドリックの考えがあったらしい。

 そう言われたら、現状も無神経なだけではないのだと理解はするが、別にどうしても紹介しなければならないわけでもないでしょう。どちらかといえば私は永遠に紹介などしてほしくはなかった。


 ルシアンは、少し考えるように右手で顎を撫でた。

 金髪碧眼の多いこの世界には珍しい黒髪に深い紺碧の目が、じっと私を見ている。暑さのせいではない汗が、背中を流れていくが。


「レディ。どうやらお兄さんはどうしても自慢の妹である君と私を会わせたかったようだが、はじめましての挨拶は次回に持ち越しとしましょう。ご無礼をした」


 ルシアンは紳士らしく一礼をすると「行こう」とセドリックに声をかけて歩き出す。

 そう言われては反論できないのか、セドリックも彼に続く。


 え? 終わったの?


 あまりにもあっさりな幕引き、私はただ呆然と二人の後姿を見送った。

読んでくださりありがとうございます。


少し短いですが、区切りがよかったのでここまで。

次回から、ようやく物語が動き出しそうです。


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