叶わない恋
倫太郎と再会してからの私は、魂が抜けたように何をしても手につかなかった。
ただ彼にもう会わないことだけには注意を払い、登下校の際は一番懸念した。
雨の日は両親に我儘を言って送り迎えをお願いした。
夏休みに向けて期末テストが近付いており、部活は二週間休みになった。
私は勿論勉強をする気力もないが、合唱部は夏に一番大切なコンクールや発表会があるため、期末テストで赤点を取り追試や補習になれば皆に迷惑をかけるだろう。
少しでも意欲を高めるためと思って、放課後は校内の図書館に入り浸ろうと決めた。
図書館には多くの生徒が静かに勉強をしており、私はちょうど空いていた一人席のスペースに座った。
早速苦手な数学の復習に取り掛かろうとしたが、公式が全く頭に入らず解けない。
数十分足らずで挫折した私は、机の上に腕を組み顔を伏せた。
どうしても、あの日の倫太郎の顔を思い出してしまう。
そして解禁されたかのように、高校2年からの悪夢でしかない記憶が脳裏に走るのだ。
高校1年のホワイトデーから、倫太郎との関係が戻ったと私は勘違いをしていた。
しかしこちらから連絡をしても返事がないのは変わらない。
ただ前よりも彼が都合の良いときに連絡がくることは増えた。
倫太郎は隣県の大学に入り、放課後はまたバレーのサークル活動をしているようだった。
そして日曜日は空いてることが多いようで、私は彼から呼ばれると土曜の夜から彼の一人暮らしをするアパートに行った。
倫太郎は静かで大人しいこともあり、会って特に何を話すのでもなく、私は掃除や料理など目に留まった家事をした。
そして彼が求めてくるときに触れ合った。
しかし実は、私はまだ彼と結ばれていなかった。
手を繋いだり、抱き合ったりー一晩を過ごしても、倫太郎は一線を越えることは決してしなかったのだ。
私から求めることもできただろうけど、私は二人の関係や彼に彼女や好きな人がいるのかどうかさえも聞くこともできないくらい、彼に嫌われたくなかった。
そんな彼の触れ合いにさえ期待させてるようで狡いと感じても、愛しさが溢れて私は離れることができなかった。
もう私は彼女ではないんだと、一夏で自然消滅したのだと頭で理解はしていたけど、心はついて行かなかった。
倫太郎と会うことができるのは、アパートの中でだけだ。
駅への送り迎えもスーパーへの買い出しも、付いてきてもらったことがない。
逆に地元に帰っているだろう長期休暇の間は、全く連絡が通じない。
たまたま駅で同級生と遊ぶ彼の姿を見たことがあったが、私の視線に気付き目を逸らされたこともあった。
そして倫太郎だけが悪いことをしているのではないのも分かっていた。
関係を明らかにしない私自身も狡いのだ。
彼が求めてくれるのであればどんな関係でさえ、一緒にいられるだけで幸せだった。
私は高校2年に進級しクラス替えになってからは、咲良と一緒になり友達も増えて、非行もせず学校生活を楽しく送っていた。
倫太郎との切れない関係のことは咲良と哲平にだけ、話していた。
咲良は倫太郎と私の関係を、何度も何度もやめた方がいいと忠告した。
二人の関係は梨子だけでなく倫太郎も苦しめているのではないかーと。
それは正論だった。
倫太郎は私を弄ぶ根っからの悪い人ではない。
何か心の闇があるのではないかーと私は思うことがあったが、私欲のためにそれをも利用していたのだ。
一方の哲平は、私と倫太郎の関係を否定しなかった。
ただ辛い時は話を聞いてくれて、駅まで送り迎えしてくれることもあった。
私がそもそも恋愛経験のない哲平に話したのは、彼が休日に外泊する私の行動を心配して声をかけたことがきっかけだった。
いつもは私を揶揄う彼も、この話題だけは親身に傾聴してくれた。
そして高校3年の夏、さすがに大学受験の勉強に精を出さなければいけなくなってきた。
私は志望校があったのだが成績が全く届いておらず、ほぼ毎日塾に通学しており、休日も以前のように倫太郎の下に遊びに行く余裕は正直なかった。
私は大学受験勉強に励むためにしばらく会えないと、はっきり伝えようと思っていた。
そしてできればもう彼を想う自分の気持ちにも終止符を打ちたいと、心の限界を感じていた。
そして夏期講習が落ち着いた、お盆前。
私は倫太郎のところに、久しぶりに会いに行った。
いつもと同じように接して、帰り際にはっきり伝えるつもりでいた。
しかしその日私はひょんなことで彼に言いがかりをつけ、最初で最後の喧嘩をした。
私は感情的になり、つい我慢していた自分の気持ちを彼にぶつけてしまった。
『私、倫太郎のことが好きで仕方がないの。でも倫太郎は私のこと好きではないんでしょう?』
泣きじゃくる私に、彼は私から目を逸らして静かに呟いた。
『ごめん。俺も莉子のように、叶わない恋をずっとしているんだ。』
私は彼の部屋をすぐに後にして思いっきり走り抜け、その後のことはよく覚えていない。
その日は本当に私が倫太郎に会った最後の日になった。
断ち切るはずだった彼を忘れられなくなった想いは、高校を卒業して大学に入ってからも続いていたのかもしれない。
顔や性格など彼の面影を求めては似ている人と付き合い、そんな恋愛は汚くて長くは続かなかった。
哲平と再会するまでは。
ーはぁ、だめだ。どこにいても勉強なんて集中できない。もう帰ろう。
我に帰ると、顔を伏せていた数字で埋め尽くされたノートは涙に濡れてもう使い物にならなくなっていた。
ー初恋を取り戻す以前に、このままじゃ私、高校さえ卒業できないのかもしれない。そしたら未来はどうなるの…。
悲観的なことしか考えられず、ようやく頭を上げようとしたとき、私は右肩をトントンと叩かれた。
「梨子ちゃん…だよね?図書館で寝てると、怖い司書に怒られるよ。もしよかったら、一緒に帰らない?」
それは二度目の高校生活でさえも私を支配する、倫太郎の声だった。