3月14日
「やばい、もうこんな時間なの!」
3月14日、土曜日。
目が覚めたのは、太陽が空の頂上に昇る頃だった。
早朝に母が私に声をかけた記憶はあったのだが、なんせ夜更かししたため起きることができなかった。
哲平から言われた言葉が頭の中を巡り、不安とともに明け方まで眠れなかったのだ。
私は顔を洗おうとドアを出ると、吹き抜けの下からダイニングテーブルに隣り合って座る両親の姿が目に入った。
母は顔を伏せて静かに泣いており、父が背中を摩っている。
今日はもう一つ特別な日だった。
「お母さん、お父さん…。」
「梨子…。」
私は静かに階段を降りたため、急に現れた両親は驚き、母は顔を上げた。
気丈な母の目が赤く腫れていて、私の胸は苦しくなった。
「朝ごはん、いやもう昼ごはんね。」
「美里、その前に梨子に話そう。」
涙を振り払い席を立とうとする母を父は静止した。
父が冷静に話し出した内容を、すでに私はもう知っていた。
今でも忘れることはない。
今日は母が難病だと申告された日だった。
年明けから手足が動かしにくいと感じていた母は受診し多くの検査をし、今日に至った。
仕事熱心でやりがいを感じていた母にとって、これから体が動かなくなる現実は非情なものだった。
しかし母は父や職場の仲間に支えられながら仕事ができなくなる限界まで働き、父の介護の下で5年間の闘病生活を送った。
高校生の私には、母が難病になってしまったことを受け入れられなかった。
そして私はそのまま都会の大学に進学して実家には滅多に帰らず、母の介護をすることもなかった。
両親を亡くしてから初めて、父は高血圧や狭心症の持病を抱えながらも母を介護していたことを知った。
私はこれから母に訪れる辛い闘病生活や父の自宅介護生活を想定し、ある決断をした。
伊達に過去に戻ってきてはいない。
心の中は大人のつもりだし、人生をやり直したいのは恋愛だけでない。
両親の死を受け入れて生きていたが、若かった自分勝手な言動に後悔もたくさんした。
「お母さん、私お昼ご飯作るよ。家事とか手伝ってほしいこと言って。お父さんも自分の体調にも気をつけてね。」
「ありがとう梨子…。」
「梨子、気持ちは嬉しいけど。あなたご飯作ったことないじゃない?」
「…これから教えて!さぁ、作ろう。」
私はそう言うと、母と一緒に昼食を作った。
ー私、料理苦手だった。母のお袋の味を教えてもらって、未来に帰らないとなぁ。
父はダイニングテーブルに座ったまま、オープンキッチンで昼食を作る私達の姿をずっと見守っていた。
高校生活だけでなく、将来も父を支えるために地元の大学に進学をしようと強く誓った。
そして倫太郎と会う、夕方の時間は刻々と近付いていた。
私のこの先の未来をも大きく変えるかもしれない、自分の決断を何度も考えても私はまだ決められなかった。