二人の向日葵
倫太郎が向かった先は、街中にひっそりと立つ古い産婦人科の病院だった。
休日なためか電気もついておらず、彼は正面玄関の隣にある大木の前に跪いて座った。
そして木陰に、向日葵の花束を置いて静かに呟いた。
「一年前、俺は夏帆との子供をここで亡くしたんだ。夏帆は子供に、向日葵と名前をつけたいと言っていた。」
そして倫太郎は木に語りかけるように、夏帆との辛い恋愛を話し始めた。
夏帆は同じバレー部に所属する同級生で、出会った頃からよく話が合い、高校一年の春が終わる頃に二人は付き合い始めた。
穏やかな性格の二人はとても仲が良く喧嘩一つしたことがなかった。
周りからこのまま付き合って結婚するだろうと言われ、倫太郎もそう思っていた。
しかし、高校2年の春に倫太郎はいきなり別れを告げられた。
ー初恋の相手に再会して、付き合うことになったの。
倫太郎はこんなに幸せそうな夏帆の笑顔を見るのは初めてで、悔しかったが彼女の幸せを祈り別れを快諾し、部活動ではいい友人として接していた。
しかし夏帆は初夏に体調を崩し、部活に来る日が少なくなった。
そして夏休みに入り、倫太郎は久しぶりに夏帆に呼び出されて告げられた。
ーお腹に赤ちゃんがいるの。でも、それを彼氏に告げたら連絡が取れなくなっちゃった。どうしたらいいかな?
倫太郎は酷く動揺したが、苦しそうに涙を流し続ける今でも大好きな夏帆に抱き締めて言った。
ー俺が一緒に育てようか?その子は俺の子供だよ。
夏帆は倫太郎の胸の中で大きく首を振ったが、お腹の中の子供はもう安定期を過ぎており胎動を感じていた彼女は彼の優しさと嘘に甘えた。
ー性別、女の子なんだって。向日葵って付けようと思うの。
夏帆は明るい笑顔でそう言った。
そして倫太郎が彼女の親に話に行こうとした日の朝に、彼女から電話が来た。
ー親に赤ちゃんのことばれちゃった。昨日手術したの。倫太郎、あの時は一緒に育ててくれるって言ってくれてありがとう。嬉しかったよ。
涙を堪え声が震えながら話す夏帆が心配で、倫太郎はすぐに会いに行った。
病室でげっそりした夏帆に会った倫太郎は、華奢な彼女の身体を優しく抱きしめて言った。
ー夏帆のことが忘れられない。夏帆がまだ初恋の人を好きでもいい。俺とまた付き合ってくれないか。
夏帆は何度も否と言ったが、倫太郎の気持ちの強さが勝ち二人はよりを戻した。
しかし彼女はそれでも幼なじみのことが忘れられず、部活を引退した時にようやく倫太郎に別れを告げた。
倫太郎がずっと愛しくて忘れられなかったのは、夏帆のことだった。
きっと私が倫太郎を想うよりも何十倍も、彼は夏帆のことを想っていたのだ。
あの時ゴミ箱に捨てられていた向日葵は、自分が彼女のために親になろうとした子供の命日に、彼女に渡すことができなかったものだったのだろうと私は想像した。
過去の私は倫太郎に触れては彼の心を傷つけ、しかし彼もそんな私を過去の自分のように投影して捨てられなかったのかもしれない。
私は倫太郎にかける言葉を見つけられず、涙を流し手を合わせる彼をただ見つめることしかできなかった。
ー倫太郎は大好きな人が失った子供を想い涙を流している。私は彼女に到底勝てないだろう。
すっかり日が暮れた夜空の下に、足音が聞こえた。
私はその姿を見て、すぐに物陰に隠れた。
一輪の花を握りしめた女子高生が、倫太郎の隣に立っていた。
「夏帆…!?」
「倫太郎、ごめんね。」
二人は見つめ合い、夏帆も跪きまた大木の下に向日葵の花を置いた。
寄り添う二人の後ろで、私は静かにその場から去った。