4 ティーと俺
「イイ線いってるよ、アンタ」
そう言う魔術師の手に構えられているのは、練習用の木彫りの剣。
俺は地べたに倒れ込んでいて、ちょうど今ティー師匠にいい感じにボコられたところだ。
全く魔術師の癖に剣術も優れているとか、とんだチートもあったもんじゃないな、俺の師匠は。
家のすぐ真裏に俺たちは居た。
畑や薬草、小さな果樹園に花畑がある中、不自然に空いた何もない空間。
言うなれば体育をする時に使うグラウンドのような場所がそこにはあって、魔術を嗜む人間としては不要なのではと感じていた。
そう、魔法を使う練習場というよりは、このように剣技やら何やら肉体を鍛える空間のような。
「それはどーも……」
高校を出て何年だろう、五年は経つのか。
最後にまともな運動をしたのはそれぐらい昔だ。
そりゃまあ、ブラック社員時代も体力は必要だったし、フリーター時代ももちろん力仕事はあることにはあった。
だけど剣技なんてやるか!?
正直、体育の授業で剣道を数回やる程度だろうが。
「明日絶対筋肉痛だよ……」
ボソっと弱音を吐くと、ティー師匠がこちらを睨む。
と、思えばにっこりと微笑むではないか。……逆にそれが怖く感じた。
「安心しろ愛弟子よ。治癒魔法で全てまっさらにしてやるから、明日もビシバシ鍛えるよ」
ヒールと拷問の繰り返しとは……恐れ入った。
俺はひきつった笑顔で、楽しそうに微笑む師匠を見た。
そんなこんなで、俺は住処を得た。
ティー師匠は大雑把そうな性格によらず、教えるのがうまい。
「異世界の食べたことのない飯を貰う対価だよ」なんて言ってはいるが、同じ境遇である俺に何かを見出して重ねているんだろうか。
料理をはじめとした家事をこなす代わりに、この世界のこと、そして生きていく術を教えてくれるとティー師匠と約束した。
それにあたりまず学んだのは、各適性のことだ。
その色の該当する力がより強く、かつ得意に扱えるというものらしい。
炎を纏った攻撃などもできる火炎特化の赤色、雷撃やその力を用いて瞬発的な力を発揮できる雷属性の黄色、木々と共にある木属性の緑色、氷結魔法や水を操ることが可能な水色。
他にも、闇属性の紫色、治癒魔法や浄化魔法が得意と言われる光属性の白、そして土を友とする茶色の土属性。
属性固有のスキルなんかもあるらしく、取得するには少し苦労するようだが、有ればより強くなれるらしい。
そして、俺の適性である《透明》は、滅多に存在しないレアな適性。
《単騎で属性攻撃が出来ない》ものの、保有する三つの強力なスキルは、世界を揺るがすと言われているほど恐ろしい代物だ。
そして遥か昔、透明適性の力を持った人間が、人間であるのにも関わらず厄災側について、世界を脅かしたと伝えられている。
レア属性なだけあって、頻繁に現れることはなく、こうして伝奇になるレベルだそうだ。
そういう訳で実際に透明適性者が世界を混乱へと陥れたのかは、定かではない。
見たという人がいても、とっくの昔に死んでいるだろう。
だから語り継がれた昔話が一番の頼りであり、そしてそれは語り継がれる度にに恐ろしさを増していく。
一種の刷り込みである。
幼い頃、母親父親から聞いた厄災の昔話を、大きくなった子供がまた自分の息子娘に言い聞かせていくように。
最初は世界を陥れるだなんてそんなことはない、なんて思っていた俺だった。だが透明適性の持つ特殊な能力を聞いたときは、こりゃ魔王もびっくりだなと思った。
「ありゃ、今ので稽古用の剣がいかれちまったみたいだよ」
そう言われて師匠の持つ木で出来た剣を見れば、真っ二つに折れているではないか。
当てられた時の衝撃はそれほどではなかったんだけど……。
「それじゃあ、明日は街の武器屋に買出しに行こうかね」
………え?
いや、いやいや。俺もアンタもお尋ね者でしょうが!
街なんて行けないだろうが。
そう不安と恐怖に青ざめる俺をよそに、師匠はウキウキしていた。
その日の夕食はまともに作れず、師匠にこれ程にないぐらいに叱られた。
夜は眠れることはなく、翌日を迎えた。
皮肉にも、本日は晴天。
洗濯物がふわふわに乾くような気持ちのいい太陽に、農作物を始めとする植物が喜びの声を上げそうな天気だ。
そんな晴天に反比例して、俺の気持ちはどん底。なんなら吐きそうだ。
反面、師匠は久々の街という事で気分がいいらしく、起きたら朝食が用意されていた。俺が昨日の夕飯を失敗したという理由もありそうだ。
「じゃ、行くかい」
あぁ、来てしまった……。
師匠、今度街に行くなら、それまでに卵から守る魔法とか教えてくださいね……。
「カズヒロ、ほれ、これ着な」
渡された黒いマント。触れるとなんだか不思議な感覚に襲われる。
これは――ただのマントやローブじゃない?
微量ではあるが、何かが練りこんで……染みこませてある。繊維をなにか特殊な液体で浸していたのだろうか?
例えば、魔物の何かとか。
微かではあるが、魔物の反応がする。
「アンタ本当にイイ線だよ。触れただけで違和感に気付く奴見たことないね」
くつくつと師匠が笑うのを見て、やはりこのマントが特殊なものだと分かる。
まさかとは思うが――
「認識阻害マントとかか?」
「大当たりだよ! 流石だね!」
実際は認識阻害マントの本領発揮をするには、継続的な魔力注入が必要だそうだ。
しかも吸われる魔力量が尋常ではなく、通常の人間であれば、五分が使用限界という訳だ。
だが注入を行わずともある程度の能力を発揮する事が出来る。
それはこの繊維に染み込まれた《姿を変えられる魔物のエキス》による能力によるもの。
ただ着ている状態だと、《見た人間にとって一番無害で関係のない雑魚・モブに見える》マントだ。
認識阻害マントというか、都合のいいように見えるマントと言えばいいか。
つまりこれを羽織っていれば、相当な技術のある魔術師ではない限り見破れないのだ。
街も行き放題!
現金な俺は希望が見えた途端、いきなりテンションが上がった。
街に行ける、他人の目を気にしないで済む! どんな剣を買ってもらおうか!
ああ、師匠がウキウキしていたのが今やっと俺に伝わって来たよ。
「全く――コロコロと気分が変わる男だね」
アタシを信じてもう少し余裕を持って欲しいもんだよ、と。
……確かに。
師匠が何も考えずにそのまま敵地に行くような事をする訳がない。自分の恐怖と不安に囚われ、周りがよく見えていなかった。
状況把握、確認。冷静な判断。
口で言って考えるだけなら単純明快ではあるが、実際行動に移すことが出来なかった。
どうしてもまだ気持ちがあっちの世界のぬるいままのようで、感情的に動いてしまう。
特に冷静な判断は、今後生きていくには必要な条件だ。
普段から心がけるようにしよう。
小屋を出て数歩歩く。
そして、師匠が詠唱を始めた。
この小屋にいる人間が両方とも不在になるからな、隠蔽魔法をかけねばなるまい。
街からさほど遠くはない場所にあるこの森だ。
たまに薬草採取に来る人間もいるし、ここの森はそれなりに動物も豊富だ。だから狩人が入ってくる事も珍しくはない。
そんな時は庭での稽古は中止され、森から去るまで隠蔽魔法に包まれたこの小屋で静かに怯えて暮らしていた。
「て、ちょ、ちょ……師匠、師匠! 掛けすぎじゃ……」
「う、う、うるさいね! もし見つかったらどうするんだい!」
恐怖と不安があったのは、師匠も同じか、そうだよな。人間だもん。
にしても本当に掛けすぎだ。俺が小屋を見つけられるか分からなくなって来た。本末転倒だろ……。