8 皆伝
思いだせば俺の家はクソだった。
母親は肥えた豚のような弟を溺愛し、俺に対しては無関心だった。父親は学校に行きもしない弟に何も言うことはなく、俺にばかり成績がどうのなんて言ってきた。
弟は与えられたものはなんでも食べ、否――望むものしか与えられず、何度母親に悪態をつこうが母親はそれをも愛した。正直、気味が悪かった。
ただそれは耐えればいい話だった。俺に対して何か害があるわけじゃないのだから。
俺は早い段階で家族のことを切っていた。高校に上がってからはバイトばかりに力を出して計画を進めていた。
大学進学するつもりはなかった。とりあえずこのクソみたいな家から離れたい一心で、地元から遠く離れた知らない土地で就職しようと決意していた。
その為にも、しばらくの間は暮らせる資金が必要だった。
別に熱心に友情を育むタイプではなかったし、勉強に励むタイプでもなかった。
放課後と休みの日はひたすら働いて働いて、ただ金を貯めるだけに生きていた。
クソの親はクソなのは高校まで生きていた間に痛いほど実感していた。まさかとは思ったが、あの母親は溺愛する弟の為に俺の口座から数万引き落としてみせた。
親に対してこんなことを予想しておきたくはなかったが、複数口座に分けておいて正解だった。
俺がこの家族と縁を切ろうと思った理由がさらに増えた。
遠方に就職することを両親は咎めなかったし、弟とは数年口をきいていない。
ただ逃げた就職先があんなにブラックとは思わなかったのは、俺の計画ミスだろう。
それとも俺は不幸から逃げられないという神からの啓示だったのかもしれない。
*
師匠の剣が宙を舞い、カシャンと音を立てて地に落ちた。剣が弾かれた衝撃で痺れる腕を見つめながら、師匠は優しく微笑んだ。
俺自身は腹部が酷く切られていたが、この程度は無詠唱かつ一瞬で治療が出来た。
「ここまでかね」
――教えられることは全て教えたよ、と。
木魔法で歪な木の根を生成して、そこへと座る。
未だ痺れる腕に微量な魔力を送り、ゆっくりと腕を治していた。一瞬で治せるのに時間を掛けるのは、名残惜しいからだろうか。
そう、俺は師匠を倒した。
とは言っても練習試合のようなものだったけど、完全に師匠は惨敗ムード。
そして俺も最初に師匠が言う通りの治療魔法が使えるようになった。無詠唱で骨折程度までは一瞬で完治させる。そんな無茶振りを成し遂げてみせた。
加えて剣技や肉弾戦に関しても、そこらの冒険者と変わらぬ成長を遂げられた筈だ。
とは言え、まだまだ教えて欲しいことはある。
書庫にある本だって半分も読めていないし、知らない魔法だって大量にある。魔法だけじゃない。戦い方だってもっと知りたい、成長したいんだ。
国から追放されたあの時の絶望。たまにまた夢に見て思い出すが、師匠との生活が消し去ってくれる。日に日に新しいことを知り、成長していく自分に感動を覚えていた。
いくら師匠が諦めムードだからとはいえ、きっとまぐれに過ぎない。連戦連勝でなくては意味が無い。
さて次は何を教えて貰おうか。
ここに匿われて長い事時間が経過したが、未だに師匠から教わる知識は増えるばかりだ。一体どれほどの人生を歩んで学んだのだろう。
そしてこの知識を教わった人間が俺だけだというのは、なんとも悲しい。裏切りにさえあわなければ、師匠はこの素晴らしい知識をもっと世界に広められたということだろう。
だがその話をすると、こんな戦う力があっても、戦争に利用されるだけだ。そう嘆いていた。
その話をする時の瞳が余りにも悲しそうだから、俺は話を続けるのをやめたのをよく覚えている。
ただでさえこの世界の国は争いが多いらしく、気を抜こうものならば襲撃されて国が終わるのが当たり前。仲の悪い国同士は常に緊迫しているし、領土争いなんて日常茶飯事だ。
国のトップやらその関係者に何かが起こったのであれば、仲がこじれるどころか、戦争なんてすぐに起きてしまう。
「アタシが追放されたのは、正しい判断だったのかもしれないねえ」
アンタ充分強くなったよ。と師匠は言った。
改めて自分の弟子を見て、昔の同僚が思った事を痛感した。こんな強さを持った人間が国にいては危ない。裏切った同僚はただ単に師匠の強さに嫉妬していたようにも思えるが、そう言った考えも少しはあったのかもしれない。
「さ、昼にしようか」
微笑みながら手招きした師匠についていこうとした俺。
だが周囲の違和感に気付き、俺と師匠は血相を変えた。
大量の人間がこちらへと向かっている――それも、パーティなんてレベルじゃなく、これは軍隊に匹敵する量だ。そして明らかに、この家へと足を進めている。
通過してんというわけでもなく、その思い――殺意は確実にこちらへと向けられていた。
「早く家へ! 結界を張り直すよ!」
師匠が叫ぶ。今の結界はこんな奇襲を予想して張られたレベルの強さではない。
必然的に張り直す必要があるが、時間が間に合うかどうか。大きな魔法を扱うには、それなりの時間もしくは鍛錬が必要だ。結界魔法なんて頻繁に使うものではないから、今必要なのは時間だった。
もちろんそんな時間はあるはずもない。
一重、二重と掛けたあたりで限界がきはじめた。
敵兵はすぐそこまで来ていて、多分あの感じじゃあ魔術師も数名いるだろう。裏切りの魔女と厄災勇者が一緒となれば、相当強い熟練の魔術師を用意したに違いない。
結界はなんとか四重まで達したが、師匠の魔力の限界が近かった。
急ぎの結界がそんな長く持つわけがなく、外からはワイングラスが割れるような軽いパリンという音が聞こえた。ひとつ結界が死んだのだ。
家を隠蔽する結界は既に破られていた。兵士たちの攻撃が未だに通らぬのは、ほかの結界がまだ生きているからだろう。
それも破られるのも時間の問題であった。師匠も疲弊しきっていたし、俺も初めてのことで混乱していた。実践なんて初めてだ、冷静さなんてとうに失った。
窓から外を見れば大量の兵士騎士魔術師がそこらじゅうにいた。
軍の奥には馬に乗った偉そうな男が数名、あれの中に指揮官がいるんだろう。
そして気がかりなのが一つ。軍の中にいる弱そうな女魔術師が一人。
あれはそうだ、いつだったか。どうでもいい事柄すぎて忘れていた。
「――あの女ッ」
こうなることを誰が予想し得よう。
あの女はいつぞやの沼猪と戦った時に気まぐれで逃がした、腰抜けの回復役の女。
おおかた俺が《盗んだ》剣を奪い返しに来たんだろうが、ここまで大勢を従えるか? それとも、俺の顔を見て透明適性だとわかっていた?
どちらにせよこうなってしまってはもう遅い。
魔力の尽きかけている師匠と初心者の俺では、こんな大人数を相手にできるわけがなかった。
「アンタにはまだ教えたりないけど、これから生きていけばもっと有意義なことを知れるよ」
「師匠?」
「アンタは強い。それに勉強熱心だ、いいかい?」
「なあ……」
そのあと師匠の口から紡がれる言葉を想像したくなかった。
だが案の定師匠は思っていた通りの言葉を言い、俺を逃がすために地下室の隠し通路の話をした。
師匠には二度も命を救われてしまった。
それによりにもよって、二回目は師匠の命と引き換えに俺なんかの命が救われた。
この借りは必ず返すしかない。二度も平穏を奪われて何もしないで逃げるなんてありえないだろ。
俺が通路へ入ると、師匠が魔法で岩石を生成して完全に塞いだ。
兵士を通さないという意味と、振り返るなという俺へのメッセージ。
「絶対に――生き残ってみせる」
薄暗い洞窟のような通路を歩み、俺は決意した。
厄災厄災というのであれば、そうなってやろうじゃないか。お前たちの望んだ形に、姿に、立場に。
この世界の人間を脅かし、混沌をもたらさんとしようが。
それにしてもまずこの洞窟から脱出しなければならない。その為にも武器やら飲食物が必要になる。
……まぁ最悪、食料に関しては半日から一日で辿り着くのであれば、食料はなくても問題はない。
空間魔法で武器や生活必需品などはしまってあるものの、こんな逃避行の為にちまちまと貯め込んでいた訳でもない。
その在庫が尽きる前に村に到着する、それが当分の目標だ。
それにしてもこの通路。長いこと放置されていたのか所々崩壊し始めていて、そもそも食料が無くなる前に閉じ込められて死ぬかもしれない。
タイムアタックじゃないが、長期戦を視野に入れるのはやめよう。
数歩歩くと、明かりがなくなった。これ以上進むことは想定されてなかったのだろう。
魔法で宙に浮く光を灯して自分の前後へ配置する。洞窟は長く続いていて幾らマッピングしたとはいえ、少々の不安を感じさせる。
途中こそ分岐点はあるものの、基本一直線に進めば到着する単純な洞窟だ。外がどうなっているかは不明だが、師匠を信じればすぐに村が現れるはずだ。
今のところ生命体を感知はしていない。
早く向かうとしよう。
投稿時間いつも12時で設定してるんですが、もっと別の時間のほうがいいんでしょうかね…