古傷を指でなぞれば思い出す痛みも今は愛しく思う。
わたしの右頬には傷がある。よくよく確認しなければ見つからない。
しかし、人差し指くらいの長さはある一本の線。
3歳のころについたこの傷との付き合いは、四半世紀にもなった。
今つきあいのあるどの友人よりも長い付き合いだ。
どこからみても刃物による傷にしかみえないこの傷は、事実、刃物による傷である。
「もったいないね。」
金曜の仕事終わりに立ち寄ったバーでわたしの右隣にかけた男性は言った。
「せっかく美人なのに、もったいない。」
できるだけ無邪気にみえるように、クスクスと笑ってみせた。
「あら。わたしの顔は、この傷に惹き立てられているのよ。」
男性は目を見張ったあと、同じようにクスクスと笑ってみせた。
「たしかに」
彼は覗き込むように言った
「たしかにチャーミングだ」
にこりと笑った彼の唇の隙間からは八重歯がのぞいていた。
「あなたも」
同じように彼の顔を覗き込む。
「その八重歯、とてもチャーミングよ」
出されたばかりのグラスを持ち上げて、
「よく口を切るんだ」
と顔をしかめた。
そのしかめた表情ですら魅力的な男性だった。
今夜はこの人と過ごすのかしら?
刃物の傷は、3歳のときに林檎を剥いてみたくてキッチンに手をのばし、落ちてきた包丁がかすめたことによるものだ。
これが私の、最も古い記憶である。
なんだか、違うような気がした。
氷が溶けてゆくウィスキーを呑み干し、会計をお願いする。。
「もう帰るのかい?」
意外そうに彼は問いかけた。
「ええ、良い夜を。」
とびきりの、とまではいかない笑顔を向けて外へ出た。
なんとなしに頬の傷をなぞってみた。
今夜はたぶん、いい夜だ。