(7)王都騎士団飛竜部隊
エドの馬車で村に行くと、そこに待っていたのはなんと飛竜だった。
まさか……まさか……あれに乗って行くの?
ベルが涙目で見上げると、エドは憐れみを含んだ眼差しでベルを見おろし、頭をポンポンと撫でた。
王都まで馬車で20日ほど、行き帰りだけでベルにとっては大旅行になってしまう。しかし竜で飛べば途中の森や湖も関係なくまっすぐ王都に飛んでいけるため、2日で着いてしまうのだ。
竜のそばには騎士団の制服を着た男性がいた。つまりこの竜は王都騎士団の飛竜部隊に所属している竜だということになる。竜は村人たちの興味津々の視線にまったく反応することなくおとなしく休んでいる。
飛竜部隊の竜は竜舎を一歩出たら絶対に声を出さない。そして竜騎士の命令には絶対に逆らわないように調教されている。竜騎士と竜は斥候の役割を担うことが多いため、敵に見つからないように行動しないとならないからだ。
騎士団の飛竜部隊は王都に本拠地を置く騎士団の中でも花形の部隊で、竜騎士は子供から若い女性まで皆の憧れの的だ。
村の小さな子供たちが大はしゃぎで竜に近付こうとするのを親が抱き上げて阻止している。 村の娘たちも騎士様を眺めながらきゃっきゃとおしゃべりしている。
村の大人たちは小さなベルが心配で竜騎士を質問責めにしているようだ。
小さい子供でも大丈夫なのか? 空の上は寒くないのか? 風に吹き飛ばされて落ちてしまわないのか? ちゃんと途中で休憩をとってくれるのか? 今夜はどこに泊まるのか?
村のおばさんたちが真剣な顔で迫るので、騎士様もたじたじである。
今回は少し余裕のある行程にしてくれるそうで、休憩も多めにすると約束してくれた。竜の装具に付いている魔道具で結界を張るので寒くないし風も防げる。ベルトでしっかり体を繋ぐので落ちることも無いし、そもそも今回は落ちるような飛びかたはしない。
人の良さそうな騎士様は村人相手でも丁寧な説明をしてくれる。エドが一緒に行くということで、おばさんたちも納得して落ちついた。
次はベルとエドである。
絶対にエドのそばから離れないように。具合が悪くなったらすぐに言うように。途中で食べるようにとお弁当も渡された。
エドはもっと大変で、ベルを必ず無事に連れて帰るようにと皆に取り囲まれていた。ついでにおみやげも頼まれて、ベルたちはにぎやかな見送りの中、王都に向けて出発した。
思っていたよりも静かにふわりと空に舞い上がった竜はあっというまに村の回りの山を飛び越えた。ただし、ベルは大男2人にはさまれたまん中に座らされたので、回りの様子がほとんど見えない。
結界の魔道具のおかげで風も感じない。後ろのエドの体温が温かい。緩やかな上下動にうとうとしながら運ばれ、ベルとエドは予定より少し遅めの3日目の昼頃、無事に王都に到着した。
ベルたちが乗った竜が降りたのは飛竜部隊の発着場だった。とても広い草地になっているが、ここは王都の城壁の中なのだとか。王都というところはいったいどれだけ広いのだろうか?
少し離れたところに、竜が10騎出発の準備をしているようだ。きちんと調教された竜がまったく同じ姿勢でずらっと並んでいる様子は壮観である。だが、その中に。
(あのこ……)
【ガーネット】
(状態)刺し傷、出血
怪我をしている。怪我の場所は……装具の中?
その竜が怪我を負った場面の幻を見たベルは息を飲んだ。なんで……なんで?
ベルの様子が変わったことにエドはすぐに気づいた。
「どうした?」
ベルはエドの上着の裾をつかんで見上げた。
「あのこ、怪我してる」
小さな声だったが、ベルたちの方に歩いて来ていた黒髪の竜騎士には聞こえたらしい。「怪我?」と訝しそうに眉をひそめている。
竜舎を出てくる前に竜たちは念入りに体調を調べられる。怪我をした竜が装具を着けて整列した中にいるはずがないのだ。
エドは少し険しくなった竜騎士の視線からさりげなくベルを隠しながら尋ねた。
「どの竜だ?」
ベルはまっすぐに怪我をした竜、ガーネットを指差した。
「あのこ。装具の中、出血してる」
黒髪の竜騎士はガーネットをじっと見たあと少し考えてから、装具を外して確認するように命じた。まだ若く見えるが命令する口調からかなり上の立場であることがうかがわれた。
装具の下の怪我が見つかると、その場は騒然とした。ナイフのような刃物で刺された傷。人による犯行なのは明らかだった。
ベルはエドにしがみつきながら辺りを見回していた。先程見えた幻はそんなに前のものじゃない。だとすればまだこの中に……
その時、騒ぎに紛れてこの場を離れようとしている人物がいるのをベルの目がとらえた。
ベルはエドの袖を引っ張った。
「エドさん、あの人!」
ベルの視線をたどってエドと黒髪の竜騎士の目が逃げようとしている1人の男の姿をとらえる。
「その男を捕まえろ!」
兵士たちに捕らえられ押さえつけられたその男は、ベルが見た幻の中でガーネットを笑いながらナイフで刺していた人物だった。
男の持ち物から黒く変色したナイフが発見され、それが決定的な犯行の証拠となった。
竜の血は鉄を変化させる。
“竜血剣” と呼ばれる名剣がある。世界一の名工と呼ばれた鍛冶師が鍛えた剣を竜の血に浸して造られた物で、とある国の国宝として宝物庫に納められている。
竜の血液で黒く変色した刃は強くなる。折れない、欠けない、錆びない。しかしそう簡単に造れる物でもない。竜の血液が手に入らないからだ。
通常、竜には剣で切り着けても傷などつけられない。竜固有の強力な身体強化魔法があるからだ。
ならば魔法で倒せば良いのでは?
ところがこれがうまくいかない。魔法で倒した竜の血液はなぜか鉄を変化させないのである。
“竜血剣” に使われた血液は老衰で死んだ竜の物なのだ。
捕縛された男は竜装具師の弟子だった。師匠に付いて何度も飛竜部隊を訪れるうちに、男は飛竜部隊の竜たちが自分たち竜装具師の前でひどく無防備なことに気がついた。
竜が身体強化魔法を解除している。しかも竜騎士の命令を守って動かない。声も上げない。
そして男はたとえ小さなナイフでも、竜の血に黒く染まったそれがどれ程の価値を持つかを知っていた。
作戦行動中の魔力を少しでも節約するため、竜騎士は必要な時以外は魔法を解除するように竜に指示する。
そして竜は自分の主人に命じられたから。たしかにそれもあるが、ここには竜に悪いことをするような人物はいないと自分の主人は信じている。だから主人を信じる竜も自分に近づく者たちを信じて魔法を解除しているのだ。
竜たちのその信頼に悪意の刃が降り下ろされた。
竜騎士や竜の飼育員たちの怒りは凄まじいものだった。
竜騎士に動くなと命じられた竜は何があっても動かない、声も出さない。主人である竜騎士に危険が迫らない限り、たとえ自分に何が起こってもその命令を守るのだ。
あの男の歪んだ笑顔を見て、あの子はどんなに悲しかっただろう。悔しかっただろう。
怒号が飛び交う中、ベルは涙を止めることができなかった。
体がふわりと浮き上がって、ベルはびっくりして顔を上げた。目の前にはベルを案じる優しく頼もしい顔があった。
「エドさん」
エドは果ての村から自分たちを連れてきてくれた気の良い竜騎士を見つけて「もう行っても良いか?」と尋ねると、そのまま騎士団の食堂に案内された。
公爵家までの案内の人間が来るまでここで待て、ということらしい。
普段はたくさんの人がいるのであろう場所に、今は誰もいない。おそらく全員先程の現場に駆けつけているのだろう。
魔法の鞄からポットとカップを出し、ベルとエドは温かいお茶を飲んだ。魔法の鞄には状態保存の魔法もかかっているので、温かい物は温かいまま保存されるのだ。
しばらく待っていると、2人をここに案内してくれた騎士と一緒にあの黒髪の騎士がやって来た。
黒髪に青い瞳のその騎士はギルバート・レインと名乗った。18歳という若さで飛竜部隊の副隊長を務める彼がレイン公爵家の3男。今回の患者であるマーガレット・レインのすぐ上の兄であった。