(6)呪われた公爵令嬢
レイン公爵は苦悩していた。
彼には今年12歳になる娘がいる。小さな花の蕾のような、華やかさはないが回りの人を優しい気持ちにさせる愛らしさを持った娘だ。
この娘が王太子と婚約したのは3年前のことだった。王太子は娘の1つ歳上、穏やかで真面目な少年だ。年回りもちょうど良い。
公爵は娘の王妃としての資質と1人の女性としての幸せを考え、この婚約に同意した。
娘は公爵や回りの期待に応えてお妃教育をこなし、未来の王妃への道を順調に歩んでいた。
これまでは。
娘が沈んだ様子を見せるようになっていたのは気づいていたが、疲れたのだろうと軽く考えていた。
仕事でしばらく会えなかった娘に久しぶりに会って驚いた。
痩せて蒼白い頬。無表情な顔に光を失った瞳。
これはただ事ではないと初めて気づいた公爵はすぐに治療師を呼んだ。
診断の結果はなんと“呪い”。その場にいた者たちの表情がこわばった。
“呪い”には大きく分けて3種類のものがあると言われている。
1つ目が魔物による呪い。
深い森の奥やダンジョンの深部にいる強い魔力を持つ魔物の中に、呪いを攻撃手段として使うものが稀にいる。
しかし王都から出たことの無い貴族令嬢がそんな魔物に出会うはずがない。
2つ目は魔道具によるもの。
遺跡の中から時々古代の闇魔術師による呪いの魔道具が発見されることがある。王都の警備の目をすり抜けて入って来る可能性も無くはないが。
娘が出入りする場所の中、お妃教育で通う王城と今年から通っている魔法学院は危険な魔道具に対する備えが完璧で、そこに呪いの魔道具が紛れ込むとは考えられない。
残る公爵家の屋敷の中を徹底的に、使用人の持ち物にいたるまで確認したが、それらしき物は出てこなかった。
そして3つ目が闇属性の魔力をもつ人間による闇魔法の呪いであるのだが。
じつのところ、闇魔法の呪いは“ありえない”ものだ。
いや、闇属性の攻撃魔法に呪いは確かに存在する。闇属性の攻撃魔法とは、呪いのほか、魅了、精神誘導、感情誘導など、他者の精神に働きかけて言動を操作するような魔法を言う。しかし今現在ほとんどの国で闇属性の攻撃魔法は禁止されている。
7歳の魔力測定の時に闇属性を持っている子供は闇属性のみをその場で封印されるのだ。封印されると二の腕に銀色の封印紋が浮き出てくる。
闇属性にはベルが治療で使うような、精神安定、睡眠導入などの治療に有効な魔法も有る。こちらは治療師や薬師にのみ使用が許可されている。
闇属性を持つ者が治療師や薬師の免状を得てその職業に就く時、師匠によって闇属性魔法の一部が解放されるのだ。この時封印紋は銀色から金色に変化する。
希少な光属性以上に闇属性は少なく、ベルのような金色の封印紋の持ち主はめったにいない。
この国でも闇属性の攻撃魔法は禁止されている。国境や大きな都市の城門では魔道具による魔力感知が行われていて、闇属性が感知された人物は全員、この封印紋を確認される。
だから正確に言うと、闇魔法の呪いは“ありえない”ものと言うよりも“あってはならない”ものなのであった。
娘の呪いはすぐに解呪された。しかし何時、誰にやられたのかがわからない。本人も護衛の兵士たちも思い当たるところが無い。
魔法学院も王城も闇属性の攻撃魔法に関して最も守りの固い場所である。だとすると、狙われたのは移動中か? 公爵は娘の外出をしばらく止めさせ、護衛を増やして警戒した。
だが、解呪してから1週間後、娘は再び呪われてしまった。
今度は公爵家の中で起きた事件である。前回以上に大がかりな調査が行われたが、原因は突き止められなかった。
娘はすぐに解呪されたが、部屋に閉じ籠って出てこなくなってしまった。侍女たち以外部屋の中に入れようとしない。治療師の入室すら拒むほどである。
今のところ再び呪いの攻撃を受けた様子は無いが。せめて娘の部屋の中に入ることができるような女性の治療師か薬師をつけてやることができたら……
そんなとき、王城からの噂が聞こえてきた。
温泉旅行から帰ってきたケネス老師が持ち帰った薬が大層な効き目で、護衛の兵士の大怪我をあっという間に治してしまった。その薬を作った薬師はまだ若い少女であると。
◇◆◇◆◇◆
王都からの依頼状を前にして、ベルは何かの間違いだろうと思っていた。
ベルはたしかに師匠からきちんと免状を許された正式な薬師である。けれど、薬師としてはまだまだ駆け出しもいいところだ。
師匠が亡くなってまだ1年とちょっと。おそらく師匠と間違われているのだろうと。
とりあえずベルは依頼状を読んでみることにした。
依頼はレイン公爵家。ケネス老師から話を聞いてベルに依頼を出したと書かれていた。
(ケネス様……)
患者は御令嬢のマーガレット・レイン様、12歳。
12歳の少女が呪われた。それも2回も。夜は悪夢で眠れず。昼も幻覚に幻聴。食欲も無く、痩せ細って。笑顔を失って。
現在、呪いは解呪されたが本人は部屋に引き込もってしまって親にすら会おうとしない。
依頼状には驚くほど詳しい事情が書かれていた。公爵の娘に対する想いが溢れてくるような手紙だった。娘が大切なのだと。なんとか助けたいと。公爵家の体面などに構ってはいられないのだと。どうか娘の力になってやってほしいと。
公爵の親心にベルの心は大きく揺さぶられた。どこか自分の両親に似たものを感じる。
『解呪したにもかかわらず闇魔法や魔道具の気配も無く再び呪いにかかる』
じつはベルにはこの現象に思い当たるところがあった。
森の家の地下の書庫には闇魔法の書物がかなり充実していた。闇属性の魔力があるベルのために師匠が集めてくれた物だ。
医療関係者にとってはとても有用で便利な闇魔法であるが、一般的に見ると、人を操る恐ろしい魔法だと嫌悪する人も少なくない。
だから闇魔法について、もっと詳しく調べましょう。師匠がそう言ったのだ。
闇魔法とはどんな魔法なのか。攻撃魔法を含めてどんなことができるのか。どんな対処法が有るのか。何に気をつければ良いのか。
知っていれば相手に説明することができる。
知らないもの、わからないものは恐ろしい。だからベルが教えてあげれば良い。こうすれば大丈夫。怖い闇魔法はちゃんと防げる。闇魔法は怖くないと。
「教えてあげれば良いのよ。ベルは恐ろしい闇の魔女なんかじゃないって。だって、ベルはこんなに可愛いんだから」
いつもそう言って優しく笑ってくれた。
「師匠……」
ベルは必要な物を魔法の鞄に詰めこんだ。
闇魔法に怯えている12歳の女の子がいるなら、もう怖がらなくても良いように闇魔法のことを教えてあげなければならない。その子のそばにそれをしてあげる人がいないなら、自分が行こう。
ベルはそう決心したのだ。
次は明日の朝です。