(10)闇の魔法
“呪い”とは何か?
師匠と2人で闇の魔法についての書籍を読み漁り調べたベルの知る限りにおいて、“呪い”などと言うものは存在しない。
これが師匠とベル、2人の一致した意見である。神に祈っても呪いなど発動しない。神は人を呪わない。
呪いの正体は心理的な誘導と暗示、そしてトリックである。とベルは考えている。
人の心の弱点を言葉や行動、意図的に作り出された情況で抉り、動揺させ、傷を広げ、弱ったところに闇魔法の幻覚、幻聴でさらに追いつめ、人の心を壊す。
一連の手法によって人が正気を失っていく様がまるで呪いのようであることから、その正体がわかった今も、これらの手法は“呪い”と呼ばれ、これに対抗する光魔法を“解呪”と呼ぶのだ。
とくに古代の闇の魔法が呪いじみていたのは、幻覚や幻聴などを遠隔で発動させる魔法があったからだ。これを“暗示の種”という。小さくて強固な結界の中に幻覚魔法を封じ込め、人の中に仕込む。そして仕掛けられた相手が“発動の魔法陣”に触れると仕込んでおいた幻覚魔法が発動する仕組みだ。
果ての森の家の書庫にこの魔法について書かれた手書きの写本があるのだが、元の本は禁書に違いないと師匠は言っていた。どのような伝で師匠がこの写本を手に入れたのかはわからないが、この本は今、家の書庫のさらに下の隠し部屋に保管されている。
現在は失われた魔法であるとされていたが、これが今の時代に密かに伝えられていたとしたら、2度目の呪いの発動のわけが、そして犯人がわかるかもしれないとベルは考えていた。
今回のマーガレットの場合は現実的な、かなりおとなしい幻覚であったが、もっと恐ろしい魔物や悪魔などの幻覚が使われることもある。現実離れした幻覚を作り出すには高度な魔法技術が必要なので、今回の術者はあまり能力が高くはなかったのかもしれない。
もしくは、マーガレットを廃人にまで追い込むつもりはなかったということか。
マーガレットの呪いはすでに解呪されている。しかしベルにはマーガレットの呪いにまつわる幻が見えた。それは今現在マーガレットが治療を必要とする状態であり、その原因が呪いであったからだろう。
ただ、今回の幻はわかり難いものだった。
マーガレットを取り囲む険しい顔の人々。蔑んだ様に見下す教師たち。これは呪いが見せた悪夢や幻覚だろうか?
次にパーティーやお茶会に参加しているマーガレットの姿がいくつか。ドレスが違うのでそれぞれ別々のパーティーやお茶会なのだと思われる。
その合間にちらっと現れるマーガレットが手紙を読む場面。
マーガレットのやつれた様子。部屋着を着ていることから、1度目と2度目の呪いの間の出来事だろうか。
その全ての場面の中に紛れるように繰返し現れる気になるものがあった。
目だ。何度も何度もまっすぐにマーガレットと視線を合わせようとうかがっている2つの目。
まるでマーガレットの心の中をのぞきこもうとするような。どこかねっとりした気持ちの悪さを感じさせる目。恐らくこれがマーガレットに呪いをかけた人物だとベルは推測した。
2度目の呪いもまったく原因不明のままだが、なにもせずに呪いが発動するわけがない。公爵家の中に闇属性の持ち主が1人もいないのなら、原因は外からやって来たはず。
マーガレットは1度目の解呪から2度目の呪いを受けるまで、公爵家の外の人間とは接触していない。
その間、マーガレットと公爵家の外をつなぐ唯一の物が手紙であった。そしてその中に、
「あった」
ベルはいくつもあったお見舞いの手紙を確認し、1枚の便せんにたどり着いた。侍女に頼んでマーガレットに届いたお見舞いの手紙を全て出してもらっていたのだ。
几帳面な文字で便せんいっぱいに書かれた文章。内容はマーガレットを優しく気遣うもの。しかし。
ベルはこの便せんの中のいくつかの文字にペンで印を付けていく。(この単語。これも。こっちも。あと、ここ)やがて現れる文章の中に隠されていた文字による2重の円。そしてそのちょうど真ん中にあるのは、
“マーガレット・レイン”
“発動の魔法陣”だった。
貴族家に届いた手紙は本人が手にする前に係りの者に開封され調べられる。魔法的な罠などが有ってはいけないからだ。この便せんも当然そういった検査を受けたはずであったが、こうしてマーガレットの手にわたってしまっている。
この発動の魔法陣は書いた本人の闇属性の魔力にしか反応しない。闇属性の魔法についてよほど詳しく知らなければただの普通の手紙にしか見えない。そのため公爵家の厳重な検査をすり抜けたのだ。
そして目標にたどり着いた魔法陣はマーガレットの中の暗示の種に反応し、幻覚魔法を発動させた。
発動した幻覚魔法が解除されてもまだ発動していない暗示の種は結界に守られ気づかれずに残る。そして次の発動の時を待ち続けるのだ。呪いの対象が発動の魔法陣に触れる時を。
手紙の差出人は即座に捕縛された。ドレスを作る有名服飾店のお針子であった。このお針子は職人の助手としてマーガレットの採寸やドレスの仮縫いにも付いて来ていた。無口だが常に顔に微笑みを浮かべていた働き者と評判の娘だ。
1番目の呪い事件の発動の魔法陣はドレスの刺繍の中にあった。採寸や仮縫いの時にからだの中に仕掛けられていた暗示の種がパーティーやお茶会で新しいドレスを身につけることによって芽吹き、マーガレットを幻覚魔法で追い詰めていたのだ。
貴族令嬢に憧れる地方出身の素朴で平凡な娘だと思われていたが、その娘の左の二の腕には闇属性持ちを示す銀色の封印紋があった。
彼女の腕の封印紋は王立魔法院の厳重な検査により、封印紋検査の時に光を放つだけの魔法処理が施された入れ墨であることが発覚し、封印紋検査の魔道具を作った魔法院魔道具課の面々は頭を抱えた。
しかしそれ以上に問題になったのは闇属性の攻撃魔法を利用しようとする正体不明の組織の存在だった。封印紋を誤魔化すことなど個人にできることではない。何らかの大きな存在が後ろに控えていることが推測された。だが、ここで捜査は行き詰まった。
お針子が魔力検査を受け、封印紋を施されたのはこの国ではなかったのだ。他国に捜査の手を伸ばすことはできない。その代わりに国内の闇属性持ちの再検査が各地で一斉に行われることになった。
お針子の出身国がカタリナ王女の母国であったのははたして偶然であったのか。王女はお針子の捕縛のあとまもなく帰国し、学院に退学の届けが出されることになるのであった。
ベルが到着したその日に犯人が捕縛されたことは、公爵家の人々を驚かせた。マーガレットと同じ年頃の少女であるという以上の価値をこの小さな薬師に見いだしていた者ははっきり言って1人もいなかったのだ。




