(1) 果ての森の小さな薬師
エドはドアの前に付いている鐘を慣れた様子で鳴らした。
カランカランと静かな森に意外に大きく音が響く。
この小さな森に魔物はいない。獣達もこの家には近づいて来ない。そういう結界を張っているのだと、先代の薬師は言っていた。
しばらく待つと、パタパタと小さな足音がしてドアが細く開き、そこから目が片方だけのぞいた。
「狩人の見習いが毒にやられた。まだら蛇だ。見習いは10歳の男の子だ。そんなに重くないが足に痺れがある」
中の人物が無言で小さくうなづく様子があり、ドアが閉まった。
エドは荷馬車の後ろに専用の踏み台を置くと馬の相手をしながら少し待つ。
すぐにドアから小さな人物が出てきた。
治療師か薬師であることを示す白色のローブは少しダブダブで、小さな体がよけいに小さく見える。斜めがけにした大きな鞄。ローブのフードを深く被り顔を隠している。今年13歳になるはずだが、もっと幼く見える女の子だった。
この子が先代のあとを継いだ薬師だ。名前はベルという。
険しい山に囲まれ、陸の孤島と言われるエドの住む村に来てくれる薬師はこの子しかいない。
ベルは足早に馬車に駆け寄るとエドに会釈をし、踏み台を使って荷台によじ登った。
エドは踏み台を馬車の荷物入れにしまうと村に向かって出発した。
エドが薬師の送り迎えや、食料、日用品の運搬を引き受けるようになって10年になる。
去年、先代が亡くなって小さな弟子があとを継いだ時、エドはこの役目を誰か他の人間に代わった方が良いのではないかと思った。
ベルが極度の人見知りであることを知っていたので、自分のような大男よりも適任が他にいくらでもいると思ったからだ。
しかし、ベルはエドを指名した。珍しくはっきりと声に出して、エドで良いではなく「エドさんが良い」と。
こちらをそっとうかがいながら、ちょこまか動く女の子は臆病な妖精か小動物のようで見ていて飽きない。エドはこの役目をけっこう気に入っていた。
◇◆◇◆◇◆
【エド】
(状態)良好
今日もエドさんは健康です。怪我もありません。丈夫で頑丈そのもののエドさんは私にとって心からありがたいと思える存在なのです。
エドさんは今年28歳。見た目が恐いせいで未だに独身? もったいない。私なら結婚相手は絶対エドさんみたいな人が良いのに。
でも、声に出してそんなことは言えません。私は人と話すのが怖いのです。
そんな人間恐怖症の私が、人と接するのが当たり前の薬師などという仕事をしている。
これはもう、私の持って生まれた運命としか言いようがないことでした。
◇◆◇◆◇◆
森の家から村までそれほど遠くはない。村に着いた馬車はそのまま村の中を走って集会所の前に停まった。
エドが踏み台を置いてやると、ベルは荷台からそっと外をうかがい、急いで荷台から降りてとたとたと集会所の中に駆け込んだ。
集会所の中はけっこう広い部屋になっているが、その一画を間仕切りで囲ってベル専用の治療所に仕立ててある。
いつもは準備ができてから患者に入ってきてもらうのだが、今日はもうそこに狩人見習いの少年が座っていた。側に彼の師匠も付き添っている。
ベルは鞄をおろして、急いで準備を始めた。
【カイ】
(状態)まだら蛇の毒による右足の痺れ、軽度
どうやら魔法を必要とするほど重症ではないようだ。魔力量が多い方ではないので助かる。ベルは鞄の中から白の解毒薬を取りだしカイに飲ませた。
しばらく右足を擦っていると足が少し温かくなった頃には薬が効いてきて、カイは自分の足で歩いて帰って行った。帰り際、師匠にこづかれて少しばつが悪そうにベルに頭を下げた。
まだら蛇は臆病な蛇だ。大きな声や音で脅かしたりしなければ自分から人を襲うことはない。カイ少年はこれからみんなに盛大にからかわれることを思ってか憂うつそうだ。
ベルがホッとしていると、待ち構えていた村人達が順番にやって来た。
今日は始まったばかり。仕事はこれから。ベルは両手で小さな拳を作って気合いを入れた。
【ジョン】
(状態)右足首捻挫、軽度
【ティナ】
(状態)風邪、発熱
【ダニエル】
(状態)腰痛、慢性
ジョンさんには赤の回復薬を飲んでもらう。足の痛みが無いか少し関節を動かして確認。
ティナちゃんは治癒魔法を軽く。甘い栄養剤に用法用量を書いた紙を添えてお母さんに渡す。水分摂取はいつもより多目にお願いする。
ダニエルさんにはいつもの湿布薬を。回復魔法もサービス。
患者を見ると目の前に浮かび上がる文字。患者の症状を教えてくれるこの能力は、ベルだけの特別なものらしい。
今ではとても便利でありがたい能力だが、幼い頃のベルやベルの家族にとっては呪いのようなものだった。
文字が見えるのはまだ良いのだ。幼い子供には文字などただの意味のわからない模様だ。問題はもうひとつの方。
ベルが “見える” のは文字だけではない。
たとえば、初めて弓矢で兎を射ぬいた嬉しさに飛び上がって歓声を上げ、驚いたまだら蛇に噛まれるカイ少年の姿。
大きな荷物を運んでいる時に転んで、顔を歪め蹲っているジョンさん。
外でお母さんに背負われている時に急な雨に濡れてしまったティナちゃん。
そう、怪我や病気の原因となった場面がベルには幻のように現実と重なって見えるのだ。
この能力に目覚めたのは3歳の時。人を見ると泣き、時には家族を見ても泣く。その理由が誰にもわからない。子供の説明は要領を得ない。
親は心配し、困り、疲れ、いろいろな人の話を聞き、相談し、つてをたどり、ついには住んでいた町から遥か遠くの “果ての森の薬師” に子供を託すことになった。ベルが5歳の時だった。
薬師は見た目も、その性格も温かい穏やかな女性で、子供の相手に慣れていた。上手に子供から話を引き出すと、その能力の特殊性と有用性にすぐに気づいた。
そしてベルは薬師の弟子になった。
遠い町に帰って行った両親と、その後会うことはなかった。今なら、あの頃親がどれだけ悩んだか、辛かったかを察することができる。面倒な子供を見捨てないでいてくれたことには感謝の気持ちしか無い。
いつも疲れた顔をしていた両親は、今、穏やかに暮らしているだろうか。そうであってほしいとベルは思った。