侯爵令嬢「美しく死にたいの!」
「オリヴィア。君との婚約を破棄する」
屋敷の大広間に冷たい言葉が響き渡る。
婚約者であるバーナードからの言葉に,オリヴィアは愕然とする。
だが,激しい動揺はない。
薄々勘付いていたのか,彼女は唇を震わせた。
「……理由をお聞きしても?」
「分かっているだろう? 全ては君に宿る呪いが原因だ」
「っ!」
バーナードは一切彼女に近づかない。
彼を守る複数の護衛も,常に顔を強張らせている。
全てはオリヴィアが発現した力。
触れた者の命を奪う死の呪いが原因だった。
「君に触れるだけで,その者の命は奪われる。本来ならこうやって語り合う事すら,私にとって危険なことなんだ」
「バーナード様……」
「命を失う危険を背負ってまで,君と婚約を続ける理由はない。即刻,この場から立ち去りたまえ」
手袋をしていようが,鎧を着ていようが,オリヴィアに触れたという事実があれば呪いは発動する。
意思に関係なく,他者の命を奪う。
それが,彼女が15歳の誕生日に目覚めた力だった。
当然,そんな力のまま婚約が続く筈もない。
婚約者のバーナードは事態を重く見て,その契約を破棄した。
当のオリヴィアも薄々感じていたことだった。
だからこそ,彼を責めることも,問い質すこともしなかった。
「触れただけで命を奪うなんて……なんて恐ろしい……」
「近寄らない方が良い。触れなければと言っても,傍に寄っただけで殺されてしまうかもしれない……」
「度し難い呪いだ……。よもや,こんな事があろうとはな……」
周りの貴族だけでなく,民衆ですらオリヴィアの呪いを知っている。
かつては敬意を表されていた彼女は,今では死の象徴として恐れられるようになった。
そしてそれは身内も例外ではなかった。
「オリヴィア。君を自由にする訳にはいかない」
「お父様……!」
「ごめんなさい,オリヴィア。これも,貴方のためなの」
「お母様……! 私は,私はこれからどうすれば良いのですか……!?」
オリヴィアの両親は,彼女を屋敷の地下牢獄へと閉じ込めた。
呪いによってザーヴァルド家の名に傷がつかないようにするためだ。
地位も名誉も失くした彼女に,与えられるものはなかった。
誰もが腫れ物として扱い,近づく者すらいない。
もう誰にも触れることが出来ない。
そうして何日もの時が経って,オリヴィアは悟る。
自分に残された道は死だけだと。
だが,この牢獄の中で命尽きることだけは,どうしても許せなかった。
「せめて……この命尽きるのなら,せめて……」
美しい場所で,美しく死にたい。
故にオリヴィアは逃げ出した。
一瞬の隙を突いて牢獄を抜け,屋敷の外へと飛び出し,真夜中の闇に姿を暗ませた。
「オリヴィア様がいらっしゃいません!」
「何だと!? 逃げ出したと言うのかッ!?」
「彼女を放っておけば,多くの犠牲者が出るかもしれん! 必ず探し出せ!」
屋敷全体が騒々しくなる中,オリヴィアは一目散にある場所へと向かった。
それは近くにある,深い森の中だった。
夜中ということもあって,ここへ逃げ込めば簡単には追って来られない。
一人で散策したことなどないが,兎に角木々の中へと逃げ込んだ。
「ここまで来れば……暫くは大丈夫な筈……」
ある程度の距離を走って,オリヴィアは立ち止まった。
これでしばらくは時間を稼げる。
その間に,誇り高い死を選ばなければならない。
彼女は周囲を見渡し,その方法を思案する。
「美しく死ぬ方法……首吊りなら……」
縄などないが,辺りにある蔦で紐を造れば何とかなるだろう。
慣れない手つきで紐らしいものを作ってみる。
強度を確認し,先端に輪を作り首に引っ掛けられるようにする。
そうして大きな樹の幹に,その紐を取りつけようとした。
だがそんな時,突然背後から声が掛かる。
「そこで,何をしているんだ?」
「えっ?」
まさか,もう追手がやって来たのか。
オリヴィアは振り返ったが,そこにいたのは奇妙な青年だった。
服装は旅人のそれだが,白い髪と赤い瞳が,月明かりに照らされて美しく輝いている。
美男子,中性的な容姿から女性に見えないこともない人物だった。
思わず見とれかけたが,彼女は我に返って問う。
「私を追って来たの?」
「追って? 何の話か分からないが,君は追われているのか……?」
彼は首を傾げる。
どうやら全くの無関係らしい。
ならば,もう気にする必要もない。
オリヴィアは自棄になりながらも返答する。
「別に。ただ命を絶とうとしていただけよ。放っておいてくれないかしら」
「え……? いや,そう言われても……」
不意を突かれたような顔をする青年を置いて,オリヴィアは背を向ける。
一般人の目に触れてしまったのなら,追手に見つかる猶予もない。
手早く,かつ美しく死ぬ。
彼女は力を込めて首吊り縄を握りしめる。
しかし,引き止めるように青年が声を掛けてくる。
「まさか,貴方はザーヴァルド家の御令嬢,オリヴィア様では?」
「だとしたら,どうだと言うの? 分かるでしょう? 私に触れれば,貴方は死ぬ。死にたくなければ,近づかないことね」
どうやら青年は彼女を知っていたらしい。
ならば都合が良い。
下手に引き止められるより,恐れられて逃げられる方が死に易い。
あくまで冷たく,オリヴィアは言い捨てた。
「死の呪い……噂は本当だったのか……」
すると彼は顎に手を触れて考える。
恐怖を感じている素振りは見せない。
それどころか,何故か一歩一歩近づいてきたのだ。
流石のオリヴィアも動揺を隠せなくなる。
「き,聞いていたの? 私に近づけば……」
「いや,これで良い。このままで良いんだ」
「何ですって?」
青年は微かに笑う。
やっと見つけた,と言わんばかりの満ち足りた表情で自身の身体を指差した。
「僕を殺してはくれないだろうか?」
沈黙が流れる。
風が流れ,木々の葉が掠れる音が響く。
オリヴィアは紐を掴んでいた手の力を緩めた。
「……仰っている意味が,分からないのだけど」
「どうか,僕を殺して頂きたい。貴方の持つ,その力で」
「はぁ……? 何を言って……」
今まで彼女に殺されることを望む者は誰一人いなかった。
この青年は,自分と同じく死ぬためにこの森に来たと言うのか。
親近感と焦燥を抱いたオリヴィアは,動揺の果てに思わず足を踏み外してしまう。
声を上げる暇もない。
重力に従って,首吊りの紐を持ったまま転落する。
「危ないッ!」
そんな彼女に青年は駆け寄った。
ドサリ,という音と共に全身に衝撃が伝わる。
そして目を瞑っていたオリヴィアは,尻の下に地面でない感触があることに気付く。
まさかと思い慌てて下を見ると,青年は彼女の下敷きになっていた。
「……痛たた。危うく首を吊らせてしまう所だった。オリヴィア嬢,怪我は?」
オリヴィアは思わず飛び退き,顔を青ざめさせた。
やってしまった。
彼女に触れた者は,例外なく死ぬ。
青年にも今の接触で死の呪いが降りかかってしまった。
最後の最後で人を殺してしまうことになったのだ。
傷心のオリヴィアは,楽観的な青年を見下ろすことしか出来ない。
だが,一向に変化は訪れない。
青年は腰を擦りながら,その場から立ち上がった。
本来なら,既に死んでいても不思議ではない。
なのに,彼は全く死ぬ気配がない。
オリヴィアは声を震わせた。
「ええと……私は大丈夫だけど……その,何ともないの……?」
「えっ? あっ……」
青年もようやく気付いたらしい。
触れても全く死ぬ予兆がないことを知り,オリヴィアと自分とを交互に見比べる。
そして暫くして,彼はオリヴィアと同じように青ざめた。
「駄目,だったのか。これでも僕は死ねないのか……何てことだ……」
「あの……ええと……」
「これから,一体僕はどうすれば……」
「ちょ,ちょっと,貴方!」
思わずオリヴィアは叫ぶ。
「今,確かに私に触れた筈! なのに,どうして平気なの!?」
「あぁ……それは多分……」
青年は一度息を吐いてから,こう言った。
「僕には生の呪いがあるんだ」
●
青年の名前は,レーヴェ・トライドール。
出身は此処から遠く離れた帝国,加えて伯爵家の子息だったという。
彼はオリヴィアと同じく,15歳の誕生日に呪いを発現した。
決して死ぬことの出来ない,生の呪い。
不死だけでなく身体の成長すら完全に止まった,所謂不老不死。
彼は暫くして,己の異質さに気付いたらしい。
「どの道,帝国に残っていれば僕の噂は広まり,余計な戦乱を招くかもしれない。だから,地位も名誉も捨てて逃げ出したんだ」
「……ちなみに,今のお歳は?」
「うーん。数えてないから分からないけど,300は超えているだろうか?」
さも当然のように,レーヴェは言った。
最早歳を数える気もないらしい。
「どれだけ時が流れても,僕だけが生きている。僕の知り合いは皆,とうの昔に死んでしまった。これからもそれが続くと思うと,何だか疲れてしまってね。だから,人として死ぬための方法を探してきた」
「それで……私に……?」
「そう。オリヴィア嬢の力なら,僕の呪いをも殺せると思っていたけど……考えが甘かった。どうやら神様っていうのは,僕を簡単には殺してくれないらしい」
「……」
「いや,申し訳ない。自分の都合ばかり押し付けて」
「いえ……私は別に……」
オリヴィアは目を逸らした。
彼の容姿がとても浮世離れして見えるのは,そのせいだろうか。
赤い瞳を見ていると,吸い込まれてしまいそうな錯覚を抱く。
死の呪いを受けない人物が現れたことで,感傷的になっているのかもしれない。
彼女は振り払うように首を振った。
レーヴェがいた所で何も変わらない。
自分がすべきことは一つ。
オリヴィアは取り落とした首吊り紐を手に取った。
「……本当に死ぬつもりなのかい?」
「私が生きていれば,ザーヴァルドの名が汚れてしまう。その前に,侯爵家令嬢として美しく死ななければならないの」
「美しく死ぬ?」
「私自身が誇れる死を。そうすれば,お父様やお母様も少しは私のことを覚えていてくれるから」
「本当に?」
「……勿論よ」
これ以上,迷わないためにもオリヴィアは背を向ける。
もう一度紐を取り付けようと,木に近づく。
だが,レーヴェは呼び止めた。
「だとしたら,首吊りは良くない」
「えっ?」
やっぱりオリヴィアは振り返る。
彼は真剣な表情で,彼女の持つ紐を見た。
「聞く所によると。死んだ後は全身が弛緩するから,悲惨なことになるとか。首吊りだとそれが特に顕著で……」
「な,何を言って……?」
「美しくない,ということだよ」
そんなことを言った。
「僕も何度か試みたけれど,首吊りは苦しいだけだよ。気絶から戻った時の苦痛なんて,思い出しただけで震えが止まらない」
「……く,詳しいのね」
「まぁ,実体験だから」
表情を変えることなくレーヴェは言う。
どうやら彼は,此処に来るまでに色々な自殺を試してきたらしい。
そしてどの方法でも死ねず,彼女の力を頼った。
何となくだが,オリヴィアにも彼の経緯が分かってきた。
同時に,首吊りで死ぬことに美しさを感じなくなった。
場所を変えて,別の死に方を探そう。
肩の力を抜きながら,彼女は首吊り紐を手放した。
続いて彼女が赴いたのは,森の中にある湖。
かなり広い場所で,遊泳禁止という看板が傍に立て掛けられている。
水の音はなく,代わりに微かに虫のさざめきが聞こえる。
暫く湖を見つめていた彼女に,黙って付いてきたレーヴェが首を傾げる。
「ここは湖?」
「えぇ。それなりの底の深い場所よ。中心に行けば,簡単に溺れることも出来るわ」
「……まさか,入水自殺をする気なのか?」
「何かしら。童話でも時々あるじゃない。失意の人が,湖の底に沈んでいく話。語り継がれるということは,それだけ美しいということ。ここで私が再現してみせるわ」
首吊りがダメなら入水で死んでみせよう。
オリヴィアは,一歩一歩湖へ踏み出す。
だが,足が水に触れるよりも先にレーヴェが呼び止めた。
「いや,入水は良くない」
「……またなの?」
「実の所,首吊りよりも入水の方が苦痛度は高いんだ。首吊りは血管が締め上げられるから気絶して,そのまま意識を失ったまま死ぬことも出来る。でも,溺死はそうじゃない。肺に水が溜まって,呼吸が出来なくなるまで時間が掛かるんだ」
「つまり……?」
「美しくない」
そんなことを言った。
「僕も試したことがあるけど,あれ程酷い死に方はないよ。呼吸が出来ずに何度も何度も意識が覚醒する。寧ろ苦しすぎて意識が戻るっていうヤツかな。しかも,水死体は溺死の苦痛から酷い顔をしていると聞く。更に長時間水に触れているせいで,全身が水風船のように膨れ上がる。美しさの欠片もない」
「……」
「入水は止めた方が良い。経験談としてね」
レーヴェは真面目な顔で指摘する。
そう言われて,足が進む筈もない。
脱力気味に肩を落としたオリヴィアは,フラフラと別の場所へと赴いた。
何でも良い。
兎に角,死ななければ。
そんな思いが先行して辿り着いたのは,断崖絶壁の崖だった。
下には先ほどの湖に繋がる川が流れている。
「ここは? 結構な崖だけれど?」
「えぇ。かなりの高さがあるわ。ここから落ちれば,間違いなく即死ね」
「……まさか飛び降り自殺をする気なのか?」
「何よ。ここから飛び降りれば,一瞬で死ねるわ。苦痛なんてない。死ぬには最適じゃない」
割と自棄な態度を見せるオリヴィア。
そんな彼女に対して,レーヴェはもう一度呼び止める。
「いや,飛び降りは良くない」
「……」
「確かに即死という意味で,これ以上に優れた死に方はない。でもその後のことを考えてほしい。死ぬ程の高さから飛び降りると言うことは,それだけの強い力が全身に襲い掛かるということ。そんなものを受けて,人の形を保っていられると思うかい?」
「……で? まさかとは思うけど?」
「そう。美しくない」
彼はやっぱりそう言った。
「僕も試したことはあるけど,本当に災難だったよ。言い換えるなら,新鮮な卵を床に振り下ろした惨状と同じだね。人の原型がない,ただの肉塊。元の身体に戻すのにどれだけ苦労したか。掃除する人の身にもなってみたら,これ程悲惨なものはない。アレを美しいとは,とてもじゃないけど言えないね」
「その例え,止めてくれないかしら……」
「これは失礼」
何故こうも自殺を止めようとするのか。
オリヴィアは深い溜息を吐いた。
「どうして,一々私の死に方に茶々を入れるのかしら?」
「うーん。実体験もあったから,どうにも口を挟まずにはいられなくて」
「そんなに死に方に詳しいのなら,いっその事教えてくれないかしら?」
「え?」
「美しく死ぬ方法,貴方なら知っているんでしょう?」
レーヴェも死を求めて今まで彷徨ってきた。
なら理想的な死に方の一つや二つ,覚えていても不思議ではない。
すると彼は数秒も経たない内に答える。
「ないかな」
「ない?」
「そう。美しく死ぬ方法なんてない。そもそも死ぬ方法自体,数が知れている。その中に美しさを求めるのは,砂漠の中で砂金を探すような確率だよ」
オリヴィアの求める死は,何処にもない。
そう断言され,彼女は俯いた。
背後の崖から吹いた風が,全身を震えさせる。
それでも諦めるわけにはいかなかった。
「私は……私は誇り高く死ななければならないの。それが今の私にできる唯一の務め」
「そんな顔で言われても,説得力はないかな」
レーヴェは震えるオリヴィアの手を見つめ,核心を突く。
「何度も自殺を試みた僕から言わせてもらう。君は死を望んでいない」
「っ……!」
胸を貫かれたような感覚を抱き,思わず彼女は声を荒げた。
「私だって,こんな真似したくないわよ! こんな呪いさえなければ,婚約を破棄されることも,お父様やお母様から見放されることもなかった! もう,選択の余地なんてないの!」
誰からも疎まれ,誰からも必要とされない。
最早,残された道は死以外にない。
感情の赴くままに,オリヴィアは崖に向かって思い切り踏み出した。
だがその瞬間,グイッと彼女は手を引かれる。
振り返ると,レーヴェが今まで誰も触ろうとしなかったその手を掴んでいた。
「少なくとも,僕は違う」
「……!」
「この呪いのせいで,僕は君の呪いを受けない。こうやって,手を引くことだって出来る」
オリヴィアを死なせる気はないらしい。
生の呪いを持つ彼の手は温かく,オリヴィアにとっては久しぶりの感覚だった。
かつての記憶が溢れかえり,少しだけ彼女の瞳が潤んだ。
「本当に君が美しい死を望むなら,一つだけ方法がある」
気休めではなく,真剣な様子でレーヴェは言う。
「精一杯生きることだ」
「……生きる?」
「生きることに全力を尽くして,何一つ心残りがない中で死んでいく。そういった人は,とても満ち足りた表情で命を落とす。美しい死と呼ぶべきものがあるなら,まさしくそれだと思う」
「満ち足りた死……」
「死ぬことと違って,生きることには星の数ほど選択肢がある。死の呪いを抱えていたとしても,視野を広げれば,その余地は必ずあると思う」
「貴方は,満足しているの?」
「人の何倍も生きたんだ。僕はもう十分さ」
レーヴェは微かに笑う。
美しく死ぬには,与えられた生を全うしなければならない。
悔いの残らない生き方を歩み,そこで始めて自分の死を受け入れられる。
安らかな死は,ある種の美しさを持っているのかもしれない。
「死ぬために,生きる……」
「……そうだ。どうせなら,一緒に来ないかい?」
「え……?」
「死を探す旅だ。僕はかれこれ何十年も,人目を避けながらこんな事をしている。お互い目的は同じみたいだし,望むなら君の生を見届けることも出来る」
彼はオリヴィアの手を掴んだまま言った。
それは彼女にとって,地獄の底から垂らされた蜘蛛の糸のように見えた。
結末は変わらない。
どの道,自分は死ぬ運命を背負っている。
だがここで失意の果てに死ぬよりも,彼と共に少しでも生の実感を得られたなら,何かが変わるかもしれない。
オリヴィアは握られた手を見つめる。
しかし返答するよりも先に,茂みの奥から複数の影が現れる。
驚いて視線を移すと,武装した兵士達が躍り出てきた。
「見つけたぞッ!」
「間違いない! オリヴィア・ザーヴァルドだ!」
追手が追い付いてきたのだ。
全員が弓をつがえ,彼女を射殺さんと構えている。
彼らはオリヴィアを殺すことで,ザーヴァルド家の名誉を守ろうとしているのだろう。
「待て! 一般人がいるぞ!」
「構うな! 既に彼女の手に触れている! どうせ長くはない! 今はあの死神を仕留めることだけを考えろ!」
レーヴェの存在にも気付いたが,意に介すことはない。
何を説明した所で,彼らは決して武器を降ろさないだろう。
オリヴィアは一歩一歩崖の方へと後退る。
代わりにレーヴェが矢を向けられながら,冷静に彼女を見つめた。
彼は先程の返答を待っているようだった。
「オリヴィア嬢,君の答えは?」
「私は……」
握られた彼女の手に,力が込められた。
「放てッ!!」
矢が放たれると同時に,レーヴェは彼女を抱きかかえて飛んだ。
彼の背中に次々と矢が突き刺さるが,それが見えたのも一瞬。
そのまま崖の方へ,断崖絶壁の底へと落ちていく。
兵士達が思わず崖の底を見るが,最早何も見えない。
二人は崖から転落し,闇の中へと消えていった。
●
「痛たた……死なないとは言っても,やっぱりこういうのは堪えるよ」
「ほ,本当に大丈夫なの?」
「なに,この程度で僕は死なないよ」
突き刺さった最後の矢を抜き取り,レーヴェは何でもないように言う。
地面には血の付いた矢が何本も転がっている。
全く大丈夫には見えないが,血色は良好だった。
レーヴェは真上を見上げ,先程までいた崖を見つめた。
「追手は引き上げたようだね。あれだけの高さから落ちたんだ。お互い死んだと思われているだろう」
崖に転落したものの,落下先は河川の中。
加えてレーヴェが衝撃を全て庇ってくれたこともあり,奇跡的にオリヴィアには傷一つなかった。
当然全身はずぶ濡れだが,彼は殆ど見ず知らずの自殺志願者を,身を挺して助けた。
その事実に変わりはない。
「……ありがとう。私を助けてくれて」
「お礼を言われる程でもないさ。君が望んだから,そうしただけだよ」
「望んだ……私が……?」
「矢を向けられたあの時,君は確かに僕の手を握った。そこに生きたい,という意志を感じたんだ」
オリヴィアは自分の手を見下ろした。
確かに兵士達から矢を向けられた時,彼の手を握り返したような気がする。
あれは,自分が押し込み続けてきた思いだったのか。
死の呪いに苛まれ,それでも尚生きたいという気持ちが現れていたのかもしれない。
彼女は微かに震える両手を合わせ,ゆっくりと握りしめる。
少し寒い。
だが不快感はなかった。
「そうなのね……。私は,生きたかったのね……」
「これで少しは思い直してくれたかな?」
「そう,かもしれないわ……」
「だったら生きよう。君自身が誇れる,美しい死を見つけるためにも」
レーヴェは彼女を拒絶しない。
濡れた髪に触れながら,その場から立ち上がる。
「ここから遠くない所に僕の別荘がある。呪いの研究とか,まぁ色々なことをしていた場所だから,先ずはそこに向かおう。お互い濡れたままの服じゃあ,格好も付かないしね」
それだけ言って,レーヴェは背を向けて歩いていく。
華奢な彼の背中には,何本もの矢が刺さった跡が残っていたが,既に傷は塞がっていた。
付いてこい,とはハッキリと言わない。
だがオリヴィアは自然と彼の後を追っていく。
最後に後ろを振り返り,虚空を見上げて呟く。
「お父様,お母様。ごめんなさい。私は今から,別の人生を歩みます」
誰の返答もない夜。
彼女は森を去り,闇の中へと消えていった。
それからというもの。
オリヴィアはレーヴェの元で暮らし,己の生き方を見つけるための術を探った。
侯爵家令嬢という立場から忌み嫌われる存在に堕ちても尚,再び自分が誇れる生を得るために。
そしてその結果。
彼女は今,仕立て屋をしている。
元々ずぶ濡れだった衣服の替えとして,オリヴィアはレーヴェから譲り受けた道具を用いて,自分用の衣服を何着か作った。
元侯爵家令嬢として,それなりに華やかで,最近の流行も取り入れたドレス等。
ある程度のことは器用にこなせるので,服を作るのも訳はなかった。
自分用で完結させるつもりだったそれだが,色々な偶然が重なり,とある街で一般人の目に留まる。
他の服屋では見ない彼女のセンスを目の当たりにした人々は,そこから服の評判を広めた。
瞬く間に噂は様々な街を移り,次第には国境をも超えるようになった。
オリヴィアはそこに,生きる目的を見つけたのかもしれない。
死の呪いは,あくまでオリヴィアに触れた時のみ発動する。
彼女が作った服自体には,死は伝染しない。
だからこそ,彼女は何着でも服を作ることが出来た。
ただ,人前には絶対に出ない。
服の売買は,レーヴェが行うことになる。
彼もまた,二つ返事で引き受けた。
呪いを解除する方法を探る彼としても,様々な人から情報を得るためにも効率が良いと判断したのだろう。
そして数年の内に,オリヴィアの仕立て屋としての才能は,他に類を見ないものとなった。
姿は見せない。
性別はおろかどんな人物なのかも分からない。
ただ黙して,最高の服を仕立て上げる。
人々はいつしか彼女のことを『深窓の仕立て屋』と呼ぶようになった。
「ただいま,オリヴィア」
とある日の夕暮れ。
未だに死を探すレーヴェは,森深くの別荘に帰宅し声を掛ける。
するとその気配に気付き,玄関まで歩み寄る少女の姿があった。
最早彼女は侯爵家令嬢ではない。
だが命を絶つことばかりを考えていた以前とは違い,明るく確固とした意志を感じさせる。
「おかえり,レーヴェ」
その少女,オリヴィアはにっこりと笑う。
彼女が今,何を思っているのか。
今でも死を願っているのか。
レーヴェが聞くことはない。
ただ一つだけ分かるのは。
彼女は今を精一杯生きている,ということだけだった。