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侯爵令嬢「美しく死にたいの!」

作者: 立草岩央

「オリヴィア。君との婚約を破棄する」


屋敷の大広間に冷たい言葉が響き渡る。

婚約者であるバーナードからの言葉に,オリヴィアは愕然とする。

だが,激しい動揺はない。

薄々勘付いていたのか,彼女は唇を震わせた。


「……理由をお聞きしても?」

「分かっているだろう? 全ては君に宿る呪いが原因だ」

「っ!」


バーナードは一切彼女に近づかない。

彼を守る複数の護衛も,常に顔を強張らせている。

全てはオリヴィアが発現した力。

触れた者の命を奪う死の呪いが原因だった。


「君に触れるだけで,その者の命は奪われる。本来ならこうやって語り合う事すら,私にとって危険なことなんだ」

「バーナード様……」

「命を失う危険を背負ってまで,君と婚約を続ける理由はない。即刻,この場から立ち去りたまえ」


手袋をしていようが,鎧を着ていようが,オリヴィアに触れたという事実があれば呪いは発動する。

意思に関係なく,他者の命を奪う。

それが,彼女が15歳の誕生日に目覚めた力だった。

当然,そんな力のまま婚約が続く筈もない。

婚約者のバーナードは事態を重く見て,その契約を破棄した。

当のオリヴィアも薄々感じていたことだった。

だからこそ,彼を責めることも,問い質すこともしなかった。


「触れただけで命を奪うなんて……なんて恐ろしい……」

「近寄らない方が良い。触れなければと言っても,傍に寄っただけで殺されてしまうかもしれない……」

「度し難い呪いだ……。よもや,こんな事があろうとはな……」


周りの貴族だけでなく,民衆ですらオリヴィアの呪いを知っている。

かつては敬意を表されていた彼女は,今では死の象徴として恐れられるようになった。

そしてそれは身内も例外ではなかった。


「オリヴィア。君を自由にする訳にはいかない」

「お父様……!」

「ごめんなさい,オリヴィア。これも,貴方のためなの」

「お母様……! 私は,私はこれからどうすれば良いのですか……!?」


オリヴィアの両親は,彼女を屋敷の地下牢獄へと閉じ込めた。

呪いによってザーヴァルド家の名に傷がつかないようにするためだ。

地位も名誉も失くした彼女に,与えられるものはなかった。

誰もが腫れ物として扱い,近づく者すらいない。

もう誰にも触れることが出来ない。

そうして何日もの時が経って,オリヴィアは悟る。

自分に残された道は死だけだと。

だが,この牢獄の中で命尽きることだけは,どうしても許せなかった。


「せめて……この命尽きるのなら,せめて……」


美しい場所で,美しく死にたい。

故にオリヴィアは逃げ出した。

一瞬の隙を突いて牢獄を抜け,屋敷の外へと飛び出し,真夜中の闇に姿を暗ませた。


「オリヴィア様がいらっしゃいません!」

「何だと!? 逃げ出したと言うのかッ!?」

「彼女を放っておけば,多くの犠牲者が出るかもしれん! 必ず探し出せ!」


屋敷全体が騒々しくなる中,オリヴィアは一目散にある場所へと向かった。

それは近くにある,深い森の中だった。

夜中ということもあって,ここへ逃げ込めば簡単には追って来られない。

一人で散策したことなどないが,兎に角木々の中へと逃げ込んだ。


「ここまで来れば……暫くは大丈夫な筈……」


ある程度の距離を走って,オリヴィアは立ち止まった。

これでしばらくは時間を稼げる。

その間に,誇り高い死を選ばなければならない。

彼女は周囲を見渡し,その方法を思案する。


「美しく死ぬ方法……首吊りなら……」


縄などないが,辺りにある蔦で紐を造れば何とかなるだろう。

慣れない手つきで紐らしいものを作ってみる。

強度を確認し,先端に輪を作り首に引っ掛けられるようにする。

そうして大きな樹の幹に,その紐を取りつけようとした。

だがそんな時,突然背後から声が掛かる。


「そこで,何をしているんだ?」

「えっ?」


まさか,もう追手がやって来たのか。

オリヴィアは振り返ったが,そこにいたのは奇妙な青年だった。

服装は旅人のそれだが,白い髪と赤い瞳が,月明かりに照らされて美しく輝いている。

美男子,中性的な容姿から女性に見えないこともない人物だった。

思わず見とれかけたが,彼女は我に返って問う。


「私を追って来たの?」

「追って? 何の話か分からないが,君は追われているのか……?」


彼は首を傾げる。

どうやら全くの無関係らしい。

ならば,もう気にする必要もない。

オリヴィアは自棄になりながらも返答する。


「別に。ただ命を絶とうとしていただけよ。放っておいてくれないかしら」

「え……? いや,そう言われても……」


不意を突かれたような顔をする青年を置いて,オリヴィアは背を向ける。

一般人の目に触れてしまったのなら,追手に見つかる猶予もない。

手早く,かつ美しく死ぬ。

彼女は力を込めて首吊り縄を握りしめる。

しかし,引き止めるように青年が声を掛けてくる。


「まさか,貴方はザーヴァルド家の御令嬢,オリヴィア様では?」

「だとしたら,どうだと言うの? 分かるでしょう? 私に触れれば,貴方は死ぬ。死にたくなければ,近づかないことね」


どうやら青年は彼女を知っていたらしい。

ならば都合が良い。

下手に引き止められるより,恐れられて逃げられる方が死に易い。

あくまで冷たく,オリヴィアは言い捨てた。


「死の呪い……噂は本当だったのか……」


すると彼は顎に手を触れて考える。

恐怖を感じている素振りは見せない。

それどころか,何故か一歩一歩近づいてきたのだ。

流石のオリヴィアも動揺を隠せなくなる。


「き,聞いていたの? 私に近づけば……」

「いや,これで良い。このままで良いんだ」

「何ですって?」


青年は微かに笑う。

やっと見つけた,と言わんばかりの満ち足りた表情で自身の身体を指差した。


「僕を殺してはくれないだろうか?」


沈黙が流れる。

風が流れ,木々の葉が掠れる音が響く。

オリヴィアは紐を掴んでいた手の力を緩めた。


「……仰っている意味が,分からないのだけど」

「どうか,僕を殺して頂きたい。貴方の持つ,その力で」

「はぁ……? 何を言って……」


今まで彼女に殺されることを望む者は誰一人いなかった。

この青年は,自分と同じく死ぬためにこの森に来たと言うのか。

親近感と焦燥を抱いたオリヴィアは,動揺の果てに思わず足を踏み外してしまう。

声を上げる暇もない。

重力に従って,首吊りの紐を持ったまま転落する。


「危ないッ!」


そんな彼女に青年は駆け寄った。

ドサリ,という音と共に全身に衝撃が伝わる。

そして目を瞑っていたオリヴィアは,尻の下に地面でない感触があることに気付く。

まさかと思い慌てて下を見ると,青年は彼女の下敷きになっていた。


「……痛たた。危うく首を吊らせてしまう所だった。オリヴィア嬢,怪我は?」


オリヴィアは思わず飛び退き,顔を青ざめさせた。

やってしまった。

彼女に触れた者は,例外なく死ぬ。

青年にも今の接触で死の呪いが降りかかってしまった。

最後の最後で人を殺してしまうことになったのだ。

傷心のオリヴィアは,楽観的な青年を見下ろすことしか出来ない。


だが,一向に変化は訪れない。

青年は腰を擦りながら,その場から立ち上がった。

本来なら,既に死んでいても不思議ではない。

なのに,彼は全く死ぬ気配がない。

オリヴィアは声を震わせた。


「ええと……私は大丈夫だけど……その,何ともないの……?」

「えっ? あっ……」


青年もようやく気付いたらしい。

触れても全く死ぬ予兆がないことを知り,オリヴィアと自分とを交互に見比べる。

そして暫くして,彼はオリヴィアと同じように青ざめた。


「駄目,だったのか。これでも僕は死ねないのか……何てことだ……」

「あの……ええと……」

「これから,一体僕はどうすれば……」

「ちょ,ちょっと,貴方!」


思わずオリヴィアは叫ぶ。


「今,確かに私に触れた筈! なのに,どうして平気なの!?」

「あぁ……それは多分……」


青年は一度息を吐いてから,こう言った。


「僕には生の呪いがあるんだ」






青年の名前は,レーヴェ・トライドール。

出身は此処から遠く離れた帝国,加えて伯爵家の子息だったという。

彼はオリヴィアと同じく,15歳の誕生日に呪いを発現した。

決して死ぬことの出来ない,生の呪い。

不死だけでなく身体の成長すら完全に止まった,所謂不老不死。

彼は暫くして,己の異質さに気付いたらしい。


「どの道,帝国に残っていれば僕の噂は広まり,余計な戦乱を招くかもしれない。だから,地位も名誉も捨てて逃げ出したんだ」

「……ちなみに,今のお歳は?」

「うーん。数えてないから分からないけど,300は超えているだろうか?」


さも当然のように,レーヴェは言った。

最早歳を数える気もないらしい。


「どれだけ時が流れても,僕だけが生きている。僕の知り合いは皆,とうの昔に死んでしまった。これからもそれが続くと思うと,何だか疲れてしまってね。だから,人として死ぬための方法を探してきた」

「それで……私に……?」

「そう。オリヴィア嬢の力なら,僕の呪いをも殺せると思っていたけど……考えが甘かった。どうやら神様っていうのは,僕を簡単には殺してくれないらしい」

「……」

「いや,申し訳ない。自分の都合ばかり押し付けて」

「いえ……私は別に……」


オリヴィアは目を逸らした。

彼の容姿がとても浮世離れして見えるのは,そのせいだろうか。

赤い瞳を見ていると,吸い込まれてしまいそうな錯覚を抱く。

死の呪いを受けない人物が現れたことで,感傷的になっているのかもしれない。

彼女は振り払うように首を振った。

レーヴェがいた所で何も変わらない。

自分がすべきことは一つ。

オリヴィアは取り落とした首吊り紐を手に取った。


「……本当に死ぬつもりなのかい?」

「私が生きていれば,ザーヴァルドの名が汚れてしまう。その前に,侯爵家令嬢として美しく死ななければならないの」

「美しく死ぬ?」

「私自身が誇れる死を。そうすれば,お父様やお母様も少しは私のことを覚えていてくれるから」

「本当に?」

「……勿論よ」


これ以上,迷わないためにもオリヴィアは背を向ける。

もう一度紐を取り付けようと,木に近づく。

だが,レーヴェは呼び止めた。


「だとしたら,首吊りは良くない」

「えっ?」


やっぱりオリヴィアは振り返る。

彼は真剣な表情で,彼女の持つ紐を見た。


「聞く所によると。死んだ後は全身が弛緩するから,悲惨なことになるとか。首吊りだとそれが特に顕著で……」

「な,何を言って……?」

「美しくない,ということだよ」


そんなことを言った。


「僕も何度か試みたけれど,首吊りは苦しいだけだよ。気絶から戻った時の苦痛なんて,思い出しただけで震えが止まらない」

「……く,詳しいのね」

「まぁ,実体験だから」


表情を変えることなくレーヴェは言う。

どうやら彼は,此処に来るまでに色々な自殺を試してきたらしい。

そしてどの方法でも死ねず,彼女の力を頼った。

何となくだが,オリヴィアにも彼の経緯が分かってきた。

同時に,首吊りで死ぬことに美しさを感じなくなった。

場所を変えて,別の死に方を探そう。

肩の力を抜きながら,彼女は首吊り紐を手放した。


続いて彼女が赴いたのは,森の中にある湖。

かなり広い場所で,遊泳禁止という看板が傍に立て掛けられている。

水の音はなく,代わりに微かに虫のさざめきが聞こえる。

暫く湖を見つめていた彼女に,黙って付いてきたレーヴェが首を傾げる。


「ここは湖?」

「えぇ。それなりの底の深い場所よ。中心に行けば,簡単に溺れることも出来るわ」

「……まさか,入水自殺をする気なのか?」

「何かしら。童話でも時々あるじゃない。失意の人が,湖の底に沈んでいく話。語り継がれるということは,それだけ美しいということ。ここで私が再現してみせるわ」


首吊りがダメなら入水で死んでみせよう。

オリヴィアは,一歩一歩湖へ踏み出す。

だが,足が水に触れるよりも先にレーヴェが呼び止めた。


「いや,入水は良くない」

「……またなの?」

「実の所,首吊りよりも入水の方が苦痛度は高いんだ。首吊りは血管が締め上げられるから気絶して,そのまま意識を失ったまま死ぬことも出来る。でも,溺死はそうじゃない。肺に水が溜まって,呼吸が出来なくなるまで時間が掛かるんだ」

「つまり……?」

「美しくない」


そんなことを言った。


「僕も試したことがあるけど,あれ程酷い死に方はないよ。呼吸が出来ずに何度も何度も意識が覚醒する。寧ろ苦しすぎて意識が戻るっていうヤツかな。しかも,水死体は溺死の苦痛から酷い顔をしていると聞く。更に長時間水に触れているせいで,全身が水風船のように膨れ上がる。美しさの欠片もない」

「……」

「入水は止めた方が良い。経験談としてね」


レーヴェは真面目な顔で指摘する。

そう言われて,足が進む筈もない。

脱力気味に肩を落としたオリヴィアは,フラフラと別の場所へと赴いた。

何でも良い。

兎に角,死ななければ。

そんな思いが先行して辿り着いたのは,断崖絶壁の崖だった。

下には先ほどの湖に繋がる川が流れている。


「ここは? 結構な崖だけれど?」

「えぇ。かなりの高さがあるわ。ここから落ちれば,間違いなく即死ね」

「……まさか飛び降り自殺をする気なのか?」

「何よ。ここから飛び降りれば,一瞬で死ねるわ。苦痛なんてない。死ぬには最適じゃない」


割と自棄な態度を見せるオリヴィア。

そんな彼女に対して,レーヴェはもう一度呼び止める。


「いや,飛び降りは良くない」

「……」

「確かに即死という意味で,これ以上に優れた死に方はない。でもその後のことを考えてほしい。死ぬ程の高さから飛び降りると言うことは,それだけの強い力が全身に襲い掛かるということ。そんなものを受けて,人の形を保っていられると思うかい?」

「……で? まさかとは思うけど?」

「そう。美しくない」


彼はやっぱりそう言った。


「僕も試したことはあるけど,本当に災難だったよ。言い換えるなら,新鮮な卵を床に振り下ろした惨状と同じだね。人の原型がない,ただの肉塊。元の身体に戻すのにどれだけ苦労したか。掃除する人の身にもなってみたら,これ程悲惨なものはない。アレを美しいとは,とてもじゃないけど言えないね」

「その例え,止めてくれないかしら……」

「これは失礼」


何故こうも自殺を止めようとするのか。

オリヴィアは深い溜息を吐いた。


「どうして,一々私の死に方に茶々を入れるのかしら?」

「うーん。実体験もあったから,どうにも口を挟まずにはいられなくて」

「そんなに死に方に詳しいのなら,いっその事教えてくれないかしら?」

「え?」

「美しく死ぬ方法,貴方なら知っているんでしょう?」


レーヴェも死を求めて今まで彷徨ってきた。

なら理想的な死に方の一つや二つ,覚えていても不思議ではない。

すると彼は数秒も経たない内に答える。


「ないかな」

「ない?」

「そう。美しく死ぬ方法なんてない。そもそも死ぬ方法自体,数が知れている。その中に美しさを求めるのは,砂漠の中で砂金を探すような確率だよ」


オリヴィアの求める死は,何処にもない。

そう断言され,彼女は俯いた。

背後の崖から吹いた風が,全身を震えさせる。

それでも諦めるわけにはいかなかった。


「私は……私は誇り高く死ななければならないの。それが今の私にできる唯一の務め」

「そんな顔で言われても,説得力はないかな」


レーヴェは震えるオリヴィアの手を見つめ,核心を突く。


「何度も自殺を試みた僕から言わせてもらう。君は死を望んでいない」

「っ……!」


胸を貫かれたような感覚を抱き,思わず彼女は声を荒げた。


「私だって,こんな真似したくないわよ! こんな呪いさえなければ,婚約を破棄されることも,お父様やお母様から見放されることもなかった! もう,選択の余地なんてないの!」


誰からも疎まれ,誰からも必要とされない。

最早,残された道は死以外にない。

感情の赴くままに,オリヴィアは崖に向かって思い切り踏み出した。

だがその瞬間,グイッと彼女は手を引かれる。

振り返ると,レーヴェが今まで誰も触ろうとしなかったその手を掴んでいた。


「少なくとも,僕は違う」

「……!」

「この呪いのせいで,僕は君の呪いを受けない。こうやって,手を引くことだって出来る」


オリヴィアを死なせる気はないらしい。

生の呪いを持つ彼の手は温かく,オリヴィアにとっては久しぶりの感覚だった。

かつての記憶が溢れかえり,少しだけ彼女の瞳が潤んだ。


「本当に君が美しい死を望むなら,一つだけ方法がある」


気休めではなく,真剣な様子でレーヴェは言う。


「精一杯生きることだ」

「……生きる?」

「生きることに全力を尽くして,何一つ心残りがない中で死んでいく。そういった人は,とても満ち足りた表情で命を落とす。美しい死と呼ぶべきものがあるなら,まさしくそれだと思う」

「満ち足りた死……」

「死ぬことと違って,生きることには星の数ほど選択肢がある。死の呪いを抱えていたとしても,視野を広げれば,その余地は必ずあると思う」

「貴方は,満足しているの?」

「人の何倍も生きたんだ。僕はもう十分さ」


レーヴェは微かに笑う。

美しく死ぬには,与えられた生を全うしなければならない。

悔いの残らない生き方を歩み,そこで始めて自分の死を受け入れられる。

安らかな死は,ある種の美しさを持っているのかもしれない。


「死ぬために,生きる……」

「……そうだ。どうせなら,一緒に来ないかい?」

「え……?」

「死を探す旅だ。僕はかれこれ何十年も,人目を避けながらこんな事をしている。お互い目的は同じみたいだし,望むなら君の生を見届けることも出来る」


彼はオリヴィアの手を掴んだまま言った。

それは彼女にとって,地獄の底から垂らされた蜘蛛の糸のように見えた。

結末は変わらない。

どの道,自分は死ぬ運命を背負っている。

だがここで失意の果てに死ぬよりも,彼と共に少しでも生の実感を得られたなら,何かが変わるかもしれない。

オリヴィアは握られた手を見つめる。

しかし返答するよりも先に,茂みの奥から複数の影が現れる。

驚いて視線を移すと,武装した兵士達が躍り出てきた。


「見つけたぞッ!」

「間違いない! オリヴィア・ザーヴァルドだ!」


追手が追い付いてきたのだ。

全員が弓をつがえ,彼女を射殺さんと構えている。

彼らはオリヴィアを殺すことで,ザーヴァルド家の名誉を守ろうとしているのだろう。


「待て! 一般人がいるぞ!」

「構うな! 既に彼女の手に触れている! どうせ長くはない! 今はあの死神を仕留めることだけを考えろ!」


レーヴェの存在にも気付いたが,意に介すことはない。

何を説明した所で,彼らは決して武器を降ろさないだろう。

オリヴィアは一歩一歩崖の方へと後退る。

代わりにレーヴェが矢を向けられながら,冷静に彼女を見つめた。

彼は先程の返答を待っているようだった。


「オリヴィア嬢,君の答えは?」

「私は……」


握られた彼女の手に,力が込められた。


「放てッ!!」


矢が放たれると同時に,レーヴェは彼女を抱きかかえて飛んだ。

彼の背中に次々と矢が突き刺さるが,それが見えたのも一瞬。

そのまま崖の方へ,断崖絶壁の底へと落ちていく。

兵士達が思わず崖の底を見るが,最早何も見えない。

二人は崖から転落し,闇の中へと消えていった。







「痛たた……死なないとは言っても,やっぱりこういうのは堪えるよ」

「ほ,本当に大丈夫なの?」

「なに,この程度で僕は死なないよ」


突き刺さった最後の矢を抜き取り,レーヴェは何でもないように言う。

地面には血の付いた矢が何本も転がっている。

全く大丈夫には見えないが,血色は良好だった。

レーヴェは真上を見上げ,先程までいた崖を見つめた。


「追手は引き上げたようだね。あれだけの高さから落ちたんだ。お互い死んだと思われているだろう」


崖に転落したものの,落下先は河川の中。

加えてレーヴェが衝撃を全て庇ってくれたこともあり,奇跡的にオリヴィアには傷一つなかった。

当然全身はずぶ濡れだが,彼は殆ど見ず知らずの自殺志願者を,身を挺して助けた。

その事実に変わりはない。


「……ありがとう。私を助けてくれて」

「お礼を言われる程でもないさ。君が望んだから,そうしただけだよ」

「望んだ……私が……?」

「矢を向けられたあの時,君は確かに僕の手を握った。そこに生きたい,という意志を感じたんだ」


オリヴィアは自分の手を見下ろした。

確かに兵士達から矢を向けられた時,彼の手を握り返したような気がする。

あれは,自分が押し込み続けてきた思いだったのか。

死の呪いに苛まれ,それでも尚生きたいという気持ちが現れていたのかもしれない。

彼女は微かに震える両手を合わせ,ゆっくりと握りしめる。

少し寒い。

だが不快感はなかった。


「そうなのね……。私は,生きたかったのね……」

「これで少しは思い直してくれたかな?」

「そう,かもしれないわ……」

「だったら生きよう。君自身が誇れる,美しい死を見つけるためにも」


レーヴェは彼女を拒絶しない。

濡れた髪に触れながら,その場から立ち上がる。


「ここから遠くない所に僕の別荘がある。呪いの研究とか,まぁ色々なことをしていた場所だから,先ずはそこに向かおう。お互い濡れたままの服じゃあ,格好も付かないしね」


それだけ言って,レーヴェは背を向けて歩いていく。

華奢な彼の背中には,何本もの矢が刺さった跡が残っていたが,既に傷は塞がっていた。

付いてこい,とはハッキリと言わない。

だがオリヴィアは自然と彼の後を追っていく。

最後に後ろを振り返り,虚空を見上げて呟く。


「お父様,お母様。ごめんなさい。私は今から,別の人生を歩みます」


誰の返答もない夜。

彼女は森を去り,闇の中へと消えていった。




それからというもの。

オリヴィアはレーヴェの元で暮らし,己の生き方を見つけるための術を探った。

侯爵家令嬢という立場から忌み嫌われる存在に堕ちても尚,再び自分が誇れる生を得るために。

そしてその結果。

彼女は今,仕立て屋をしている。


元々ずぶ濡れだった衣服の替えとして,オリヴィアはレーヴェから譲り受けた道具を用いて,自分用の衣服を何着か作った。

元侯爵家令嬢として,それなりに華やかで,最近の流行も取り入れたドレス等。

ある程度のことは器用にこなせるので,服を作るのも訳はなかった。

自分用で完結させるつもりだったそれだが,色々な偶然が重なり,とある街で一般人の目に留まる。

他の服屋では見ない彼女のセンスを目の当たりにした人々は,そこから服の評判を広めた。

瞬く間に噂は様々な街を移り,次第には国境をも超えるようになった。

オリヴィアはそこに,生きる目的を見つけたのかもしれない。


死の呪いは,あくまでオリヴィアに触れた時のみ発動する。

彼女が作った服自体には,死は伝染しない。

だからこそ,彼女は何着でも服を作ることが出来た。


ただ,人前には絶対に出ない。

服の売買は,レーヴェが行うことになる。

彼もまた,二つ返事で引き受けた。

呪いを解除する方法を探る彼としても,様々な人から情報を得るためにも効率が良いと判断したのだろう。

そして数年の内に,オリヴィアの仕立て屋としての才能は,他に類を見ないものとなった。


姿は見せない。

性別はおろかどんな人物なのかも分からない。

ただ黙して,最高の服を仕立て上げる。

人々はいつしか彼女のことを『深窓の仕立て屋』と呼ぶようになった。


「ただいま,オリヴィア」


とある日の夕暮れ。

未だに死を探すレーヴェは,森深くの別荘に帰宅し声を掛ける。

するとその気配に気付き,玄関まで歩み寄る少女の姿があった。

最早彼女は侯爵家令嬢ではない。

だが命を絶つことばかりを考えていた以前とは違い,明るく確固とした意志を感じさせる。


「おかえり,レーヴェ」


その少女,オリヴィアはにっこりと笑う。


彼女が今,何を思っているのか。

今でも死を願っているのか。

レーヴェが聞くことはない。

ただ一つだけ分かるのは。


彼女は今を精一杯生きている,ということだけだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 精一杯生きたからこそ、美しい死になる、と。 確かに、そうだなぁ、っておもいました。 てっきり、死の呪い、生の呪いと両方が一緒にいることで、両方の呪いが弱くなり、彼女は彼の場合だと死には至る…
[良い点] 生と死をテーマにした美しいお話だと思いました。 ラストでヒロインのオリヴィアが彼女にできる精一杯の自分らしい生き方を選択できたのが良かった! オリヴィアが自殺方法を提示するたびに、即座にそ…
[気になる点] レーヴェは美しく死ぬことができるのかな? でないとオリヴィア救われたが、レーヴェが…
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