とある花屋の始まりの出会い
あらすじにも記載しましたが、
短編 とある花屋の恋模様 を先に読んでいただいたほうがわかりやすいと思います。
一番最初の記憶は小さな体に打ち付ける雨。
濡れたコンクリートの匂い。
耳に響くたくさんの足音。
あの頃はずっと寂しかった。生まれた時は兄弟がいたのかもしれない。
けれど、私の記憶はずっとひとりぼっちだった。
音が怖くて、周りを見ようとしても目が開きづらくて、
手で顔を擦ってもベタベタとするだけで何も見えない。むしろベタベタが広がった気がする。
何も見えないまま、ずっとどこかで震えてた。
音が響いていたから狭いところだったのかもしれない。
そんな状況だから食べ物も無くて、お腹が空いても何も食べられなかった。
だんだん、頭がぼーっとしてきた頃。何故だろう、投げやりになったのか、もういいやと思って音のする方へとヨロヨロ歩いて行った。
高い音、低い音、速い音、遅い音、大きい音、小さい音、いろんな音が溢れていて怖かった。
歩き出したのはいいけど、どこへ行けばいいんだろう。どうしよう。
途方に暮れていた。後悔した。
たくさんの声が聞こえたのを覚えている。
あ、猫!可愛い……けど汚いね。
汚ねっ!近寄んなよ!
うわ、野良猫?やだぁ……
言葉は分からなかったけど、数えきれないほどのトゲが刺さった。
あのまま動かなければよかったかも。
そう思って引き返そうとしたら、何かが私を引き止めた。
ふわり、と甘い香り。
鼻をスンスンと鳴らしながらその香りを辿っていった。
目は開かなかったけど、その方向は明るくカラフルに見えた気がして、歩いている間にもグサグサと刺されるトゲなんか気にならなかった。
歩けば歩くほど香りは強くなっていって、1種類じゃない。何種類もの香りが混ざっているのに気がついた。
きっとそんなに長くは歩いていなかったはず。
突然、何か硬いものにぶつかって、私は小さく声を上げた。
痛い。何、これ。
ここが一番香りが強い。
そんなに体力が残っていなかったから、そのまま私はうずくまっていた。
「あ、大丈夫かい?鉢の置く場所が悪かったかな……って、うわっ」
低くて柔らかい声だった。
あぁ、またか。次はどんなトゲが刺さるのだろう。なんとでも言ってよ。
もう歩く気も失せていた。トゲだらけの心は限界だった。
――――……なのに。
ふわっと体が持ち上がった。
何!?
驚いてガリガリの足をバタバタさせていた。
「大変だ!酷い目ヤニ……これじゃあ目が開かないだろう。相当痩せているみたいだし。……ちょっと一緒においで」
そのまま、私は暖かいものに包まれた。
押し付けられている耳には、トクントクンと心地よいリズムの音。怖かったけれど、少し体の力が抜けた。
「抱っこは慣れていないんだ。大人しくしていてくれよ」
どこへ行くの?
スタスタと早足で運ばれるのは怖かった。
何をされるのか、どこへ行くのか。
「今日は臨時休業だな」
ガラガラ――ピシャン
金属質な音がした。後からそれはシャッターというものだとわかった。
「うちにはキャリーケースが無いから、抱っこのままでごめんな。動物病院に行こう」
相変わらず言葉はわからないけれど、この人の言葉はトゲが無かった。むしろ、トゲを全部溶かしてくれる。
そして運ばれた先で、ゴシゴシ洗われた。
目薬もさされた。少ししみた。腕にチクリと痛いもの刺さって、何かが体に流れ込んでくるのがわかった。
いつのまにか寝ていたのか、目覚めたときには薬の匂い。
あの匂いは無い。
ぽっと暖かくなったはずの心はまた不安でいっぱいだった。
それからどれくらいたっただろう。
ぼんやりと目が見えるようになってきて、トロトロしたご飯をもらえるようになったころ。
「もう大丈夫ですよ。あとはお家で見てあげてください」
「わかりました。で、いくつか聞きたいことが――……」
ピクリ
意識せずとも耳が勝手に反応してしまう。
あ、この声だ。
また私の心をあったかくしてくれるこの声。
耳をあちこちに向けて音をさぐりながら、まだ見えにくい目でキョロキョロしていると、そっと優しく抱え上げられた。
ぼんやりと見えたのは大きい人。表情まではわからないけれど、笑っているのがわかった。
この人は優しくて暖かくて、眠くなっちゃう。
「あら、安心したんですかね?ケージの中じゃ寂しそうに泣いていましたよ」
獣医さんのクスクスと笑う声が聞こえた。
そのまま寝てしまったようで、目覚めた時にはフワフワしたところにいた。
「起きたかい?君、野良だろ?目にばい菌が入ってしまったんだって。毎日目薬をささなければならないんだけど……僕に世話をさせてくれるかい?その」
何を言っているのかしら。わからない。
けど、やっぱり暖かくて柔らかくて安心する。
もう少し甘えていいのかな?トゲトゲしないかな?
まだ何も見えないけれど、声のする方にそっと寄ってみた。
「甘えてくれてるのかな?寂しかったんだね。もう大丈夫だよ」
大きな手が私をすっぽり覆ってゆっくり、ゆっくり撫でていく。
それが気持ちよくて……
「それ、気に入ってくれたかい?ネットで調べて、ペットハウスと迷ったんだけど、猫用ベッドで可愛いのがあったから……心配いらなかったかな」
私はまた眠ってしまった。
これが私、小春と店長の出会いのお話。
至って普通よ。
あれから店長は毎日目薬をさしてくれて、私の目も徐々に開いていった。結膜炎だったらしい。
そして看病が終わってもまだここにいる。
元気になったから出て行ったほうがいいのかと思ったこともあるけど、ダメだったわ。
それのお話はまた今度ね。
フラリと彷徨って花の香りにつられてここにやってきて、今ではここの看板娘。
あの時たくさんのトゲを刺してきた人たちはコロっと変わって
可愛い!ふわふわー!
パパ!あんな猫ちゃん欲しい!
綺麗なコだねー。
だなんて。
笑えちゃうわね。
でもいいの。私が汚くても店長は笑って抱っこしてくれるもの。
毎日店長のもとでたくさんの花に囲まれて過ごせて幸せよ。
私を導いてくれた花の香りが大好きなの。
一番好きで落ち着くのは店長の香りだけどね。