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代わってあげるよ

作者: 道端の石

 大会目前。僕はレギュラーだというのに練習ではミスが続き、所謂ブランクを向かえていた。そのせいもあってか部活の練習がきつくって、精神的にもくたくたになって家に帰ってきた。

やっと家に帰ってきたというのに、どうにも暗い気分が晴れなくて、とにかく顔を洗って誤魔化すことにする。洗面所へ行き、蛇口を捻って。

パシャリ、パシャリと冷たい水が顔にぶつかる。それと一緒に、ほんの少しだけ気分が軽くなった気がした。

それでもまだ重い心を持ち上げるように、ゆっくりと頭を上げると鏡の中のボクと目が合った。あまりに疲れているせいか、映るボクは笑っている。笑いながら、語り掛けてきた。


――苦しいんだろう?

――いいよ、代わってあげるよ。


そう聞こえると、次の瞬間には笑っていたボクは消え失せて、呆然としている僕が見つめてきていた。今のは一体…?


 その日から少しして僕は夢を見るようになった。ただ夜寝ている時に見るような夢じゃなくって。苦しいなって思った時に、僕の望む理想の姿、『もしものボク』をぼんやりと見るといったもの。不思議なことに、その『もしものボク』がやったことは、本当に僕がやったことのように現実に残るんだ。

 例えば部活で。大会目前の練習試合、ここで決めたら絶対勝てる。そんなプレッシャーが僕を囲んだ時にそれは起きた。体を動かさなくても勝手に体が動くんだ。それなのに意識はちゃんと残ってて、まるで夢を見ているようで。そして僕はその試合でMVPを獲得した。

 その夢は必ず成功してくれる。そして結果が出ると夢から覚めて、体が動くようになる。


 大会を終えて、僕はさらに夢を見るようになった。

 もちろん大会本番も夢を見て、最高の結果を残した。だから僕はこの夢を望んでいた。これさえあれば僕は辛い思いなんてもうしないで済む。僕にとって嬉しいことは、望めば自由に夢を見れるようになったっていうことだ。なんでもないときでも、考えるだけで夢を見ることができる。だから僕は、よく夢を見るようになった。

 テストの時間、嫌いな英語の時間、面倒な水泳の時間、宿題、登下校、家事、着替えにまで。

とにかく面倒なことは全部、『もしものボク』に任せた。


 夢を見始めて半年くらい経っただろうか。

 僕はほんの僅かな違和感を感じていた。いつものように夢を見て、面倒なことを『もしものボク』に放って。あれからいつ、僕に戻ったんだろうと。『もしものボク』から『僕』に切り替えたタイミングを覚えていない。でも、意識ははっきりとあるし、何より体が自由に動かせる。だから今は僕なんだ。そう言い聞かせても、落ちた一滴の滴は、さわさわと心に波を立てた。

 それからその違和感は日を重ねる毎に数を増していった。そしてその度に心の不安は、波を重ねるように大きくうねりをあげ始めた。


 最初の違和感からたったの1ヶ月が過ぎる。

それだけの短い期間で、僕の心は不安と恐怖に飲み込まれていった。


 さらに1ヶ月。

 国語が得意な男が居る。それは『もしものボク』と並ぶほどに多い知識を持っている。スポーツが得意な男が居る。それが『もしもボク』と並ぶほどに高い技術を持っている。音楽が得意な女が居る。それは『もしものボク』と並ぶほどに優れた感覚を持っている。

 もしかしたらあいつらも、『もしもの自分』に任せているのかも知れない。もし、そんなことがあるなら。今僕が接しているあいつらは、どっちなんだ?

『もしものあいつ』なのか、『あいつ』なのか。分からない。

今僕の周りにいる人間は、アレは僕の知っている『あいつ』ではないのかも。そんな風に考えたら、体が震えた。怖い。

アレは一体誰なんだ?


 どれだけ経ったんだろう。

 毎日が怖くて、僕はだいたいの時間を『もしものボク』に預けるようになった。そのせいか、僕の感じていた違和感を感じることも無くなった。だって、ほとんどの時間を夢に見ているのだから。ただ、それで困ることもある。時間の感覚が曖昧なんだ。それにどことなく、意識もぼんやりしているような気がする。でも、そんなことより僕に戻るのが怖かった。だから僕はまだ、この夢に微睡む。


 僕は、気付いてしまった。

 友人に言われた。

「お前ってさ、なんか前と変わったよな。」

その一言を聞いて理解した。僕は僕じゃなくなっている。無自覚の内に、アレに変わっていってる。僕から『もしものボク』に、完全に代わってしまおうとしている。だから僕はもう、『もしものボク』に頼ることを止めた。だって、このままじゃあ僕は……。


 もう遅いのかもしれない。

 僕は『もしものボク』に頼ることを止めた。そうだと言うのに、たまに意識がぼんやりする時があった。身に覚えのない功績で誉められることもあった。僕に係る、記憶にない話題が耳を突いた。これまでは身を預けていた夢が、今度は僕を侵食し始めたのだと。それを理解するまでには、そう時間はいらなかった。

 身に覚えのないといっても、考えると()()()()は思い出すことが出来る。だけど、それを自分がやったのだという実感が湧かない。塗りつぶすような記憶がそこにあるだけだから。それ故に無性に歯がゆい気分にさせられる。それと同時に強く思うんだ。

――これは本当に僕の記憶なのか、と。


 もう分からない。

 今ここにいる僕は『もしものボク』なのか、それとも僕なのかもう、分からなくなった。僕である記憶と、身に覚えのない記憶が入り乱れて、もうどちらがどちらなのか分からない。僕は、ボクは、どっちなんだ?


 ちょうど、1年が経つだろうか。

 ボクは1年前とちょうど同じように洗面台の前に立っている。ジャージャーと蛇口から水が流れ落ちている。1年前を思い浮かべるように、そっと流れる水を掬い上げる。

パシャリ、パシャリと。水を顔にぶつけて、ゆっくり鏡に向き直る。

 そこには『僕』が映っていた。悲嘆に暮れ、涙を流しながらボクを見つめている。


――分かるよ、苦しいんだろう?


そういってボクは嗤うと、鏡に手を触れる。

すると、鏡の中の『僕』に、無数の黒い手が次々と掴み掛かった。一瞬の内に鏡の中が真っ黒に染まる。


ボクはそれを見届けると、洗面台から『僕』の髭剃りを手に取る。そして安全カバーを外して、剥き出しになった刃に反射したボクを一瞥した。浅黒い皮膚に、赤い目が映って、ニタァと牙を剥いて嗤った。


――次に、代わってあげないと。


真っ黒に染まった鏡に、鮮やかな赤が掛かった。


――――。


 室内のあちこちで電話が鳴り響く。

 ここ最近、この町では謎の自殺事件が多発していた。それは嫌に規則的なもので、時刻は恐らく全て18時丁度。死因こそバラバラだが、死に場所は決まって鏡の前というものだ。そのせいもあって、街やネット上だけでなく、この署内の同僚の刑事でさえ呪いじゃないかと怯える始末だった。だが、それは先週終わりににぴたりと止まった。というのに。


「行方不明…ですか。少々お待ちください。」

「はい…こちらでも尽力して捜索してはいるのですが…。」

「お子さんが帰ってこない…?少々お待ちください。」


今週に入ってからは自殺の代わりに行方不明者が続出している。


 すっかり暗くなったオフィスで私はひとり煙草を吹かしていた。喫煙所以外では禁止なのだが、そんなこと知ったこっちゃない。幸いなことに他の刑事は現場の捜索や今後の方針の話し合いなどで全員出払っている。その原因は、昼からひっきりなしに続く行方不明の報せだ。この行方不明者の発生にはなんら規則性はなく、また場所の関係性もなにもない。狙っている性別、年齢もまばら。ただこの地域でのみ発生してることやその頻度から、犯人はこの近辺に潜んでいるだろうと推測されている。

だというのに、部下上司と総手で掛かっても犯人が特定できる目処すら立たない。それをあざ笑うかのように行方不明者の数は膨大に膨らんでいくのみである。今週に入ってからの被害者数はもう3桁にまで近づき、およそ数えきれるものじゃなくなった。


――本当に何かの呪いじゃないのか?


 一瞬そんな考えが過ぎって頭を左右に振る。時間はとっくに深夜を回っていて、眠気も疲れも最高潮に達していた。このままでは仕事にならないと、重い頭と体ををどうにか動かし立ち上がる。コーヒーを飲もうと思ったのとついでに顔でも洗おうと思ったからだ。今夜はもう徹夜になるだろうことは覚悟していたのだから。


 自販機で買ったコーヒーのカップをクシャリと握りつぶす。それを無造作にゴミ箱へ放り込むとため息を吐きながら洗面所に歩く。本当に疲れているようで、思った以上に頭が重たい。顔を洗っても目が冴えないようなら仮眠を取ろう、と考えているといつの間にか洗面所の手前まで来ていた。

(着くのが早すぎる…寝ていたのか?)

すこし疑問に思いながらもそんなに気にすることでもないだろうと、面倒くさいから電気も付けずに適当な洗面台の前に立った。蛇口をひねり、水が流れ出す。と、私は目前の鏡に違和感を覚えた。その面が、あまりに黒いのだ。最初はただの暗がりだろうと思ったのだがすぐに違うと気が付く。


“そこに私は映っていなかった”


 ゾッとして、すぐにこの場所から離れようと出入り口に目を走らせる。薄暗い部屋の中にいくつかある洗面台。その全ての鏡が真っ黒になっている。そしてそこから真っ黒い腕が生えてきていた。


「――ッ!!」


その腕を見た瞬間全身から力が抜けて思い切り倒れた。それでも逃げなければ、と地面を這うように出入り口に向かう。

そんな背後から声が聞こえた。


――面倒だったよね。

――苦しかったよね。

――怖いよね。

――大丈夫、代わってあげるよ。


有無を言わさないその声に反応するように、腕が増える。

まっすぐ私に伸びてくる。

それから逃げようと力を絞っても、その距離は縮まる一方でやがて私は、それに捕まった。

腕に、肩に、足に背中に頭に。

私の意識はそこで真っ暗になって。

終わった。


――――。


 夕焼けの照らす真っ赤な坂道。

二人の子供が楽しげに話をしながら歩いている。


「ねえ鏡の悪魔の都市伝説って知ってる?」

「知ってる!願いを叶える代わりに1年後に鏡の奥に引きずりこんじゃう悪魔!」

「うんそう。だけどね、それだけじゃないんだよ。」

「どういうこと?」

「鏡の悪魔はね、関わっちゃった人も全部連れて行っちゃうの。話に聞くだけでも駄目なの。」

「こわっ!それじゃあどうしようもないじゃん!」

「うん。どうしようもないの。しかもその悪魔は願いを叶える時には、その人の体を乗っ取ったりもするんだよ。」

「え~…そんなのやだよぉ、怖いよぉ…。」


泣きべそをかく少年に淡々と都市伝説を教える少女。少年だけを見つめるカーブミラーが黒く揺らいだ。

読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 少し考えさせられる作品でした。 [気になる点] ・基本的に語尾は「~でした。」だと思うのですが、2ヶ所位「~です/ます」だったので気になりました。 ・途中の「1月」というのは「1ヶ月」とい…
[一言]  なかなかに怖かったです。鏡というホラーではありがちなネタでありながら、うまくまとめあげていたと思いました。誰かに代わってほしい、そんなことを思ったこともあるからゆえか、身近な恐怖として印象…
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