外伝集:紅葉伝説・伍
此岸に留まっている神は男神と女神がいる。
比率的には男神の方が多い。――ごく稀にどちらでも無い神様もいる。
一目見た時には女神様だと思った。
白い髪は纏めてあるが、地に着くほどに長く、目筋鼻筋が通った端正な顔であり。
それでいて豪奢な装飾が施された衣服を肌蹴させ、その胸元からは北国で見たような、しら雪を被ったような双丘を覗かせていた。
喘ぐ嘆願者に対して一瞥もせずに厳しい顔のまま微動だにしない護衛と、難しい顔をしたお付きを侍らしながらも、当の神様は和やかな笑顔であった。
その姿は混沌さも相まって、湿地に一輪浮かぶ未草のようだった。
「吾の山へ、ようこそ」
男とも女とも、何方とも取れるような不可思議な声色。
鈿女のあねさんを筆頭に私達は、しずしずと神様の前で正座する。
「きみたちは吾に何を願いに来たのかな? 吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神、一言主なり。きみたちの心からの願いを叶えてあげよう」
流石は言の葉を紡ぐようになってから、私たちと共に寄り添ってきた神様である。
ずしりと重たい、威圧感のようなものが肩にのしかかってきたような気がする。……神威というものであろうか。
あねさんは怯みも怖気もせず、凛とした表情で顔を上げた。
「鈿女党が党首、鈿女が言離つ大神である、一言主様にお願い奉ります。……我らの芸を奉じさせていただきたい」
長い長い沈黙が流れたような気がする。
「ブワッはっはっは! 凄い! 凄いよ! それは本当に心からの願いだね! いいよいいよ、その願い叶えてしんぜよう。素晴らしいね、食べ物をくれとか、生き返らせてくれとか、財宝くれとか、その願いは本人にとって重要で心からの願いで美しさもあったが、つまらない、非常につまらない願いばかりだったけど、久しぶりに面白くて良い願いが来たね、鈿女ちゃんは良い芸ができるよ間違いなく、磨き続けた芸とその芸馬鹿とも言える姿勢と思考、生きた純粋な人間を見た気がするよ。確かに、それならば他の神々が口々に鈿女党と鈿女ちゃんたちの話をするわけだ。きみたちの評判は凄いものだよ、出雲での寄り合いとかでも、きみたちの話で持ちきりだったりするからね、きみたちはそのうちに神になるんじゃないかな? 芸を司る神にさ、そうなったら出雲での面白くない寄り合いも面白くなるから、神になりなよ、きみたち――」
沈黙を打ち破ったのは一言主様の大笑いと、山津波の如き、言葉の濁流であった。
早口であり、さらには古今東西の御国言葉だろう。
それが入り混ざっており、一言主様の言葉を少しでも理解することが私にはできなかった。
「一言主様。……そろそろ」
難しい顔をしていたお付きの人が、やんわりとした口調で止めに入った。
「ああ、ごめんね。……さて、他の子も願いをいいなよ。ほらほら、ここまで登ってきた皆の願いをもれなく全て、この偉大なる吾は叶える事にしてるんだから。ほらほら、そこの可愛い子も、こっちの溌溂そうな子も言いなよ」
一言主は矢継ぎ早に言の葉を紡ぎ、いつの間にか皆にちょっとした悪戯をして、最後に私の頬を指でつんとする。
一言主の言の葉と悪戯に鈿女党の皆が呆気に取られてポカンとしてしまった。
なんせ、鈿女の芸を奉じたいという言が。……一言主の御前に、ここに居るものだけではなく山の麓で待つ皆の総意であり、他の願いなど考えた事もなかったのであるのだから。……それでも叶えてくれるというのだから、私は願いを考えた。
考えた末に頭に浮かんで出てくるのは芸をしている時の鈿女党の楽しそうな笑顔であった。
「では。……鈿女党が。いえ、家族のみんなが、できるだけたくさん笑顔でいれますように」
私の心からの願いである。
血は繋がっていなくても、鈿女という母を中心にした大家族だ。
その家族が笑顔でいれるなら、私も嬉しい。
どうしたらと困り顔であった、みんなの顔が得心がいった表情となる。
「なれば、一言主様。家族がほんのちょっと長生きできますように」
「家族が、病気にちょっとだけ強くなりますように」
家族が――
家族が――
家族が――
「いいね、それでこそだ。人間らしい無垢で真っ当で控えめで、ささやかであるが心からの願い」
一言主は初めに紅葉の言霊に乗った、願いを、想いを、十分に味わい、咀嚼し、嚥下する。
信仰だけではなく、こうした人草の願いの力も神にとっての力となる。
そして、言離つ。
「家族は笑顔でいれるよ」
ただ一言。
「家族はちょっとだけ長生きできるよ」
「家族は病気にちょっとだけ強くなるよ」
一言主は次々に願いを食し、言離つ。
「幸多からんことを」
最後にそうまとめて、私たちの願いを叶える儀は終わった。
「ふふ、久しぶりに良き願いをいっぱい食べたからかな? 吾はお腹いっぱいだよ。もう本日は閉山で、鈿女ちゃんたちの芸を観る事に専念しない?」
一言主は恍惚とした表情をしながら、お付きの人に言った。
が、彼は首を縦には決して振らずに私たちの後ろの方を指差した。
そこには息も絶え絶えで、片腕も何処かでぶつけたのか、明後日の方向に向かって曲がってしまった嘆願者が一人いた。
「さて、新たな嘆願者よ。よくここまで来たね、願いを言ってみなよ。吾はとても機嫌が良いから、最速で願いを叶えちゃうよ」
一言主は上等な酒を飲んだ時のように、心地よい酩酊を感じているのであろう。
私たちと一番最初に言の葉を交わした時のような、威厳が薄れていた。
「では……」
息を整え、頭を深々と伏す。
「我らが日の巫女を御助けいただきたい!」
一言主は、その一言で酔いから覚め、心底。……そう本当に心の底から嫌な顔をしたのである。




