外伝集:紅葉伝説・肆
鈿女党の一員として諸国を巡る旅は何故か、いつも順調であった。
皆が言うには鈿女のあねさんに懸想している神様がおり、その神様から絶大な神助を受けているのだとか。
だから、道行は比較的に安全で順調であると。
「おかあさん、じゃなかった。鈿女のあねさんは家族の中で誰よりも踊りが上手なのに、色んな神様の前では琴を弾くだけなのは何か意味があるの?」
私は旅を始めてから、気になっていた事を鈿女のあねさんに聞いてみた。
「おーん。そうさ、私の踊りは一柱の神様の為の踊りなんさ。だから、指導したり練習で踊ったりはするけど、その神様に乞われないと他の神様の前では踊らないよ」
鈿女のあねさんも、その神様のことを慕っているのだろう、さらりと言い放ったがにんまりとしていた。
「まあ。そのうちに紅葉も分かるさ。男を慕い、この人の為ならって思う時がさ」
「ふーん……そういうもんなんだ」
十にも満たない子供であった私にはわからない感覚であった。
いつか心より、お慕いできる人が現れるのであろうか。
「あ! 鈿女のあねさん、あそこにチが多く留まってるよ」
私の瞳は、あの死にかけた日から、チや、彼岸のモノ、がよく見えるようになっていた。
鈿女党の家族には普段はチは見えないらしい。
舞や、演奏。つまるところ芸によって気持ちが昂った時に見えるようになるのだとか
「只人が見え過ぎても良くないが、軻遇突智を長時間、直視し続けなければ大丈夫じゃろうて。煩わしいのなら閉じてやるが?」――とは、温泉を掘っていた、さる神様。
名は頑なに仰らなかった神様に芸を奉じた時に、いただいた言である。
今回のように野営をする時にできるだけ、チが集まっている場所を探すのに重宝していた為、神様の提案は丁重にお断りしておいた。
その代わりに有用な薬草や毒草の見分け方と、比較的に簡単に作れる腹痛止めや傷薬に化膿止めの薬の作り方を教えてもらい、さらには湧き出た温泉の御相伴に預かった
神様には知識の泉のような御方もおられるのだなと子供心ながらに思ったものである。――もっぱら薬は傷が治りやすい自分が使うのではなく鈿女党の家族に使う事が殆どであった。
旅の中で、様々な土地で祀られる神様に御目通りかない、その尊体の前で芸を奉じる事もあった。
最初は大狼や大蛇、大亀や大岩に大木などなどの多彩な尊体に驚いたものの、三年も芸を奉じれば慣れてしまうものである。
ただ今でも尊体に慣れないのは高志の国の大蛇様である。
その尊体は八つの首に八つの尾と雄大な山々のような巨体であり、その瞳は鬼灯のように赤く光りを放っており、また同じようにその胴体は赤く脈動し光っていた。
余りにも大きく、力強く、そして何よりも……今にも破裂を起こし、何もかもを壊して、その赤い神血の濁流で全ての大地を覆い隠し、更地にしてしまいそうなほどの力が、尊体の奥に渦巻いていた。
それが怖かった。……一度見たことのある、灰と火を吹く山に恐怖を抱くように怖かった。
「我の力の源は山塊也、そして我の神血は溶湯也。……」
「大蛇様。……相手は子供ですので分かりやすく言ってあげた方がよろしいかと」
恐怖を和らげるには聞き、知ることが一番である。
そして私は恐怖で泣きそうになるのを押し殺し、宴の場でお酌をしながら質問したのである。――その尊体の奥底に渦巻く力は何ですかと。
お付きの者に突っ込まれ、人型となった大蛇様は頭をぽりぽりとかく。
「威厳がある物言いの方が崇敬が集まって。……よし、面白い眼を持つ小娘よ。火を吹く山を見た事があるか? あるから聞いたのだろうが」
「あります、出雲よりも西の方の土地で」
「ならば、話は早いな」
簡単にではあるが火を吹く山の原理を教えてもらい、山の神格である大蛇様は、山々の奥底から火の元を吸収し自在に操れるのだと……
そして吸収した火の熱で鉱物を溶かし、体内で血として巡らせ、氏子が農具などを作る時に使われるのだと教えていただいた。
「武具? 確かに我の神血を使えば強力な物が出来上がるが、智と勇と武に優れた者にしかやらん! しゃはは!」
大蛇様のお酒が進めば進むほどに上機嫌となり、様々な面白い話が次から次へと出てくる。
夜明けまで私に語りっぱなしであった、まるで口が幾つもあるかのように。……と思ったが、尊体は八つの頭があったから当たり前なのかもしれない。
その後、私たちは何事もなく無事に高志の国より出発した。
が、どうやら裏では鈿女のあねさんと大蛇様の間で一悶着あったらしい。
「名も言わずに物のように、あれとこれとそれを嫁によこせと言うから。そんな横暴な振る舞いをするならば鈿女党は金輪際、高志の国に立ち寄りません。って言ってやったのさ、おーん」
けたけたと笑う、鈿女のあねさん。
私は本当にこの心優しく強い人たちと家族になれてよかった。
神々の間でも神遊びの鈿女党と噂と名声は日に日に高くなっていた。
芸を修めた者を一人二人ほど定住させ、芸を氏子に教えて欲しいなどと神の使いである神使に乞われる事もしばしばあった。――ほぼ芸に惚れ込んだ神の意向であるが。
無碍に扱わないことは当然として、様々な取り決めをして希望者があれば定住する形が多かった。
鈿女党として、最後に神様の前で芸を奉じたのは葛城山であった。
険しい山の為、党首である鈿女と若い者が七人ほどで登ることになった。
登頂する者の中には私と佑瑠と佐瑠の姉妹も入っていた。
途中で一度だけ、足場が悪いところで足を踏み外して、転落しそうになったが突風が吹き私の背中を強くも優しく押され、元の足場に戻された事があった。
鈿女のあねさんの神助が絶大であることを身をもって体験した。
何とか家族の誰一人も欠けることなく葛城山を登り切ったところで、私たちの目に入ったのは異様な光景だった。
泣きながら抱き合う人や、一心に物を食す人、葛籠から溢れ出る大小様々な玉を必死に戻す人、事切れた人の顔を踏み続ける人。
「おーん。これが悪事も一言、善事も一言、言い離つ神の神力かい」
神座から一柱の女神がこちらに微笑みながら手招いていた。




