暗躍する化生・壱
悍しく、禍々しき物が供えられた祭壇の前に座り込む、一人の化生。と……暗い中にも関わらず、地に這い蹲りながらも、一心不乱に書き物をしている男が居た。
男の欲を煽る為か、それとも……その化生の有り体を晒しているのか、肌が透けそうなほどに薄い唐衣を纏い、胸を肌蹴ており。さらに一際目を引くのが、上機嫌に揺らしている二本の金毛の尾であった。
「必死に動かぬ的に矢を放っているか。無駄な事をする。妾の尾を一本くれてやったのだ、効くはずがなかろうに」
水晶玉の中に映る、巨椋池の光景を見ながら化生は笑う。
一頻り笑うと、真剣な表情で立ち上がる。
「たおまんよ。……見て、理解し、己がものとせよ。良いな」
その言葉に手を止めることなく、何度も頷く道満と呼ばれた男。……その両の眼は星々のように輝いていた。
「さあ、土蜘蛛よ。……悠久の微睡みから目覚めよ。今こそ虐げてきた者たちに復讐する刻」
立ち上がり、その口から紡がれる呪詛。
ゆったりとした動作で左足を一歩前に出し、右足を左足よりも一歩前に出す。
そして左足で地を擦るように右足へと引きつけて、両足を揃える。
「大虐により失くした同胞をとり戻すために、悪しき者の肉と魂を貪り喰らえ」
今度は反対の右足を先に一歩前に出し、左足を右足よりも一歩前に出す。
そして右足で地を擦るように左足へと引きつけて、両足を揃える。
「この大地に同胞を満たせよ、増やせよ、産めよ」
最初と同じように左足を一歩前に出し、右足を左足よりも一歩前に出す。
「これが、彼の抱朴子に記されているという神仙術の一つ、大地へと直接に呪を刻み込む、禹歩かあ!」
呪いが強く立罩める場であるにも関わらず、嬉しそうな声を上げ、満面の笑みで筆を走らす、道満と呼ばれし男。
「大地に刻んだ呪で力を増幅させ、土蜘蛛に淀みなく力を送る。嗚呼、娘娘の術は素晴らしい! 僕は感動。……まて、身体を大地と見做して、式を用い、禹歩による呪を直接に刻み込めば。……試して見なければ、やってみなければ! 娘娘が創る、先の世の人々に必要な不老不死が実現するやも」
良いやり方を思い付いたのか、含み笑いをしながら筆を走らせる道満。
「やはり、人間は我々よりも何かを閃めく事に関しては上よな。……さあ始めよう」
禹歩を止める化生。その足元には禹歩により描かれた北斗七星が淡く輝く。
「……我は名を失いし九尾狐狸精」
先程までは強い呪詛を込めながら歩いていたのとは打って変わり、まるで祈るようにゆっくりと語り始める化生。
「其方らと同じく、悪辣なる人間と神による謀にて、生き方も、在り方も歪められしモノなり。……だが、このような身だが約束しよう。悪辣なる人間と神を排除し、其方らや、心優しき者たちを新しき世界に導き、歪みを正そうと。……」
化生は言葉を止め、暗い空を見上げる。
遠き過去に想いを馳せているのか、その瞳から玉滴が頬を伝い落ちる。
「其方らを導く、天子の如く存在として、我は新たなる名をあげよう。我が名は。……玉藻」
言い切ったと同時に巨椋池で止まっていた土蜘蛛が震え出す。
「さあ、彼の梟雄に倣おうぞ。報仇雪恨の刻は今ぞ!」
――大地が揺れる。
――空が揺れる。
土蜘蛛が玉藻の言葉に応ずるように、大きな叫び声を上げ動き出す。
遥かに離れている玉藻と道満が立つ場も大きく揺れる。
「たおまんよ。……敵が来るぞ、神の尖兵が来るぞ、覚悟を決めよ」
玉藻は空を見上げながら、口端を上げ、静かに笑う。
「敵ですか。……嫌ですなあ、僕は荒事に向きませんので。……」
道満は顔を歪めながら、筆と竹簡を懐に仕舞い、立ち上がって首を軽く回す。
――たちどころに白い尾を引いた落ち星が地面に到達。
衝撃と共に砂煙が舞う。
「やっと見つけたぞ」
砂煙の中から黒い小袖を纏い、金の刺繍の入った帯をした女と、闇夜に溶け込むような黒い狩衣を纏った男女二人が現れる。
小袖の女は手に三振りの太刀と玉藻のように二本の尾を持ち、狩衣を纏った二人は太刀を佩き、尾は一本であった。
「疾く土蜘蛛を止め、疾く日ノ本から去るのならば、此度の乱心に対する仕置きは勘弁してやると仰せだ、これは日ノ本に座す八百万の神々の総意である」
淡々と最後通牒をしながらも警戒をしているのか、女達の耳が横を向いたり正面を向いたりしている。
「なお、受け入れられない場合は宇迦之御魂大神の眷属である、葛の葉、小薄、阿古町による燼滅も、やむなし」
小薄と阿古町の二人は、かちりかちりと佩いている太刀を揺らし鳴らす。




