決意を胸に
平将門が在京する事になり、二ヶ月が経とうとしていた。
雪雲が空にこびりつき、しんしんと雪を降らせ、花城を白く染め上げていた。
宮中では寒い中、年末年始の行事の為に上も下も人が彼方此方へと走り回り、忙しくしている。
当の将門は藤原忠平より頼まれ、居館の門前で人を待っていた。
どれほどの時を腕を組みながら、じっと過ごしていたのか。……肩や頭には雪が積もり、冬場の畑のカカシのようになっていた。
その将門の表情は、忠平の言葉を何度も脳内で反芻しているのか、どこか上の空であった。
そうこうしている内に人影が近づいてくる。
その男の風貌は検非違使の放免と、よく似通っていた。
ぼさぼさの傷んだ髪に髭面、ぎらついた目。そして何より、肩をそびやかして大威張りで歩く様が彼らと同類である。と……将門は察知した。
男は大欠伸をしてから、将門の近くに寄ってくる。
「其処の偉丈夫さんよ、ここが藤原忠平様の居館で間違いないか?」
下卑た笑いをしながら将門に話しかける男。
将門はゆっくりと動くと降り積もった雪が、はらりと山茶花の花弁のように落ちる。
「如何にも。……しかし、用があるなら、先ずは名乗るのが道理ではないか?」
将門は一歩引くどころか、悪党面の男の前に一歩でる。二人の間に緊迫した空気が漂う。
そして空気を読まずに、杖を突きながら二人の横を通り抜けようとする、ほっかむりをした老人。
「ごめんなすって、通らして貰いますよ」
そう老人は口にしながら歩く。将門の横に差し掛かった瞬間。
老人が杖の柄の部分を右手で、支柱の部分を左手で持ち、抜刀するように支柱を引き抜く。――中から白刃が煌き出る。
「死ね! まさか――」
そこまで口にした老人の顔面に、悪党面の男より、振り下ろし気味の右拳が叩き込まれる。
仕込刀の杖を振るう暇も、呻き声を上げる暇も無く地面に突っ伏す老人。
悪党面の男は獰猛な笑みを浮かべる。
「それもそうだな! 伊予の藤原純友という者だ。藤原忠平様に呼ばれて来た。――で、殴ってしまったが、この爺は知り合いか?」
純友は動かない老人の首根っこを掴み上げながら、また笑う。
将門はしゃがみ込み老人の顔を見るが、へしゃげており、心当たりがなかったのか首を傾げる。
「うむ。知らん顔だな」
将門は立ち上がり、純友の顔を見る。
「平将門という者だ。――忠平様は中で、お待ちだ。この者は責任を持って検非違使庁に突き出しておこう」
二人は軽く笑いあう。
「では、またな平将門」
「そちらこそ息災で、藤原純友」
軽い挨拶を交わした二人。――純友は笑いながら居館に入っていく。
「あれが都で噂の平将門か。……良い面構えの男じゃねぇか。縁があったら、また会いてえな」
門を通り、居館内を進みながら純友は独り言つ。
一方の将門は老人を米俵の様に担ぎながら、検非違使庁へと向かう。
「うむ。藤原純友といったか、あの男。中々、良い腕っぷしであったな。何処かでまた会うかもしれん」
将門も笑みを溢しながら独り言つ。
この後、将門に検非違使庁に突き出された老人。……素性は源護本人であった。
源護はこの後、再起をする事なく表舞台から退場する。
藤原純友と藤原忠平は座り、顔を突き合わせていた。
「純友よ、息災で何よりだ」
「はっ。しかし、海の上に居る方が長いせいか陸酔いが酷いですな」
頬を掻きながら笑う純友。
その姿を見ながら笑みを浮かべる忠平。
「紀淑人との連携による、海賊の追捕。実に大儀であった。……官位を用意している故、こっちに戻ってこんか?」
忠平の言に、純友は渋い顔をする。
「忠平様、官位よりも。……海賊の彼ら達を、また朝廷などで雇っていただきたいのです。……今は百姓の真似事をやらせていますが、何処かで限界が来て、また食い詰める羽目になり海賊に逆戻りかと」
たどたどしく考えながら言葉を発する純友。
忠平は苦々しい顔をする。
「そうしてやりたいのは山々なのだが。……朝廷へ納められる税が年々と減ってきておる。今のままでは彼らを雇い入れる余裕が無いのだ、分かってくれ」
その言い分に対して、純友は少し語気を荒げる。
「何故です? 我々や市井の者は、確と税を納めている。なのに何故、朝廷の余裕が。……」
忠平は溜息を吐きながら、立ち上がる。
「帝の御威光を蔑ろにする不届き者が、私腹を肥やしている。……そういう事であろうな」
忠平から聞きたくもない言葉が発せられ、純友は唇を噛みながら拳を震わせる。
「純友よ。お前は武勇に優れ、人当たりも良い、海賊となってしまった者達が暴走しないように手綱を握っておいてくれ。――多少。多少だぞ? 不正に私腹を肥やしている悪人を仕置きしても構わん」
忠平の言葉に対して、純友は義侠心によるものか。……漁火のような焔が、その瞳に灯る。
誰も居なくなり、灯りが揺れる部屋の中で藤原忠平は独り、碁盤を見つめる。――黒い碁石で形作られた日ノ本。
白い碁石が坂東の地と都、そして西の地に置かれている。
「東の地は平将門。中央は源満仲。西は藤原純友。……武勇に優れた三人の武士が奮起してくれれば、帝が視た大乱は未然に防げるであろう」
忠平は目を瞑り、深呼吸をする。
「頼んだぞ。三人とも」
忠平が心に宿すのは不退転の決意。
激動の一年が終わろうとしていた。
都は大晦日となり、行事がしめやかに行われていた。
風が少々強く吹き、雪雲が陽の光を遮り、粉雪が降り注ぐ中。
大臣以下、百官が朱雀門前の広場に集まり、帝の大祓詞の奏上を静聴する。
「高天原に神留坐す。
皇親神漏岐神漏美の命を以て。
八百万の神等を、神集に集賜ひ、神議に議賜て」
風の音が鳴り止み、ゆったりとした柔風が百官の頬を撫でる。
「我皇孫尊は、豊葦原の水穂の国を安国と平けく所知食と事依し奉き。
如此依し奉し国中に荒振神達をば」
帝の白い束帯が風で揺れる。
「神問しに問賜ひ、神掃に掃賜ひて語問し磐根樹立草の垣葉をも語止て。
天の磐座放ち、天の八重雲を伊豆の千別に千別て。
天降依し奉き如此依し奉し四方の国中と」
俄かに風が止む。
「大倭日高見の国を安国と定奉て、下津磐根に宮柱太敷立て、高天原に千木高知て。
皇孫尊の美頭の御舎仕奉て、天の御蔭日の御蔭と隠坐て、安国と平けく所知食む国中に成出でむ」
降り注いでいた雪が小雨に変わり始める。
「天の益人等が、過犯けむ雑々の罪事は天津罪とは。
畦放、溝埋、樋放、頻蒔、串刺、生剥、逆剥、屎戸、許々太久の罪を天津罪と宣別て。
国津罪とは、生膚断、死膚断、白人、胡久美、己が母犯せる罪己が子犯せる罪。
母と子と犯罪子と母と犯罪。
畜犯罪、昆虫の災、高津神の災、高津鳥の災、畜仆し蟲物為罪、許々太久の罪出でむ」
罪を洗い流す様に、都の上にだけ小雨が降り注ぐ。
「如此出ば、天津宮事以て。
天津金木を本打切末打断て、千座の置座に置足はして。
天津菅曾を本苅断末苅切て。
八針に取辟て天津祝詞の太祝詞事を宣れ」
徐々に雨が止み、雲の隙間から陽が差しはじめる。
「如此宣ば天津神は天の磐門を押開きて。
天の八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む。
国津神は高山の末短山の末に登坐して。
高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む。
如此所聞食ては、罪と云罪は不在と、科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く」
帝の言の葉に合わせて、雲が退き、輝く太陽が子らを祝福するように顔を覗かせる。
「朝の御霧夕の御霧を朝風、夕風の吹掃事の如く。
大津辺に居る大船を舳解放、艫解放て大海原に押放事の如く。
彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事の如く。
遺る罪は不在と。
祓賜ひ、清賜事を。
高山之末、短山之末より、佐久那太理に落瀧つ速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神、大海原に持出なむ」
大内裏の外では民が空を見上げ、手を合わせはじめる。
「如此持出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す、速開都比咩と云神、持可可呑てむ。
如此可可呑てば 気吹戸に坐す、気吹戸主と云神、根国底国に気吹放てむ如此気吹放てば。
根国底国に坐す、速佐須良比咩と云神、持佐須良比失てむ如此失てば」
都の北の上空に虹の架け橋が架かる。
「今日より始て罪と云罪は不在と。
祓賜ひ清賜事を。
天津神、国津神、八百万神等共に。
所聞食と申す」
船岡山から一陣の風が、虹の合間を抜け、都の悪いものを掬っていくように、羅生門へと向けて吹き抜ける。
帝による大祓詞が終了し、帝が下がっていくのを確認した、藤原忠平は厳しい顔をしながら口を開ける。
「では、これより追儺を行う!」




