テンサイ
平良乃は門の前で仁王立ちをしながら、静かに怒っていた。
原因の一つは、戦さ帰りで、肉体的にも精神的にも不安定になっているであろう将門に、貞盛の危機を知らせた桔梗の行動に対して。
桔梗も悪気があった訳では無いのは百も承知。一刻も早く、伝えねばと焦ったのも頷ける。
しかし、桔梗が見たという光景。――それを見て冷静さを欠き、罠である可能性を失念したままに、将門に知らせるのは如何なものかと。
将門の口から密かに語られた、平國香の顛末と取木での化生との遭遇。……人の心を惑わす術に長けている化生は、将門の心を弱らせる一手を打ってくる。
良乃は化生が平貞盛に手にかける此度の一件が、その一手だと確信している。
もう一つは将門自身に対してである。
――黒丸の特徴的な重たい駒音を鳴らしながら、将門が酷く疲れた顔をし、虚ろな瞳をしながら一人で戻ってくる。
「将門! 色んな事を放っぽり出して、あんた一人が貞盛を探しに行って、何になるんさ!」
開口一番、良乃の雷鳴のように響く怒声。――近くで見守っていた将頼が恐怖のあまりに身体を竦ませる。
「物事には順序があるじゃないの! 貞盛が危機に陥ったのなら、先に貞盛の母親である稲様の保護。そして、貞盛捜索に人手を回す! 一人で突っ走ったって、見つかるものも見つかりゃしないよ!」
良乃の真っ当な言に、自らの行動を恥じているのか、項垂れる稲穂のように頭を垂れる将門。
「しかし、だな、良の――」
将門が、そこまで言いかけた瞬間に恐ろしいほど腰の乗った右拳が、将門の鳩尾に突き刺さる。
普段なら避けていた。避けられていた拳であったが。……八岐の呪の暴走と貞盛捜索により、酷く疲労していた将門には避けれなかった。
「黙らっしゃい!」
またしても落ちる雷。――良乃はそのまま将門の身体を無理矢理に屈ませ、耳元に口をやり、ボソリと周りに聞こえない声で囁く。
「将門。……あんた身体の限界が来てるんだろう。呪の事とか全部、分かっているんさ。……そんな状態で化生と対峙したら」
鳩尾に突き刺さった拳よりも、痛い言葉であった。
将門は頬を掻き重苦しい表情をしながら、良乃の耳元で囁く。
「良乃の言う通り、確実に死ぬな。心配を掛けて、すまなかった」
将門は両腕を良乃の柔い身体に回し、少し強めに抱き締める。
俄かに、顔を上げた将門の瞳に力が灯り。疲れ切っていた顔に張りが戻る。
「将頼! まだ元気で動ける者を集めてくれ。貞盛の母の保護に向かってもらう」
「兄い! 分かりました!」
元気に返事をし、嬉しそうに走っていく将頼。
その姿を見ながら、ぴったりとくっついたままに笑う将門と良乃。
陽が高く登り、門に蔓を伸ばす凌霄花は赤色の大花を揺らす。
暑い夏の間、将門は方々へと走り回った。
貞盛の母親である稲を無事に保護し、平國香の遺領の管理。
また平良正の遺領、常陸国水守営所を接収し、平貞盛及び、源護の捜索をするが一向に見つからず。
そうこうしているうちに実りの秋がそこまで迫っていた。
承平六年。――九月七日。
都より来る五人の男が坂東の地を踏む。
その内の三人は太政官符を携えた使者であった。
使者の一人、名を英保純行という男は、源護を訪ねて常陸国へと。
二人目、英保氏立は、平将門の嫁となった君乃の親である平真樹の元へと。
そして三人目。宇自可支興は平将門の元へと。……二人の男を引き連れて。
ゆるりと進む、他に比べると質素だが大きい牛車の物見から外を眺めて微笑む男。
「田舎か思たら、以外と栄えてるもんやね」
将門の本拠である豊田周辺の栄え具合と、市井の民の活き活きとした表情をみながら語る男。
「周りを小綺麗にしたら、こっちに遷都するのも、ええ案かもしれへんね。……藤原忠平様に、卜占の結果どす。と、嘘ついてみよか」
糸のように細い目を虚空に向けながら、口元を扇で……その嗜虐心を悟られないように覆い隠す。
「お師匠様。お戯れが過ぎますよ。……それに小綺麗にすると仰っても。彼方此方で澱んでいる邪気を祓うのに、どれだけの時間と労力が必要かお分かりになっておりますか?」
渋い顔をしながら捲したてるように語る、狩衣を纏う童。その立烏帽子と長い髪は、牛が歩を進める毎に揺れる。
「そないに本気に、しいひんでもええやんか。言うてみただけなんやさかい。眉間の皺取れへんようになんで」
けらけらと笑いながら、扇で自らの眉間を叩く、童にお師匠様と呼ばれた糸目の男。
男二人が乗る、牛車の屋形が軋み揺れる。
「お二人とも平将門殿の居に着きましたよ」
馬に乗った、宇自可支興が、牛車の中に声を掛ける。
牛は軛から外されており、御簾が上げられる。
糸目の男は榻に足を掛けながら、降りようとする。
「ほな行こか、晴明くん」
そう言いながら、足取り軽く将門の居に入っていく糸目の男。――晴明。……安倍晴明は溜息を吐きながら重い足取りで進む。
「小次郎くん、お久しぶりやね、何年ぶりでっしゃろか!」
通された部屋で待っていた、平将門の顔を見た瞬間に目を見開き、小躍りしそうな勢いで近づき、将門の手を取り、上下に降る。
「……賀茂忠行様、貴方様が来られるとは。十年ぶりでしょうか?」
将門は少し困り顔をしながらも、賀茂忠行の手を払う事もなく、為すがままにされる。
「お師匠様は将門様と知己の仲なのですか?」
親しげな二人を見ながら、首を傾げ疑問を口にする晴明。
「いや、知己の仲言うよりも、仕事仲間かいな? 今の帝がこないに小さい時にちょいね」
自らの手で膝あたりをヒラヒラとさせる忠行。
「晴明くん、その話はまた今度したるさかい。……宇自可支興はん、そろそろ本題お話しとぉくれやす」
言葉を発さずに、じっと待っていた支興に話を振る忠行。
「はっ! この度、源護殿の告状により。平真樹殿と平将門殿、両名に検非違使庁への召喚を要請する次第です。こちら太政官符となります」
そう言いながら太政官符を将門に手渡す支興。
将門は太政官符を読みながら、眉を下げ困った顔となる。
「ううむ。……召喚に応じたいところではあるが、今離れれば。――」
「――小次郎くん、召喚に応じてもらう為に、うちと晴明くんが忠平様に言われて、ここに来たんや。……しっかりと結界張って、鼠一匹通れへんようにしとくさかいに、気兼ねのうな」
口角を上げ、たたんだままの扇を振る忠行。
その姿を見ながら、将門も釣られてか口角を上げる。
「分かりました。……忠行様がお手ずから結界を張ってくださるなら、少し留守にしても安全でしょう」
大袈裟に音を鳴らしながら扇を開き、口元を隠す忠行。
「この天才陰陽師である賀茂忠行と、その弟子の安倍晴明に任しとき!」
自らを天才と豪語し、けらけらと笑いながら忠行。
将門の背をぱしりと叩き、晴明を引き連れて部屋を出て行く。
「相変わらずの御方だな。宇自可支興殿、此度は使者の任と忠行様の護衛の任、御苦労。大した持て成しはできないが、長旅の疲れを癒してほしい」
将門は置いてきぼりとなった支興に労いの言葉を掛ける。
「将門殿。……ありがとうございます、本当に疲れました。都まで、また護衛をしながら帰らねばならないと思うと胃が……」
心労の為か、あまり顔色の良くない支興。
腹を摩りながら深い溜息を吐く。
「う……うむ。道中、あの御方の世話は大変であったであろう。心中お察しする」
坂東に着くまでに、何か悶着を起こしたか、面倒ごとに巻き込まれたかは定かではない。
しかし、賀茂忠行の破天荒振りは知っている将門は同じように溜息を吐く。
 




