ウラ
川曲村の合戦から一ヶ月も立たない頃。
花城は夜空の月を覆い隠すように雲が張り、ちらりと小ぶりの雪華が舞い始める。
住まう者たち全てに等しく、静かに、年の瀬を感じさせ始めていた。――その静寂を破るように一騎の人馬が、けただましく駒音を掻き鳴らしながら、朱雀大路を真っすぐに、大内裏の内にある太政官庁を目指して突き進む。
馬を駆る男……その懐には坂東からの告状が携えられていた。
太政官庁に届けられた告状。誰もが告状に、頭を抱え、上に判断を仰ぐしかないと結論付ける代物であった。
告状の内容は単純明快であった。
昨今、坂東で勃発している、戦さや動乱の首謀者を糾弾する内容。
それだけであれば、太政官庁に勤める下の者でも裁決を下すことができる。
しかし、此度は首謀者として名を挙げられていた人物が問題であった。――平将門。
その名を皆が知っていた。
現左大臣である藤原忠平の家人を勤め、そして滝口の武士であった男。その仕事ぶりと才気は誰もが認めており、国へと帰ると知った時は……口には出さないが皆が惜しむほどであった。
その様な経緯を辿り、告状は左大臣である、藤原忠平の元へと辿り着く。――忠平は告状を文机に座りながら片手間に読み進める。
途中まで読み進めていた、忠平の眼が驚きと共に見開かれる。
唸りながら髭を触り、思案に耽る。その眉間の皺は千尋の谷の如く深まる。
「小次郎よ。……こちらも動かざるをえないぞ」
忠平は深い溜息と共に、強張った体を解きほぐすように立ち上がり、東の窓辺へと歩く。
「しかし、悪意が透けて見える告状を鵜呑みにして、沙汰を下すほど甘くはないぞ、源護。……調査に向かわせねばな」
東の空を望む顔は、孫を心配するような顔であった。
寒空の下……男達の気合に掛け声と、木刀で打ち合う音を聞きながら、かこりかこりと独特な駒音を鳴らし、平将門の居へと向かう、背の低い馬と平良兼。
「ふむ。……良正との戦さに勝ってから、そこまで日が立っておらんが。……元気そうだな」
久方ぶりに娘と孫に会う事に心を躍らせながらも、その表情は外聞を気にしてか、鉄面さながらに硬い。
門をくぐった、その瞬間。
左方より投げ飛ばされた人か物か定かではないが、良兼の目の前を転がり横切る。
危うくも良兼の乗る馬にぶつかり、大惨事になるところであった。
良兼は溜息をつきながら、飛んできた方向を見る。……抜き足差し足で逃げようとする、長い髪を一纏めにした妙齢の女。
「良乃! お前はまた男衆に混じって! しかも、毎度毎度、儂目掛けて矢を射ったり、刀を飛ばしてきたりしおって!」
馬上から怒声が響き渡る。咎められた良乃は仰天した猫のように飛び上がり、樫の木刀を振るっていた男達の腕が止まる。
「父上、お久しぶりです。いやはや、父上も毎度、間が悪いさね。五月と春は今は将門と散歩に出てるのと、鬼王丸と不動丸はお眠で――」
良兼の方に向き直った良乃は話を逸らすために、つらつらと娘や息子の話をしだす。
火に油を注ぐように、良兼の怒りは燃え上がっていく。
「黙らっしゃい! 今は孫の話ではなく――」
「あーー! おじいちゃん!」
背から掛かった声により、大喝しようとした言葉を飲み込み、目を白黒させながらも何とか良兼は振り向く。
そこには将門の両肩に座るように乗った、五月と春が居た。
先程まで激昂していた、良兼の頬が緩み、自然と笑みをこぼしながら、馬を降り五月と春の元に歩み寄る。
将門から五月と春を手渡され、両手に花の状態で御満悦の表情となる良兼。
「おじいちゃんは、五月と春に会いたかったよー。今日は二人に御土産があるからね」
今まで誰も聞いたことのない、猫なで声をしながら、乗ってきた馬の元へと歩む良兼と喜ぶ孫二人。
将門は、その姿を見ながら微笑む。
「流石、将門。間の良い男さね。しかし、父上も、あんな顔が出来るとはねえ」
いつのまにか将門の横に立つ良乃も微笑みながら、三人の様子を見ていた。
ふと、良乃は木刀で打ち合う音が長いこと止まっている事に気がついた。
「あんたら! いつまでも休憩してないで、戦さ場で死なないようにする為に一本でも多く木刀振って、打ち合いな! 将頼! あんたも、いつまでも寝転んでないで、ささっと向こうに戻りな!」
良乃の言葉を受けて、そそくさと訓練に戻る男達。
良兼の眼前へと投げ飛ばされていた、将頼は、あれこれと考えを口に出し、頭を捻りながら歩いて戻って行く。……川曲村での傷が完全には癒えておらず、体に巻かれた包帯には血が滲んでいた。
「将頼も、あの戦さ以降、あれこれ模索しているようだな。……今、止めるのは野暮か」
「そうさね。刀のように打って鍛える時期。……いや案外、伏龍が飛翔する前かもしれないね」
将頼が一つの壁を乗り越えようとしている事を感じ取り、止めずに見守る事を決めた。
「父上ー! 母上ー! 見て! 見て! おじいちゃんから唐菓子もらった!」
五月は嬉しそうな顔で、漆塗りの箱を将門と良乃の前に持ってくる。
将門と良乃の二人が覗き込むと、漆塗りの箱には、これでもかという程に巾着を象った茶色の菓子が入っていた。
「それは唐菓子の団喜や清浄歓喜団と言われるものでな。歓喜天さんの大好物でとても、ありがたく美味しいものじゃぞ」
走ってきた五月とは対照的に、春は良兼に抱えられて、細かく砕かれた団喜を一欠片ずつ、ゆっくりと咀嚼している。
「美味しい。とても甘い」
にこにこと春も御満悦の様子である。
良兼は、ゆっくりと春を良乃の前に下ろし、頭を撫でる。
「おじいちゃんは、父上とお話があるからね。……さて、将門よ行くぞ」
緩んでいた顔を締め直して、将門も頷き、二人揃って屋敷の奥へと歩み進む。
「孫達は皆が健やかに育っているようで、何よりだ」
「ええ。それよりも、義父殿、高価な唐菓子をありがとうございます」
他愛の無い世間話をしながら歩む将門と良兼。
ふと、将門は屋敷の中に居た将平と目が合う。察した将平は屋敷の奥へと足早に入っていく。
「……将頼も将平も、良い具合に成長しているよ。公雅や公連も少しは、成長してくれれば良いのだが」
「心配しなくても、将器が磨かれて一端の将軍になれますよ。……義父殿のように」
二人は不敵な笑いをしながら、最奥の部屋へと入り、襖をゆっくりと閉める。
部屋の中央に二人は向き合う形で座る。
「しかし、裏の仕事は任せられん。……血生臭い、呪い呪われの仕事は子や孫に背負わせずに、我らの代で終わらせねば」
「全くです」
重苦しい空気が漂い、幾ばくかの沈黙が流れる。
「……ところで義父殿、良正からは援軍を求める書状は来ましたか?」
「来たぞ、一緒に将門の乱悪を鎮めましょう。とな。――危うく、書状を持ってきた使者を斬りかけたわい」
静かに二人が笑う。
一頻り笑った後に、二人は気を引き締め直す。
「ならば、次の段階に進みますな。……裏に潜む化生を討つために」
良兼は、しっかりと頷く。
「将門、そこでだな。……あまり褒められた手では無いが、万全を期す為に一人の男を巻き込もうと思う」
良兼の言に将門の表情が曇りはじめる。
「いったい誰を巻き込もうと、考えておいでですか、義父殿」
真一文字に結んでいた、良兼の口がゆっくりと開く。
「下野国の――――俵藤太」
清浄歓喜団=現在では京都の「亀山清永」で作られる。購入は高島屋や、百貨店でも出来る。香りも固さもが筆者は大好きです。




