暗雲立ち込めるアヅマ
木々が茂る道を飯母呂の者達に護衛され、ひたすらに駆ける。
風により葉が揺蕩う合間に、蒼穹が溢れるのを仰ぎ見ながら、馬上で平将門は考え事をしている。
「将門様、前を見ながら馬に乗らねば、危のうございますぞ。落ちて死ぬなぞすれば……我らは良文様に顔向け出来ませぬ。それに、末代まで語り草に」
横を馬なしで走り付いてくる黒衣の一人より諫言が将門に飛ぶ。
それに対して将門は、にこりと微笑み返す。
「何、飯母呂に変わる新たな名を何が良いかと思案しておったのよ。ふうまとか、はちやはどうだ? 当てる字はおいおい考えるとして……名を変え、新しく生まれ変わるのも良いものだぞ」
大きく快活に笑いながら、返事も聞かずに速度を上げ駆ける。
黒衣が走りながら震える、それは悲しみによるものか、喜びによるものかは当人達が知るのみであった。
――相模国鎌倉郡村岡――
日が傾きはじめた頃、平良文が本拠を置いている地。……村岡へと将門は到着する。
途中で飯母呂の者達は一足先に報告をする為に別れ、将門は一人であった。
将門は一際目立つ屋敷。その門の前の綱木に馬の手綱をくくり置く。
開けっぴろげの門を潜ると、畑において白い夕顔の花を、指で愛でる男が立っていた。
「良文叔父上! お久しぶりでございます!」
大きな声で平良文へと声をかける将門。
呼ばれた男。――平良文は夕顔の花から指を離し将門の方へと向き、笑いながら将門へと近づき、軽い抱擁をしながら将門の背中を叩く。
「将門、久しいな! 息災のようで何よりだ、七年ぶりくらいか?」
快活な笑い声と共に、良文は何度も背を叩く。
「ええ、醍醐天皇陛下より、相模国の盗賊退治の勅命を良文叔父上がお受けになって以来となります故……それくらいですか?」
顔を付き合わせ、笑い合う二人。
「よし、将門よ……話の前に夕餉といこう、ここで採れた干瓢が美味いんだよ」
自信満々に夕顔を指差す、良文。
「それでは、断る訳には行きませぬな! 御相伴にあずかります!」
将門は居間に通され、そこには既に二人前の料理が用意されていた。
玄米、椎茸と干瓢の甘辛煮、粒味噌と……高級品が集まった夕餉であった。
二人は向き合って、ゆっくりと座る。
「では、叔父上。感謝して頂きます!」
手を合わせてから、箸を持ち、料理を食べじめる将門。
「おお、叔父上……これ程までの高級品を椎茸など味がしっかりと染みて……噛めば噛むほど旨味が……干瓢も、いい歯ごたえと食べ応え。粒味噌など京では一部の貴族しか食せないのに……おお、素晴らしきかな」
がつりがつりと用意された料理をかきこみ、瞬く間に平らげていく将門。
「将門よく食えよ、最後の夕餉になるかもしれんからな」
その言葉にピクリと反応し、食べるのを止め、良文に問う。
「最後の夕餉ですか。それはまた剣呑な……この首が狙われた事と関係がありますな」
将門は口元に付いた米粒を取り、まとめて口に放り込む。
それを見ながら、少しだけ間を置いてゆっくりと良文は口を開く。
「そうだ、飯母呂に頼んでな、分かったのは……常陸大掾である、源護の娘を娶った兄達。お前からすれば伯父達だな、全員が……お前の首を狙っている」
良文の口より出される言葉を聞き、将門は大きく嘆息する。
「やはり、親父殿が民達と力を合わせて、開墾した土地が目当て、でしょうな……親戚と争うのは気が進まないものですな」
がくりと、肩を落とし、憂鬱な表情となる将門。
「親戚は無視は出来ない。――が、やはり他人の様なもの……だからあまり、気に病む必要はない。それに、この良文は将門よ。お前の味方だからな、戦さ場で間違えて、斬らないでくれよ」
剣呑な話題と重苦しい雰囲気は笑い声により吹き飛び、酒も入り、二人の陽気な唄声と共に夜が更けていく。
丑三つ刻――草木も眠り、闇が勢いづく時間。
とある居城にて。――男三人が囲炉裏を囲み、顔を向き合わせて密かに語り合う。
「将門に刺客を放ったが――戻って来ていないところを見ると、しくじりおったかもしれん」
三人の中で一番歳古く、威厳もある男の言葉に、他の二人が動揺する。
「國香兄上、それは不味いのでは……なあ良正」
「そうですぞ、良兼の言う通り。朝廷に報告されれば、我らはお尋ね者になりかねないですぞ」
口々に非難の声を上げると、國香と呼ばれた男は怒鳴り声を上げ始める。
「ならば! どうすれば良かったと言うのだ! 女々しく愚痴るばかりでなく、策案せんか!」
その言葉に良兼、良正の二人も黙り込んで、頭を悩ませる。
不意に何か、良案を思いついたのか、良兼が手を打ち鳴らす。
「良い考えが出ました! 我が娘を将門と婚姻させ、将門を婿としましょう!」
良兼は自信満々の顔で答える。
「ほう、良い考えだ、将門も男よ。骨抜きに出来れば此方のもの……もし骨抜きにできなくても、よもや義父を討とうとは考えまい」
その言葉を発した後に、腕を組みながら國香は更に策を練り始める。
良兼は未だに腹に抱える案を、他の二人には全てを見せず、語らずに隠す。
良正は鼻息荒く……三人にとって、鼻つまみ者の甥っ子をどう料理しようか考えを巡らせる。
――三者三様の考えと策を多くは語り合わず。
三人の笑いがパチパチと囲炉裏の薪が爆ぜる音ともに消えていく。
朝となり、鶏がカケロと鳴く。
将門は目を覚ますと、素早く身支度と旅支度を整えて、書き置きを残し門を潜り、馬に少し手をかけていると声がかかる。
「下総国に向かうのだな」
将門は声に向き直り、礼をする。
「ええ、あまり長居をすれば良文叔父上に迷惑となる故、今から立とうと思います」
まだ陽は昇りきっておらず。山から顔を少しだけ出し始める。
「そうか……何かあれば、飯母呂を通して報告してくれ。あとな飯母呂の四人……次期頭領とその配下が、お前に正式に取り立てて欲しいと言って来たぞ、どうやって、たらし込んだ?」
将門は良文の言葉を聞きながらニヤリと笑う。
「どれが決め手か分かりかねます……が、考えてやった、新しい名が気に入ったのかもしれませんな。――では、叔父上! 息災で!」
将門は手早く、鐙に足をかけ馬に勢いよく乗る。
「気をつけて行けよ、将門よ!」
将門は相模国から下総国へと向かって駆けていく。
その様子を遠くから四つの黒衣が見やり、静かに――新たな主人についていく。