第三次ソロモン海戦――第一夜戦
ガダルカナル島の奪回へ向け、陸軍司令部は第三次総攻撃計画を策定した。第三十八師団の約一万人を送り込み、第二次総攻撃と同様にジャングルのなかから突入。そして、総攻撃の際には、別の一軍を飛行場正面の浜辺から強行上陸させて敵陣地を挟撃し、一気呵成に奪取するというものだった。
第三十八師団輸送のため、海軍は高速戦艦によるガダルカナル飛行場の夜間砲撃と大型輸送船による輸送を再度計画した。同じ攻撃を繰り返すことに危惧の念を表明する提督や艦長もいたが、山本五十六長官が自ら陣頭指揮を行なう旨を示唆すると、反対の声はたちどころに消えた。
十一月十一日午後、『五月雨』はショートランド泊地を出撃した。第四水雷戦隊旗艦の朝潮型駆逐艦『朝雲』に第二駆逐隊の白露型駆逐艦『村雨』、『五月雨』、『夕立』、『春雨』が続く。高速戦艦がガダルカナル飛行場正面へ突入する際、戦艦の直衛艦として前方警戒に当たる予定だ。
ショートランドを出た後、サンタクルーズ諸島北方に敵戦艦部隊の出現とガダルカナル海域に敵巡洋艦及び輸送艦の出現が報告されると、出撃部隊の緊張と士気は一気に高まった。誰もが捲土重来を願っていたのである。
『五月雨』は阿部弘毅少将旗下の戦艦『比叡』『霧島』と合流し、他の護衛艦艇とともにその先頭を進んだ。このガダルカナル飛行場攻撃の挺身艦隊とは別に、田中頼三少将が指揮する第二水雷戦隊が十一隻の輸送船を護衛して第三十八師団の輸送にあたり、また、空母『隼鷹』が艦載機を飛ばして空からの護衛にあたった。
「敬礼! 黙祷!」
『五月雨』の艦内に号令が響き渡る。戦闘配置についた乗員たちは、それぞれの持ち場で敬礼し、先月の作戦の際に戦死した戦友へ黙祷を捧げた。
「仇は必ずとるからな」
「安らかに眠ってくれ」
「遺品は送っておいたからさ」
「今夜も激しい戦いになりそうだわ。もうすぐそちらへ行くからな」
「あ、スコールだ」
「なにも見えねえ」
「夜のスコールはいやだねえ」
「なにも見えないし、なにも聞こえないし」
「スコールから出たとたんに、敵艦にわっと取り囲まれたりして」
「よせやい。怪談じゃあるめえし」
「『村雨』が反転します」
「よし、『村雨』に続け」
「取舵。第三戦速」
「『夕立』と『春雨』はどこだ?」
「連絡がとれません」
「困ったな」
「隊列が乱れますね」
「『村雨』が再び反転します」
「スコールの中をか」
「なにか電波を傍受したか?」
「なにもありません」
「このまま『村雨』に続け」
「ようそろう」
「『村雨』が増速します。第四戦速」
「いよいよガダルカナルへ突入だな。戦艦は三式弾を用意しただろう」
「『夕立』より打電。我、敵艦見ユ」
「まずいな」
「やはり敵艦がいたのか」
「スコールが晴れた」
「なんだ、あの爆音は?」
「味方の水偵です」
「敵艦隊上に吊光投弾」
「まぶしい」
「敵はどこだ」
「前方に探照灯の光芒が見える」
「敵か? 味方か?」
「よく見えない」
「光芒が消えた」
「火柱が上がっています」
「轟沈したんだ」
「戦いが始まった」
「敵は中央に巡洋艦三、右と左にそれぞれ駆逐艦四」
「こちらへ突っ込んでくるのか?」
「いえ、動きが変です。左右へばらばらに向きを変えています」
「こっちもびっくりしたけど、相手も驚いてるんだ」
「突撃、『村雨』に続け。『村雨』の動きをよく見ておけ。落伍するんじゃないぞ」
「最大戦速。両舷戦闘」
「おい、圧力を保て。それじゃ、最大戦速を出せねえだろ」
「だって、最大戦速を出そうとするから圧力が落ちるんじゃないですか。蒸気をじゃんじゃん使っちゃうから」
「ばか。それが仕事だろ」
「そんなむつかしいことを言われてたって」
「最大戦速を出しても、きちんと缶の圧力を保つのが一人前の機関士なんだよ」
「がんばってます」
「この間、特訓したばかりだろうが。お前はいつになったら、仕事を覚えるんだ」
「がんばってます」
「圧力が上がってねえよ。お前は死にてえのか」
「死にたくありません」
「俺だって、お前なんかと死にたくねえよ」
「私も分隊士殿とは一緒に死にたくないです。どうせ死ぬなら美女と一緒に死にたいです」
「半人前のズッコケが生意気言ってらあ。駆逐艦は速力が命なんだ。速力を出せるかどうかで生き死にが分かれるんだ」
「圧力が上がってきました」
「おら、こことそことあれの計器をみろ。今どうなってるんだ? バランスよく上げるんだぞ」
「そんなにいっぺんに見られません」
「だめだこりゃ」
「右前方。方位二十度。距離八〇(ハチマル)(八千)。目標敵駆逐艦。撃て」
「撃て」
「給弾完了」
「左へ〇・四度。射角修正、下へ〇・三度。撃て」
「撃て」
「給弾完了」
「右へ〇・二度。射角修正、上へ〇・一度。撃て」
「撃て」
「そろそろ敵へ当たりましたかの」
「わからん。的が多すぎる。フネがうようよいっぱいいすぎるんだ。どれが敵でどれが味方かもよくわからない。右へ〇・二度。射角修正下へ〇・三度。撃て」
「撃て」
「とにかく撃ちまくるしかないな」
「俺たちが狙っているのはほんとうに敵ですかの」
「わからん。それは艦橋で判断してるだろ。我々はその指示にしたがって撃つだけだ」
「それもそうですわな。俺たちが考えることじゃないし」
「左へ〇・一度。射角修正上へ〇・二度。撃て」
「撃て。当たってくれ」
「おい、給弾遅いぞ。なにしてるんだ。早くしろ。敵はいくらでもいるんだ」
『五月雨』は『村雨』の後を続きながら、右へ左へと主砲を放って敵を撃ち続けた。いくつもの黒い艦影に近づいては離れる。味方も敵も入り乱れての混戦だった。探照灯の眩しい光芒が暗闇の海上を何本も這いずり回る。曳光弾が光の尾を引きながら飛び交う。射撃音と爆発音が絶え間なく響き、時折、火柱が上がった。あたりは硝煙の匂いが立ち込め、むせかえるほどだった。
「味方だ。やめろ。撃ち方止め」
火災を起こして赫々と燃える大型艦が『五月雨』の近くに迫っていた。『五月雨』の機銃がその大型艦を狙って射撃を続ける。
「『比叡』だ」
「いい加減にしないか。撃つのはやめろ」
「おい、機銃のところへ行ってやめさせろ。周りがうるさくて聞こえないんだろ」
「了解」
若い伝令員が艦橋を飛び出す。『比叡』は『五月雨』を目がけて副砲を発射した。砲弾は『五月雨』の頭上を飛び越える。
「味方識別信号」
『五月雨』は赤い信号を灯した。『比叡』は発砲を停止する。『五月雨』の機銃もようやくのことで撃ち方を止めた。
『比叡』があげる炎は恰好の標的になった。敵は次々と『比叡』を目がけて主砲弾を撃ち込み、『比叡』の周囲には水柱が立っては消えた。
「『比叡』は前へ突っ込みすぎましたね」
友田は山原艦長へ言った。
「うむ。本来は我々が露払いするはずだったのに、隊列が乱れて、先頭へ立ってしまったな。これでは戦艦の強みを生かせない。後ろから主砲を撃ち込んでこその戦艦だからな」
「一度、回頭して相手との間合いを取ったほうがよさそうに思えますが」
「今となってはもうできないだろう。これだけ入り乱れてしまってはな。『村雨』が『比叡』の前へ出たな」
「『比叡』の楯になるのですね」
「我々も続こう」
「取舵。――ようそろう」
「敵駆逐艦、『比叡』を目がけて突撃をかけます」
「右前方の敵駆逐艦へ放火を集中」
「敵駆逐艦、反転します」
「敵はどうやら魚雷を放ったな」
「見張員、雷跡に注意せよ」
「『村雨』より打電、魚雷発射せよ」
「魚雷だって。目標は?」
「指示がありません。問い合わせます」
「『村雨』が魚雷を発射しました。斉射です」
「『村雨』から返事がきません」
「手頃な目標はあるか?」
「右六十度に駆逐艦らしき艦影あり。距離六〇」
「敵か?」
「わかりません」
「火柱が上がった」
「やった命中だ」
「『村雨』の魚雷が当たったんだ」
「真っ二つに折れた」
「我々の魚雷はお預けだな」
戦場を駆け巡った『五月雨』は大破して漂流する駆逐艦『夕立』へ近づいた。
「『夕立』がやられてる」
「めちゃくちゃだな」
「艦尾が沈んでいるぞ」
「艦首がもげっちゃってるよ」
「もう長くないな」
「横付けるぞ。『夕立』の連中を収容するんだ」
「それ、板を渡せ」
「よいっしょ」
「負傷者が先だ」
「急げ」
「敵がやってくるぞ」
「甲板で立ち止まるな。とにかく中へ入れ」
「医務室はあっちだ」
「吉川艦長、こちらへ」
「おい、艦長を艦橋へ御案内差し上げるんだ」
『夕立』艦長の吉川中佐は、古武士を思わせる風貌をしていた。分厚い口髭を蓄え、小さな瞳はなにかを射抜くようにぎらぎらと輝いている。全身是胆なりという言葉がふさわしい気魄に満ちていた。彼の勝負勘は抜群で、兵学校では決して教わらない奇抜かつ大胆な戦法を繰り出しては数々の戦果を挙げた。人々は彼のことを駆逐艦の鬼と呼んだ。
今回の海戦においては、『夕立』は僚艦の『春雨』を離れて単艦で敵艦隊の群れへ突入し、敵に味方の艦と思わせて近づいては主砲をあびせかけ、そして魚雷を発射した。混乱したアメリカ艦隊は同士討ちを始める始末だった。『夕立』は敵艦数隻を撃破する戦果を挙げ、『夕立』の活躍は確かに日本艦隊に貢献した。敵中央を突破して縦横無尽に駆け巡るなどという活劇のような芸当は、他の艦長には真似できないものだっただろう。しかし、最後は敵巡洋艦の主砲弾を浴びて大破し、応急処置の甲斐もむなしく行動不能に陥ってしまったのだった。
「山原艦長、頼む」
吉川艦長は艦橋へ上がるなり、叫ぶように言った。山原艦長は吉川中佐の目を見て無言で頷くと、
「魚雷戦用意」
と厳かに命令した。
『五月雨』は『夕立』を離れて距離を取る。『夕立』の各所で火災が起き、炎が揺れていた。
「発射」
魚雷が『夕立』へ向けて二本解き放たれた。吉川艦長は息をこらして水柱が上がるのを待ったが、あいにく命中しなかった。『五月雨』は主砲で『夕立』を砲撃する。命中弾があり、『夕立』の艦尾は先ほどより若干沈んだ。
「すまない。もう一度、魚雷を撃ってくれんか」
吉川艦長の要請に応え、魚雷をもう一本発射した。『夕立』の艦体は大きく揺れた。が、水柱は立たなかった。どうやら、不発のようだった。
「針路反転、本海域を脱出する。最大戦速」
山原艦長の命令により、『五月雨』は再び動き出した。『夕立』の乗組員たちは甲板に並び敬礼する。ともに戦った艦と亡くなった戦友との別れに涙を流す者が多かった。
眼を怒らせて『夕立』を見つめていた吉川中佐は、突然、山原艦長に頭を下げる。
「すまん。引き返してもう一発魚雷を撃ちこんでくれんか。万が一『夕立』が敵の手に渡ることがあってはいけない」
彼の声には痛切な響きがあった。
「御心配には及びませんよ。さっきの魚雷で穴が開いているはずです」
「残念ながら不発だった。いや、文句を言っているのではないのだが」
「わかっていますよ。すぐにはむりかもしれませんが、じきに沈みます。なに、もしだめだったら、私が責任を取りますから」
「いや、責任を取ってほしいだとか、責任を押し付けようというのではない。味方の手でとどめを刺してほしいのだ。勇敢に戦った『夕立』や部下へせめてものはなむけを送りたい」
「大丈夫です。『夕立』が敵の手に渡ることはありません。先を急ぎましょう。夜明けまでに敵機の行動範囲を脱出しなければなりません。死んでしまっては、仇を討てないでしょう」
「貴官のおっしゃることはもっともだが」
吉川艦長は艦橋の窓から食い入るように遠ざかる『夕立』を見つめ、
「すまぬ。よく戦ってくれた。必ず私の手で無念を晴らしてやる」
とつぶやき、そっと瞑目した。
「戦艦『比叡』だ」
「変わり果てちゃって」
「どこもかしこも焼けただれてる」
「あんなに美しい艦だったのに」
「艦橋の形が格好いいよね」
「あこがれだったのになあ。一度、『比叡』に乗り組んでみたかった」
「主砲は――一基だけ残ってるな。他の三基はみんなやられている」
「集中砲火を浴びたんだ」
「先頭だったもんね」
「戦艦だから目立つし」
「あれ、同じところをぐるぐる回っているぞ」
「舵がやられたんだ」
「動いてるってことは、機関は無事なんだよな。走れるんだよな」
「舵さえ直れば、まだ帰ることができる」
「潜水夫が潜って修理しているんだろうな」
「がんばれ」
「まだ戦えるぞ」
「ここで『比叡』を守るんだ」
「帰投命令だ」
「え、だめだって」
「どうしてだよ」
「燃料が足りないんだってさ」
「ショートランドへ帰るのにぎりぎりしか残っていない」
「ずっと最大戦速で走っていたもんな」
「そりゃ、燃料がなくなるわ」
「おい、あれは――」
「敵艦だ。米駆逐艦見ゆ」
「引き返して戦おうぜ」
「あいつを追っ払うんだ」
「『比叡』が危ないよ」
「だめだ。本当に燃料がないってさ」
「なんてこった」
「『比叡』が副砲を撃っている」
「がんばれ」
「ショートランドで待ってるからな」
「必ず帰ってくるんだぞ」