サボ島沖海戦その後
『吹雪』は第六戦隊の重巡『青葉』、『衣笠』、『古鷹』、駆逐艦『初雪』と本艦の五隻でガダルカナル島飛行場砲撃のために作戦行動中であり、旗艦『青葉』の斜め前方を航行していました。その夜、ガダルカナルへの兵員と物資を運んでいた別働の輸送艦隊が敵と遭遇することなく無事に揚陸を開始したとのことで、こちらへ正式に飛行場砲撃の命令がおりました。我々の部隊は三十ノットの高速でガダルカナル島への接近を図ります。ソロモン海域ではよくあることですが激しいスコールに遭遇し、そのなかを潜り抜けました。ガダルカナル島まであともう少しというところでスコールを抜け、左前方一万メートルに六、七隻の艦影を発見しました。艦影は単縦陣を組み、我が隊の行く手を塞ぐように左手から前方へ横切っていきます。
暗夜の海上なのですぐには敵なのか味方なのかを判別できません。ただ、もし我々の部隊の前方に現れたとしても、輸送部隊の揚陸地点のある右側から出てくるはずでしょう。進行方向が逆です。ほかに味方の艦隊が通過するという連絡もありませんでしたので、敵の疑いが濃厚でした。もっといえば、敵と決めつけてしまってよい状況でした。
我々は前進を続け、相手もそのまま直進を続け、距離が縮まります。『青葉』が味方識別の発光信号を出したその直後、相手が撃ってきました。やはり敵だったのです。凄まじい衝撃で『吹雪』が揺れました。敵巡洋艦の命中弾を艦の中央部に喰らってしまいました。艦橋からは、被害状況確認、回避行動、応急員急げと次々と指示が出ます。『吹雪』の右手前方では『青葉』が赤く燃えあがっていました。『青葉』も命中弾を受けたのです。敵は初弾から当ててきました。よく晴れた真昼の海でも初弾を命中させるのはむずかしいのに、暗夜の海上でできるはずがありません。しかも、『青葉』と『吹雪』と両方に同時に初弾を当ててきています。噂の電探射撃というやつだったのでしょう。敵は電探で我が方へ狙いをすませ撃ってきたのです。
敵の砲撃を受けているにもかかわらず、『青葉』は「ワ、レ、ア、オ、バ」と発光信号を送ります。敵が出てくるはずがないと高を括っていた『青葉』は敵影を味方の輸送部隊と勘違いしたままです。まったくの油断です。我々は敵の丁字戦法で鼻先を押さえられる形になってしまいました。
各艦が一斉に射撃を開始して激しい砲撃合戦が始まりましたが、やはり先手を打たれたので、こちらはかなり分が悪かったです。『青葉』は煙幕を張り、右回頭して敵から逃れようとします。すぐに出火を消し止めることができた『吹雪』もその後に続き、煙幕のなかへ入りこみました。『青葉』のすぐ後ろに続いていた『古鷹』が飛び出してきて、『青葉』と『吹雪』をかばうようにして敵との間に割り込み、敵へ反撃します。
両軍とも混乱していました。砲撃が続いたかと思えば、その音がぴたりとやんで静かになったりします。夜の海で入り乱れての撃ち合いでしたから、日本もアメリカも敵味方を識別するのに苦労していたのです。
ふと、『吹雪』は煙幕の外へ飛び出してしまいました。前方一五〇〇メートルの距離に艦影が見えます。『古鷹』かと迷った瞬間、相手は探照灯をこちらへ当て撃ってきました。そんな至近距離ではかわしようもありません。急いで離脱を図りましたが、立て続けに命中弾を受け、弾薬庫へ火が回って大爆発を起こしてしまいました。
あっという間の出来事でした。爆発の衝撃で、みな床から吹き飛ばされます。艦橋の破れた窓から海水が奔流となって流れ込みます。その流れに飲み込まれた私は無我夢中で艦橋の窓から脱出し、沈没する艦に引き込まれないよう必死でもがきました。
よくも浮きあがれたものだと思います。できるだけ艦から離れようとするうちにふわっと海面へ出ることができました。あたりには浮遊物がたくさん漂っています。私はちょうどそばにあった木の板に摑まりました。重油が右目に入りずきずきと痛みました。
『吹雪』の姿は跡形もありません。波間では生存者が互いに声をかけあっています。私は生き残った者たちを集合させながら、艦長を探しましたが、艦長は見当たりませんでした。
生き残った者は多かれ少なかれ負傷しています。なかには重傷を負った者もいました。重度の火傷を負った者、砲弾の破片で肉をえぐられた者、骨折した者と怪我の度合いは様々ですが、彼らはとても泳ぐことができません。大きな木の板を組み合わせ、それに浮いていたドラム缶を括り付けて即製の筏を組み、十数名の重傷者を乗せました。
私は負傷者を後の者に任せ、元気な者を引き連れて向こうに見える岬を目指すして泳ぎ始めました。振り返ると赤く燃え上がる艦の姿が見えます。敵なのか、味方なのかはわかりません。ともかく、その炎が目印になって、そこへ次々と砲弾が撃ち込まれます。その艦はもう永くないようでした。
どれくらい泳いだでしょうか。ずいぶん泳ぎ続けたような気もしますが、短い時間だったかもしれません。ともかく、岬の下の浜辺へ着きました。もうぐったりです。全部で三十名ほどいました。筏に残してきた負傷者をのぞけば、二百二十名の乗組員のうち、生き残ったのはたったのこれだけでした。
浜辺についてから、右肩がぎすぎすと痛みはじめました。軍服が裂け、かなりの血が滲んでいました。こんな傷で泳いでこられたものだと思います。必死だったので気づかなかったのでしょう。人は傷を意識したとたん、痛みに襲われるものですから気づかなくて幸いでした。みんな重油まみれのひどい姿です。上から下まで油がべっとりついています。お互いに指を喉へ突っ込み合い、飲んだ重油を吐き出しました。
とりあえず、木陰へ入って休息することにしました。砲撃もなにも聞こえてきません。波の音だけが響く静かな夜です。雲の切れ目をうめつくす星々だけが、美しく残酷に輝いていました。さっきまで激しい戦闘があったことなど、嘘のようです。人間がなにをしたところで、星は輝き続けるのだと教え諭されたような心持ちになりました。星にしてみれば、我々の戦いなどちっぽけすぎてどうでもいいことなのです。それだものだから、星は素知らぬ顔で輝き続けるのです。
負傷者の筏を待ちましたが、彼らはやってきませんでした。潮の流れの速いところですから、あれだけの人数を乗せた筏を漕ぐのは並大抵のことではないでしょう。浜までやってくるのはむつかしいかもしれません。味方の軍艦に救助してもらえることを祈るばかりでした。
夜が白々と明けてゆく頃、陸軍の斥候隊が我々を見つけてくれました。彼らは海戦があったのを知り、誰かが漂着するかもしれないと浜辺を捜索してくれたのです。おかげで、生き残った我々は陸軍と合流することができました。
さっきみなさんも陸軍さんの姿をご覧になられたでしょう。ひどいものです。食糧がまったくありません。我々も椰子の実を割ってその汁を飲み、トカゲを捕まえては炙って食べてと、なんとか食いつなぎました。
輸送艦隊が再びやってくるとのことでしたので、泊地で待つことにしました。あなた方が護衛した輸送船の帰りに乗せてもらう手筈だったのです。浜から輸送船が揚搭する姿を見ておりました。輸送船がクレーンで荷物を卸し、大発が次々と浜辺は運びます。運ばれた物資は、そのまま浜辺に積み上げられてゆきました。
輸送が順調にいってほっとした気分でした。我々がガダルカナル島を砲撃しようとしたのもそのためです。我々の部隊は完敗だったようですが、それでもなにかの役には立てただろうと思います。ですが、敵の空襲が次第に激しくなります。敵は輸送船を狙い、三隻も擱座させられてしまいました。そのうちの一隻は、もはやこれまでと悟ったのか、自ら浅瀬へ乗り上げ、わざと座礁して揚搭を続行しようとしたのですが、たちまち敵機の爆撃目標となり、火だるまになってしまいました。
そうこうするうちに他の輸送船は引き揚げてしまい、我々は輸送船に乗り損ねてしまいました。私などは肩を負傷したとはいえ、それ以外は元気でしたからよかったのですが、マラリヤや赤痢に罹った者がおりましたので、彼らだけでも先に送り返してやりたいところでした。
みなさんが去られた後、敵は攻撃目標を浜辺へ切り替えてきました。積み上げた物資は隠す間もなく爆撃にさらされ、次々へと焼かれてしまいます。戦闘機が反復攻撃をかけ、浜辺やその近くで機銃掃射を繰り返します。こちらは反撃の手段がありません。ただ逃げまどうだけです。集積物資への爆撃と機銃掃射は連日続き、結局、物資のほとんどが焼き払われてしまいました。悔しいことですが、兵員の揚陸はおおむね成功でも、物資については失敗だったのです。『吹雪』の生き残りも爆撃と機銃掃射のせいでずいぶんやられてしまいました。ガダルカナル島へ泳ぎ着いた約三十名のうち、こうして残ったのは八名だけです。
死んでしまってはもう戦さをすることはできません。生き延びることができてよかったと思います。こうして生き残ったからには、ぜひとも仇をとらなくてはなりません。それが死んだ艦長や部下へのせめてものはなむけとなるでしょう。わたしは海の藻屑と消えたくはありません。私に課せられた任務はアメリカを破ることです。戦って戦い続けて、アメリカを屈服させるその日まで、善き戦いを戦い抜きたいと思います。
「陸軍さんがまた一人、息を引き取ったんだって」
「気の毒に」
「大発で乗ってきた陸軍さんは二十人ちょっといたけど、そのうち五人は『五月雨』に乗ったとたんにこと切れたよ」
「気力だけで持っていたんだな」
「『五月雨』に乗ってほっとして、そこで力尽きちゃったんだね」
「せめてラバウルまで戻れば、まだまともな治療も受けられるのに」
「あそこなら野戦病院もあるしね」
「ガダルカナルは激戦地だっていうけど、死んだ陸軍さんのほとんどは餓死か病死だって」
「生き地獄だよな」
「今度の総攻撃が成功するといいね」
「ああ、こんな戦いははやいとこ終わらせちまおうぜ」
「まったくだ」
「おいおい、しゃべってないで、対潜見張りをちゃんとやれよ」
「こんだけ高速で走っていたら、大丈夫っしょ。潜水艦なんかに追いつかれやしないですよ」
「油断は禁物。どこに敵が潜んでいるかわからないんだからな」
「はーい」
お兄さん、この刺青ってかい? 牡丹よ。牡丹に決まってるだろ。見ればわかるじゃない。どうだ綺麗だろ。こいつはねえ、深川で一番の彫り物師に入れてもらったのさ。結構高かったんだぜ。刺青は男の顔みたいなもんだからねえ。いい刺青を入れなきゃ、面子が立たないってもんよ。
なんで俺らが海軍設営隊に入ったのってかい? そりゃさ、ちょっと訳があってさ。こいつよ。この小指よ。こいつにやられたのさ。いい娘だったんだけどねえ、偉い人のお手のついた娘っこだったのさ。向うは偉いよ。だけどさ、男っぷりは俺らのほうがずっといいからねえ、娘っこが俺らに惚れるのもむりないってもんよ。娘っこに言い寄られてさ、いい仲になって、かわいい唇にキスしてさ、だけど、それがばれてえらいことになっちゃったのよ。お前みたいな奴は生かしてはおけんなんて偉い人はかんかんでさ、それで俺らは設営隊に入れられちゃった。娘っことのロマンスは高くついたねえ。
船に乗せられて、着いた先が地獄のガダルカナル。飢えた島と書いて飢島と読むなんてな。あんな暑いところで来る日もくる日ももっこ担いで飛行場を作ってたのさ。娘っこは手紙を送るわねなんて言ってくれてたけど、はがきの一枚もきやしねえ。薄情なもんだよ。俺らは遊ばれてたんだな。涙が出てくるよ。俺らの純情を返してくれよ。刺青は入れてても心はウブなんだぜ。
飛行場ができるまでは平和だった。アメリカさんも時々飛行艇を飛ばして偵察しにくるくらいで、別に空襲もなかったし。ところろがよ、飛行場がだいたいできあがってやれやれって思ったとたんにアメリカ軍が上陸してきたのよ。それも真夜中に。がやがや変な物音がするからどうしたのよってタコ部屋から出て見てみたらさ、アメリカ軍が大挙してやってくるのが見えたのさ。えらい大勢だったね。みんなもう泡食って逃げたよ。こちとらは設営隊だもん、モッコとタコとショベルで戦えるわけがないでしょ。逃げるしか手がないのよ。
山奥へ引っ込んで、それからは惨めな逃亡生活よ。とにかく、一日中食い物の算段をしなくちゃいけない。誰も補給なんてくれないしさ。そのへんの野鼠を捕まえたり、椰子の実を取るだけじゃ足りないから、人殺し以外はなんでもやったよ。陸軍さんの物資をこっそり盗んだり、アメリカさんの物資を盗んだりしたもんよ。え? アメリカの物資を盗んだのは大袈裟だろうってかい? まあそれがさ、できちゃうのよ。深いことは訊かないでおくれ。俺らはけっこういろんな仕事をやってきたからねえ。人生いろいろなのよ。
そんでもって、失敬した物資を原住民の村へ持って行って物々交換して芋をもらったりもして、なんとか食いつないだのさ。村人とは仲良くなったね。最初はいろいろややこしかったけど、村人とうまくやれるようになってからはすこしは落ち着いたかな。満腹とはとてもいかないけど、食い物はなんとかなる。
村の娘が俺らに惚れてくれてさ、なんだかんだとよくしてもらったよ。どこにでもいい娘はいるもんさ。不思議だよね。俺らはあの子の言葉がわからない。あの子は俺らの言葉が聞き取れない。でも心は通じ合うんだよな。言葉の意味はわからなくても相手の言ってることは理解できるんだ。人間ってやつは気持ちで生きてるんだな。
隊長は俺らが村人と仲良くするのをこころよく思ってなかったみたい。娘と恋をしているのも知っていたしさ。だけど、隊長にも食い物をわけてあげてたからなにも文句は言わなかった。生粋の軍人っていうのはやせ我慢の名人だねえ。俺らはとても真似できねえよ。だけどさ、隊長はマラリアに罹って死んじゃった。真面目すぎたんだよ。真面目だけじゃあんな生き地獄を生き延びられないさ。体力が落ちていたから、あっけなくお陀仏になっちゃった。悪いことはしない善良な人だったけどねえ。
村の娘は俺らと結婚して欲しいなんて感じだった。娘の親父もなぜだか知らないけど俺らのことを気に入ってくれたみたいで、娘と所帯を持って村に住みついたらいいじゃないかって感じだったよ。さすがにガダルカナルの村人にはなれないけどさ、日本へ連れて帰って俺らはあの娘と一緒になってもよかった。だけど、そうはいかないわね。俺らの女房ですなんていっても輸送船に乗せてくれるわけがないもん。
駆逐艦がくるっていうたびに、設営隊の生き残りも何人かずつ浜辺へ行ったりしてたね。運よく帰った奴もいるみたいだけど、たいていは乗りそびれて引き返してきた。ただ、今回は大型輸送船がくるってことで、設営隊の残り全員で引き揚げると決まったんだ。
娘と別れるちょうどいい潮時かなって俺らは思ったよ。どのみち一緒にはなれねえ。いっしょにいればいるほど想いが深くなって別れがつらくなる。だったら、どっかで踏ん切りをつけたほうがいい。俺らがぐずぐずしてたんじゃ、あの子に悪いしさ。俺らはお前さんを幸せにできねえからって、生まれ変わったら絶対にお前を探し出して今度こそ夫婦になるからって、泣きながら諭したよ。娘もわかってくれた。俺らの恋はまた破れちまったよ。
それでもって、みんなと一緒に苦労して浜辺に着いたら輸送船は出ちまった後だった。やれやれって感じさ。密林のジャングルを鎌一本で道を拓きながら出てきたんだけどな。でもよ、またすぐ駆逐艦がくるだろうからって言われて待ってたら、ちょうどあんたらがやってきてくれたのさ。地獄に仏とはこのことよ。
サイダーはうまいねえ。久しぶりに飲んだよ。軍艦にはサイダーまで積んであるんだ。生きてるっていいもんだねえ。お兄さん、ありがとよっ。
「ショートランドが見えた」
「よかったあ」
「もうちょっとだ」
「今回は楽勝だったね」
「一度も空襲を受けなかった」
「味方の駆逐艦が見える」
「陽炎型だな」
「あ、水上機が飛び立つぞ」
「零式水偵だ」
「偵察へ行ってくるんだな」
「おーい」
「しっかり頼むぞお」
「風呂入りてえ」
『五月雨』は鼠輸送の任務を無事に終え、ショートランドへ帰投した。