鼠輸送
「出撃命令が下りた」
山原艦長は艦へ戻るなり、友田大尉へ告げた。ガダルカナル島よりショートランドへ帰投した『五月雨』はタンカーに横付けして給油作業を行なっている最中だった。ライトが甲板上に煌々とともり、その灯りに大小様々な蛾が群がる。艦後部のそこかしこで溶接の火花が散る。水兵たちが慌ただしく甲板を駆け抜けた。
「五時間後、輸送物資と陸兵をのせてガダルカナルへ向けて出航する」
「鼠輸送ですか」
「そうだ」
水上機母艦三隻が再度輸送任務につく予定だったのだが、今回の輸送作戦の報告を聞いた司令部は危険が大きいと判断。水上機母艦による重砲や物資の輸送は諦め、そのかわりに鼠輸送作戦を実施することに決定した。
「重傷者の搬送は完了しました。死傷者に関しては司令部へ報告をあげました。給油作業は十五分ほどで完了見込みです。第二砲塔は応急修理でなんとか使えるようにできそうですが、第三砲塔はダメです。我々の手では修理できません」
友田は手元のボードを見ながら報告した。
「第二砲塔の操作はどうだ。ずいぶんやられたからな」
「第二砲塔と第三砲塔の砲員をあわせて、第二砲塔を動かさせます。大丈夫です。操作可能です」
「御苦労。兵を休ませたいところが、準備を急がせてくれ。もうすぐ陸兵が乗艦する」
「承知致しました。作業の督促を行なって参ります」
友田は敬礼し、艦橋を下りた。
給油作業は予定より早くできたようで、乗組員が給油ホースを外しにかかっていた。給油を終えた『五月雨』は微速前進でタンカーを離れ、他の駆逐艦へ給油場所を空ける。『五月雨』はタンカーから少し離れた位置で投錨した。近づいてきた艀が『五月雨』に横付け、物資を上げ始めた。
第三砲塔は無残に壊れ、原形をとどめていない。乗組員が血糊のべっとりとついたリノリュームを洗っている。
「先任、すみません」
砲塔長が友田大尉へ頭を下げた。
「砲を壊したうえに、たくさん死なせてしまいました」
「それを言うなら私の責任だよ。敵機をよけきれなかった」
「たかが機銃掃射と思っていましたが、あなどれませんね」
「まったくだ。弾丸の貫通だけならまだしも、こちらの弾薬に引火すると厄介だな。砲塔の覆いは弾片防御だけで、敵の機銃掃射を想定した防御は施していない」
「いたたまれない気持ちです」
「部下を失うのは誰だってつらいさ。冷酷な言い方だが、慣れるしかない。戦さなのだからこれからも戦死者は出る。今回はこれくらいでまだ済んでましだったほうなのかもしれない。この先、もっと激しい戦いはいくらでもあるだろう。貴様は貴様の持ち場で『五月雨』を支えてくれ」
「全力を尽くします」
陸兵が上がってきた。新兵の多い部隊のようだ。戦場帰りの煤けた『五月雨』には、さっぱりとした彼らの姿はいささか似つかわない。陸兵たちは血糊で赤く滲んだ甲板を見てぎょっとした顔をする。陸軍の士官がお世話になりますと友田へ敬礼をした。
午前三時四十五分、『五月雨』は、軽巡洋艦『川内』『由良』『龍田』、駆逐艦『秋月』以下十数隻の駆逐艦とともに、兵員と補給物資のドラム缶を満載してショートランド泊地を出発した。
鼠輸送の水雷戦隊は速力二十六ノットの高速で曇った海を突っ切る。風が強い。『五月雨』は荒れた波を引き裂きながら前進する。艦は上下に大きく揺れた。
「先任、大変です。来てください」
艦橋の連絡電話から慌てた声が響く。友田は、今行くと答えてタラップを降りた。
食堂では、水兵と陸兵が二手に分かれ、お互いに睨み合っていた。喧嘩が始まったらしい。幸い、まだ乱闘にはいたっていないようだ。
「どうした? なにがあった」
友田は機関兵曹に訊いた。
「どうもこうもないですよ。こっちは罐を焚いてくたくただっつうのに、こいつらが食堂を勝手に使って、こっちは休めやしないんですよ」
機関兵曹はふてくされた顔をして陸兵たちを顎でしゃくってみせた。
「だから場所を空けたじゃないか」
陸兵の一人が言った。
「ここはお前らが入ってくるとこじゃねえって言ってるんだよ」
「船酔いしている者がいるんだ。ほかに休息させる場所もない」
「お前らが乗ってくるから艦が狭くなるんだろ。知ったこっちゃねえよ」
「いい加減にしないか」
友田は機関兵曹を叱りつけた。彼はぶすっとしたまま顔をそむける。
「陸軍は食堂で船酔いした者の介護を続けてください。『五月雨』の乗組員は、今は輸送作戦中であることをわきまえること。以上、解散」
水兵と陸兵たちは食堂を出る。船酔いした陸兵が十名ほど残った。
「衛生兵を呼んできますから、このまま寝かせてください。酔い止めをくれるでしょう。すこしはましになるかもしれません」
友田は陸軍の中隊長へ言った。乗船した際、友田に敬礼した士官だった。
「すみません。邪魔にならないように気をつけたつもりだったのですが、騒ぎになってしまって」
中隊長は困惑した顔をしながら、蒼ざめた陸兵の背中をさする。
「申し訳ないのはこちらのほうです。あなた方はなにも悪くありません。機関科の連中は休みなしでガダルカナル島へ往復しなければならないので気が立っているのです。許してやってください」
友田はそう言いながら、川口少将のやつれきった顔を想い起した。一週間もすれば、つやつやした彼らの顔も痩せ細って色を失うのかと思うとやりきれない気持ちにもなった。
「なにかあれば係りの者へ言いつけてください」
友田は敬礼をして食堂を後にした。通路には陸兵たちがうずくまったままじっとなにかに耐えるようにして坐り、甲板には所狭しとドラム缶が並べられていた。艦内を一回りして見回った後、艦橋へ戻った。食堂での顛末を報告すると、山原艦長は首を振り、
「機関の連中は穴倉でエンジンの相手をするだけだから、外の人間との接し方を知らんわな」
とぼそっと言った。『五月雨』はスコールのなかへ突入する。ローリングがさらに大きくなる。
「ガダルカナルを取ったとして、その後はどうなるのでしょうか?」
友田大尉はふと山原艦長へ話しかけた。
「ガダルカナルの後か」
山原艦長は窓に叩きつける雨を見つめる。
「ガダルカナルだけでは完全に米豪連絡線を分断できないから、このまま米豪分断作戦を続けることになるだろう。サンタクルーズ諸島を占領して、エピリトゥサント島を奪取する。エピリトゥサントには敵の浮きドックがあるらしい。それを破壊すれば敵はこのあたりで艦の修理ができなくなる。フィジーを攻め、ニューカレドニア島に上陸する。ニューカレドニアはニッケルが採れるから、押さえておきたい島だな。ざっとこれくらいの島を取れば米豪分断作戦は完了といったところだろう」
「ガダルカナルだけでこんなに手こずっているのに、攻め切れるのでしょうか」
「わからん。相手も必死だからな。ただ、ガダルカナル島を取ってしまえば、戦いの流れはこちらへくる。主導権が握りやすくなる。今は向こうが主導権を握っているからしんどい作戦ばかりだが、すこしは戦いやすくなるだろう」
「それであれば、分断作戦などと回りくどいことをせずに、いっそのことオーストラリアを直接攻めればよいようなものだと思います。オーストラリアを占領すれば、アメリカはそこを基地にして日本へ反攻できなくなるわけですし、問題を根っこから断ち切ることができるでしょう」
「首脳部もオーストラリア進攻を考えたが、陸軍に断られたそうだ。オーストラリアを攻めるとなると、中国戦線の師団を相当数引き抜かなければならず、中国戦線が成り立たなくなるそうだ。もっとも、中国との戦さはすっぱりやめてアメリカとの戦いに集中したほうがいいがな。残念ながら日本には、中国とアメリカの二つを同時に相手に回すだけの国力はない」
「私もそう思います。――それで、米豪分断作戦が完了すれば、その後はハワイへ攻め込むのでしょうか」
「そうなるだろうな。ハワイを取れば、この戦争は一区切りになるかもしれん」
「休戦ですか」
「あるいはな。ただ、相手のいることだから、アメリカがはいと応じるかどうはわからない。ハワイを取っても、太平洋をはさんで戦いがずっと続くことになるかもしれん。講和がむりだとすれば、ニューヨーク、ワシントンまで攻め込み、アメリカに城下の盟を誓わさせなければならない」
「途方もない戦いですね」
「それでも戦わなければならん。アメリカに負ければ日本はアメリカの属国になる。彼らが植民地でやってきたことをみればわかるだろう。やつらは属国の富を奪い尽くす。そうなれば日本はおしまいだ」
「そんなことは考えたくもありません」
「負けなければいい。負けなければ日本は独立したままでいられる。たとえ勝つのがむずかしいとしてもな」
友田は艦長と話をして身の引き締まるのを覚えた。ニューヨーク、ワシントンまで攻め込む――果たしてそんなことができるのかどうかはわからない。だが、日本を守るために、祖国をアメリカの属国などにはさせないために、戦い続けなければならない。「負けなければいい」という言葉をなんども唇でかみしめた。『五月雨』はスコールを抜け出した。
鼠輸送部隊は敵襲を受けることなく、夜になってガダルカナル島へ到着した。月も星も雲に隠れている。暗い夜だった。
「またここへ戻ってきたのね」
「夜のガダルカナルはまだ静かでいいわね」
「昼は敵機に追いかけまわされておっかないけど」
「ボートを下ろせ」
「陸軍の先発隊はボートで上陸。残りは岸からやってくる陸軍の大発舟艇を待て」
「ボートの指揮を執って参ります」
「持ち時間は一時間半だ。きっかり一時間半以内に陸軍を送り届けて帰ってくるんだ。浜辺に負傷者や重病人がいたらできる限り収容してこい」
「はい」
「くれぐれも時間に注意しろ。貴様たちの帰ってくるのが遅れても『五月雨』は待たない。置いてきぼりをくってしまうぞ」
「はい。必ず時間までに戻って参ります」
「陸軍さんはボートへ下りてください」
「足を滑らさないように、しっかり網に足をかけて」
「その物資は後で大発に載せて送ります。置いておいてください」
「こちらへ。前へつめて坐ってください」
「陸軍さんは全員乗りましたね」
「出発」
「気を付けてね」
「海図の通りに走るんだ」
「環礁にぶつかったらえらいことだもんね」
「こんなボートくらい、座礁したって、ちょっとおりて押してやれば大丈夫でしょ」
「穴が開いたらどうするんだ?」
「ええ~」
「サンゴ礁はあなどれないんだぞ。結構硬いんだから」
「そうなったらボートを置いていくしかない」
「『五月雨』へ戻れない」
「ガダルカナルに取り残される」
「しっかり海図を見て、航路を確認します」
「頼んだぞ」
「針路そのまま、ヨーソロー」
「夜光虫が集まってきた」
「きらきらしている」
「きれいだなあ」
「お伽噺のなかにいるみたい」
「面舵」
「波が静かでよかった」
「陸軍さんはみんな不安そうに黙りこんでいる」
「これから敵地へ乗り込むんだもんな」
「陸地が近づいてきたぞ」
「浜辺より発光信号。ワレ、キセンヲマツ」
「よし信号の方向へ行くんだ」
「ちょい取舵」
「針路そのまま、ヨーソロー」
「もうすぐだね」
「気を抜くな。浅瀬になればなるほど危険だからな」
「よし、着いた」
「陸軍さんはそのまま降りてください」
「ボートを浜へ上げろ」
「信号を出していた人たちのところへ行くんだ」
「おーい」
「負傷者はいませんか」
「あなたがたは?」
「駆逐艦『吹雪』の乗組員です」
「沈没した『吹雪』の?」
「そうです」
「よくぞ生きていらっしゃいました。さあこちらへ」
「海軍設営隊です」
「飛行場の建設部隊ですよね。今まで残っていたのですか」
「何度も帰りそびれてしまって」
「あなたたちも乗ってください。早く」
「陸軍の負傷者は六名ですね」
「負傷者は担いで乗せるんだ」
「怪我しないように」
「気を付けて」
「我々は『五月雨』の者です。他に誰か乗っていく人はいませんか」
「おーい、誰かいるかあ。『五月雨』まで連れていくぞぉ」
「もういないみたい」
「よし引き上げだ」
「ボートを出せ」
「時間は?」
「残り四十分です」
「間に合うな」
「海図をしっかり見ながら進むんだ」
陸軍の大発舟艇がボートと入れ違いに岸辺からやってきた。『五月雨』は残りの陸兵を大発へ移し、ドラム缶を海へ流した。大発がそれを拾い岸辺まで曳航する。大発が送ってきた陸軍の負傷者たちは骨と皮になってやつれ切っていった。ある者は担架に乗せられ、ある者は立っているのもやっとの体で杖をつきながら乗艦する。
「なんとも気の毒だなあ」
「栄養失調どころじゃないよ」
「まったくだ。幽霊みたいだもん」
「陸軍みたいに飯のないジャングルで骸骨みたいに飢えるのがいいのか、海軍みたいに海に放り投げられて鱶の餌になるのがいいのか」
「御飯を食べられるだけ、海軍は恵まれているのかも」
「腹が減っては戦はできぬなんて贅沢なんだな」
「なんか食べ物をあげようよ」
「キャラメルがまだ残っていたな」
「だめだよ」
「キャラメルのどこがいけないのさ。栄養価も高いのに」
「あんなふうになったら、もう固形物を摂ってはだめなんだよ」
「ええー、どうして?」
「胃が受け付けない。重湯からはじめて徐々に回復させるしかないんだ」
「腹ペコなのに食べちゃだめなの?」
「そういうこと。固形物を入れたら胃が壊れて死んでしまう」
「陸軍さんはショートランドまでもつかなあ。駆逐艦はけっこう揺れるし」
「体力を消耗するよな」
「ボートが帰ってきた」
「でかした。よくやった」
「ボート引き揚げ用意」
「元気な者は縄梯子に摑まって登るんだ。負傷者はボートごと『五月雨』へ引き揚げる」
「ウインチを回せ」
「ボートを揚げろ」
「出航五分前」
「急ぐんだ。早く」
「全員『五月雨』に乗ったな」
「負傷者は食堂へ収容する」
「用具収め」
「さあ、『吹雪』の方たちはこちらへきてください。案内します」