第二師団を送り込め
十月十二日一八〇五
『五月雨』は同じく白露型の駆逐艦『春雨』『夕立』とともに、輸送船『吾妻山丸』『南海丸』『九州丸』『佐渡丸』を護衛してラバウル港を出発した。目的地はガダルカナル島である。護送する商船はどれも最新鋭で最高速力は十四ノットだった。
今回の輸送作戦は、是が非でも第二師団約二万人の兵員と重火器等の兵器、物資を送り届ける必要があり、大掛かりなものとなった。
戦艦、重巡洋艦を中心とした挺身隊が数度にわたりガダルカナル沖へ突入して敵の飛行場を焼き払い、敵航空隊の動きがとまったその隙を突いて六隻の新型商船及び水上機母艦『千歳』『千代田』『日進』が第二師団の兵員と物資を揚陸させるという計画だ。
『五月雨』がショートランドまで送り届けた百武中将、川口少将ら首脳部は、すでに駆逐艦『親潮』に乗ってガダルカナル島へ上陸し、第二師団の到着を待っていた。『五月雨』は輸送船を守りながら他艦との合流地点であるショートランドを目指して走る。
「いい風だねえ」
「爽やかだなあ」
「おや、でかい海亀が泳いでいるぞ」
「風格があるなあ」
「何歳なんだろう」
「二百歳とかいってんじゃないの」
「かもね」
「長寿亀を見られるなんてめでたい」
「亀さん、亀さん、あなたのおうちはどこですか?」
「龍宮城に決まっているだろ」
「連れていってもらいてえ」
「龍宮城には女神さまがいるのかな?」
「いるに決まってんじゃん」
「龍宮城へ行くなら、なんか手土産を持っていかないとな」
「鉄砲の玉くらいしか持ってねえや」
「そんなもん、龍宮城にはいらないよ」
「あそこには諍いなんてないもん」
「戦争だってない」
「アメリカ人も龍宮城へ行けるかな」
「もちろんそうでしょ」
「わけへだてなんてしないさ」
「女神さまにお酌してもらいてえなあ」
「いいねえ。熱燗でちびちびと」
「ヒラメといっしょに踊ってホレホレホレ」
「ナマコもいっしょにホレホレホレ」
「タコもいっしょにホレホレホレ」
「毎日、楽しいだろうなあ」
「女神さまってどんな女なんだろう」
「すげえやさしいよ」
「涙が出るくらいさ」
「きっと鈴の音みたいなきれいな声で、俺たちをいたわってくれるんだよ」
十三日夕刻、『五月雨』はショートランド近海にて輸送船『笹子丸』『埼戸丸』及び防空駆逐艦『秋月』や他の駆逐艦と合流し、ガダルカナル島への道を急いだ。一夜明けた翌日の昼過ぎ、米軍基地航空隊の襲撃を受けた。
「敵機急速接近中。距離一万三千メートル」
「対空戦闘用意」
「敵機は二九機」
「友軍機はいるか」
「見当たりません」
「我々だけで追い払うしかないのか」
「敵機は後ろへ回りこみます」
「距離八千」
「第二砲塔、第三砲塔、撃ち方始め」
「撃て」
「当たらねえ」
「敵急降下」
「面舵、機銃撃ち方始め」
「『秋月』が襲われてる」
「四機も取り付いてるぞ」
「回避するんだ」
「がんばれ」
「『村雨』の後方に着弾」
「でかい水柱」
「取舵、避けろ」
「敵機、前方からやってきます」
「面舵に当て」
「撃て、テッ」
「当たれ」
「この野郎、当たりやがれ」
「右前方より急降下」
「取舵一杯」
「左前方より敵戦闘機一機突っ込んできます」
「ひええぇ」
「弾が降ってくる」
「避けられない」
「うわっ」
「やられた」
「三番砲塔火災、消火中」
「二番連管魚雷、重傷者一、軽傷三」
「二番砲塔火災、使用不能、死傷者一」
「応急員出動」
「原因はなにか?」
「敵の機銃掃射が砲塔を貫通しました」
「消火器が足りないぞ。早く持ってこい」
「衛生兵を呼べ」
「魚雷用の酸素に火がまわるでやんす」
「危ない」
「消せ、消せ、消せ」
「うぅ熱い、痛い」
「触っちゃだめだ。化膿する」
「佐藤はどこだ?」
「火だるまになって砲塔から出てきて……」
「それからどうしたんだ?」
「海へ転がり落ちました」
「そうか……」
「火はだいたい消し止めたな」
「三番砲塔も使い物にならない」
「負傷者は全員士官室へ運べ。士官室が臨時治療室だ」
「水をくれ」
「士官室へ着いたら水をやる。ちょっとの辛抱だ」
「敵機が去ってゆく」
「助かったな」
「たかが戦闘機にこれだけやられるなんて」
「味方は大丈夫か?」
「輸送船は?」
「輸送船はやられていない」
「よかった」
「一、二、三」
「よし乗っかった」
「服を脱がせろ」
「ひどいやけどですね」
「熱傷二度。面積は三割五分。まずいな」
「火傷薬」
「暑いなあ。ビール飲みてえ」
「持ってきてやれ」
「メス、ピンセット」
「今弾を抜いてやるからな」
「麻酔をしないの?」
「歯を食いしばれ。我慢しろ」
「痛てて」
「もうだめだ」
「助かる。弱音を吐くな」
「眠いし」
「寝たら死ぬぞ。起きるんだ」
「ビールはうまかったわ。お前に渡した形見の品を家族に届けてくれよな。頼む」
「ばかっ! 一緒に日本へ帰ろうって約束したじゃないか」
「もうダメ。最後にすき焼きを喰いたかったなあ」
「おい、しっかりしろ」
「敵の飛行艇だ」
「ひつこいなあ」
「零戦が追い回している」
「やっと友軍機がきた」
「遅いよ」
「きてくれるだけましさ」
「よしやっつけろ」
「二十ミリ機銃でぼこぼこにしてやれ」
「飛行艇は尻尾を巻いて逃げてった」
「零戦にはかなわないさ」
「もう敵機はいないな」
「どこにも見当たりません」
「とりあえず、これで終わったみたいだ」
「夕暮れだもんね」
「飛行機はおうちへ帰る時間ですよ」
「なんだかやられっぱなし」
「情けないけど、これが現実なのね」
「さあ、これから握り飯を千個作るぞ。戦闘食糧だ。夜戦になるかもしれんから二食分作るんだ」
「棟梁、梅干しが足りません」
「鰹節を削れ。おかかにするんだ」
「たくあんもどんどん切りましょう」
「みんな腹を減らしてんだ。大急ぎだぞ」
「がってんだあ」
夜の帳がおりた。星が輝く。時折、流れ星が夜空にかすかな傷跡を残しては消えてゆく。『五月雨』は輸送船を守りながら走り続けた。
「敵艦らしき艦影見ゆ。距離一万メートル」
見張り員の報告に艦橋に緊張が走る。日本海軍の見張り員は夜の海上でも遠くの敵を発見できるよう訓練されていた。
「艦型を確認せよ」
「敵か、味方か」
「敵だと厄介だな」
「敵に巡洋艦がいるとさらに面倒だ。こちらは駆逐艦しかいない」
「見つからないようにやり過ごすしかないか」
「輸送船は遅い。すぐに追いつかれてしまう」
「その時は突撃して、一撃離脱しながら敵を輸送船から引き離すように誘導する」
「高雄型です。『鳥海』です。古鷹型が一隻、後続しています」
見張り員が叫ぶ。艦橋の皆がほっと息をついた。第八艦隊の重巡『鳥海』『衣笠』、駆逐艦『天霧』『望月』の四隻が、ガダルカナル島の敵飛行場を砲撃するために航行中だった。旗艦『鳥海』には艦隊司令の三川中将が座乗し、直接指揮を執る。第八艦隊は今夜半にも敵飛行場へ砲撃を開始する予定だ。
「がんばれよ」
「しっかり頼みます」
「頼もしいシルエットだ」
「敵の飛行場を破壊してくれ」
「あんたたちが頼りなんだ」
乗組員たちは思いおもいに帽子を振った。第八艦隊の姿は水平線の向こうへ消えた。
「海神が弔い歌を口ずさんでいる」
「悲しい調べだなあ」
「渡辺と安村と山田を迎えにきたんだよ」
「有馬もだめだったんだってさ」
「最後に『チェリー』をうまそうに吸って息を引き取ったよ」
「子供が生まれたばっかりだったよな」
「気の毒に」
「海神はどこだ?」
「俺達には姿は見えねえよ」
「女神さまは死んだやつの前にしか現れないのさ」
「総員、気を付け」
艦尾に整列した乗組員はさっと直立不動の姿勢を取る。白い布でくるんだ遺体を道板の上に載せ、布の端には錘として模擬弾がくくりつけてあった。海へ転落した佐藤一等兵の分は、模擬弾を布で包み遺体のかわりとした。笛が鳴る。
「諸子の仇は必ず取る。敬礼」
山原艦長が厳かに言った。
水兵が道板の端を持ち上げ、傾斜がつく。亡骸は押し黙った祈りに見守られながら暗い海へ滑り落ちた。
「さようなら」
「形見は家族へ届けるからな」
「女神さまのもとへお帰り」
『五月雨』は戦死した乗組員を海へ還し、暗闇の海をひた走った。
本日の戦闘は非常に厳しいものだった。
制空権なき戦いの困難さ、というものを改めて思い知らされた。
緒戦の南方攻略戦においても、わずかな敵機に手こずったことがあった。しかし、今回の敵機の数はその比ではない。味方の戦闘機が掩護してくれなければ、こちらはまったく歯が立たない。本艦の主砲は対空戦闘もできるように五十五度の仰角をつけてあるが、弾薬の装填時に砲身を水平に戻すため、毎秒四発と高射時の発射速度は遅く、高射管制装置もないため正確な照準ができない。せいぜい威嚇程度の効果しか期待できなかった。
毘式四十ミリ単装機銃は発射時の詰まりが多すぎて撃ちたい時に撃てないことがしばしばある。そのうえ弾道特性が悪いために狙った方向へ弾が飛んでいかない。単装では弾幕効果も薄い。国産の二十五ミリ連装機銃へ換装する必要があるものと思われる。また、対空射撃の研究も不足している。現状ではただなんとなく撃っており、命中率が極端に低い。対空兵器、陣形、射撃法をすべて含めて、綜合的に、抜本的に見直す必要があるだろう。今のままでは敵機を撃墜せしめることができない。
ガダルカナル島の一角がぼんやりと明るくなる。水上偵察機が落とした吊光投弾の白い光が島の姿を浮かび上がらせる。赤い輝きが夜の底にしゃぼん玉のように浮かんでは消える。第八艦隊の砲撃が始まった。重巡『鳥海』『衣笠』は最新式の三式弾を装填している。三式弾は焼夷弾だ。それを何百発と打ち込み、飛行場を焼き払う。
波音のほかはなにも聞こえない。
ただ三式弾の明滅だけが、そこでたしかに戦争が行われていることを告げている。輝きが一つ消えるごとに、幾人か十幾人かの生命が損なわれているのだろう。私というこの命もやがては砲火の渦に巻き込まれて消えゆく運命にある。
輸送船団は無事にガダルカナル島の泊地へ到着し、早速兵員と物資の揚陸を開始した。舟艇に乗り換えた陸兵が次々と浜辺へ行く。『五月雨』は沖合でいつでも砲雷撃戦が可能なよう第一配備のまま敵艦の警戒に当たった。闇夜の波間に魚雷艇らしき姿を見たが、逃げ出したのか、そもそも誤認だったのか、ともあれ米軍の魚雷艇はやってこなかった。
輸送船のクレーンが荷物を舟艇へおろし、満載になったところで舟艇が出発して、すぐに別の舟艇が輸送船へ横付けて物資の積み込みを開始する。六隻の輸送船は同時にその作業を行った。輸送船のクレーンは休む間もなく動き続ける。
東の空が白む。外南洋の美しい夜明けがもうすぐやってくる。ふと航空機の爆音が空に響いた。『五月雨』の乗組員は一斉に空を見上げた。
「敵機三機。輸送船団へ向かいます」
「輸送船は作業を中止。碇を上げて回避行動に移ります」
「忌々しい敵機だ」
「対空戦闘。主砲撃ち方始め」
山原艦長は声を張り上げ、
「敵の機動部隊か? 第八艦隊が飛行場を焼き払ったはずだが」
とつぶやいた。
「敵機の機種をよく確認しろ」
友田先任が見張り員へ指示を出す。
「カーチスP40です」
見張り員はすかさず報告した。
「陸上機ですね」
友田は艦長へ言った。
「飛行場を完全には破壊できなかったのだな。やはりむりなのか」
山原艦長はしかめっ面をして腕を組む。
「重巡の二十センチ砲では破壊力が足りないのでしょうか」
友田は言った。
「戦艦の火力に比べれば、重巡は確かに威力不足だな。だが、それだけではないような気もする」
「おとといの夜、第三戦隊の戦艦『金剛』『榛名』が飛行場を砲撃して飛行場を破壊したはずでしたが、昨日、我々は敵陸上機の空襲を受けました」
「第三戦隊が完全に飛行場を破壊したのであれば、敵機がやってくるはずがない」
「米軍は工作機械を使って滑走路をすぐに修理してしまうと聞いております」
「米軍のようにブルドーザーがあれば便利だろうな。我々はモッコやタコを使っての手作業だから、すぐには修理できないが。とはいえ、いくら工作機械があるからといって、戦艦の主砲が穴だらけにした滑走路をそこまで素早く修復できるものなのだろうか」
「もしかしたら、もう一本滑走路があるのかもしれません」
「その可能性が高いな。米国の工業力をもってすれば、簡単な滑走路をこさえることくらい朝飯前だろう」
『五月雨』の主砲弾が暁の空に炸裂する。だが、いたずらに空に黒い煙をまくだけで敵機には当たらない。敵機は低く舞い降りて機銃掃射を一回かけた後、空の向こうへ飛んで行った。
「輸送船に被害らしい被害はないようです。煙も上がっていません。早く揚搭が終わればいいのですが」
友田は双眼鏡を覗きながら言った。
回避行動を行なっていた輸送船は、敵機の去ったのを見て錨を下ろし揚搭作業を再開する。が、しばらくして敵の爆撃隊が飛来した。敵機は小型爆撃機十五機。上空警戒に当たっていた零戦がこれを迎え撃つ。敵の数機が島の林へあるいは海上へ堕ちた。輸送船団の間に爆弾が落ち、太い水柱が上がり輸送船の姿を隠す。輸送船の一隻が命中弾を受け、黒煙が上がった。
「やられた」
「がんばれ。せっかくここまできたんだ」
「輸送船はなにかにぶつかったみたいだぞ」
「座礁した」
「動かない」
「ちくしょう」
「あ、B17の編隊だ」
「やべえ。あんなやつに爆撃されたらイチコロだぜ」
「零戦が追いかける」
「撃ち落としてくれ」
「零戦が宙返りした」
「そのまま突っ込むんだ」
「やった! B17が傾いた」
「エンジンを撃ち抜いたんだ」
「あれ? 墜落しない」
「しぶといなあ」
「敵は六機も残っている」
「爆弾を落としたぞ」
「よけろ」
「また一隻やられた」
「荷物が燃える」
「輸送船から人が落ちる」
「早く逃げるんだ」
「火柱があがった」
「弾薬に引火したんだ」
「ああ」
「また小型機がきた」
「敵は飛行場に戻ってすぐ反復攻撃をかけてくるんだな」
「あれは?」
「一式陸攻じゃないのか」
「日の丸飛行機だ」
「味方だ」
「ラバウル航空隊が飛行場を爆撃しにきたんだ」
「早く敵の滑走路に穴をあけてくれ」
「敵が空襲しなかったら、こっちは荷物を揚げられる」
「しっかり頼みます」
「零戦が敵機に喰らいつく」
「追い払ってくれ」
「やった。逃げていく」
「敵機がいなくなった」
「今だ。荷物を揚げるんだ」
「あれ、『五月雨』が増速したぞ」
「どこへ行くんだ」
「『夕立』と『村雨』が前を走っている」
「引き上げるのはまだ早いよ」
「砲撃戦用意。目標敵飛行場」
「そういうことか」
「駆逐艦でやっつけるのね」
「よっし、俺たちも応援するんだ」
「敵の飛行場が見えてきた」
「とりあえず滑走路をでこぼこにしとけ」
「それ撃て」
「もっと撃て」
「撃ちまくるんだ」
「十二・七センチ砲だからってばかにすんなよ」
「よく命中するねえ。すごいな」
「当たり前だ。相手は動かない飛行場だぞ」
「あれれ」
「敵の飛行機が舞い上がる」
「ガッツあるなあ」
「ヤンキー魂ってやつか」
「すこし見直したぞ」
「反転、沖合へ退避」
「最大戦速」
「あいつに狙われたらたまらん」
「急げ」
「逃げろ」
ラバウル航空隊、駆逐艦の掩護もむなしく、米軍機の反復攻撃によって輸送船の被害は増すばかりだった。日本海軍による連日の飛行場砲撃に遭った米軍は航空機及び飛行場の損害が激しかったが、ガダルカナル島を守るために懸命の反撃を行なったのである。日本の輸送船団は、『笹子丸』、『吾妻山丸』、『九州丸』の三隻が炎上擱座。ここにいたって他の輸送船は残りの物資の揚搭を断念し、泊地の湾外へ出てショートランドへ引き返すことになった。
「最後の輸送船が出てきた」
「湾の外へ出るんだ。早く」
「出てきた」
「よし、俺たちが護衛するぞ」
「ショートランドまで送り届けてやる」
「輸送船の舷側に穴がぼこぼこあいてるよ」
「機銃掃射でこっぴどくやられたんだな」
「気の毒に」
「敵機来襲」
「対空砲火」
「撃て」
「追い払え」
「あっさり引き上げて行った」
「なんだ様子を見に来ただけか」
「びっくりするよな」
「爆弾を落とされなくてよかった」
「きれいな夕焼けだ」
「あざやかな色だね」
「光が眼にしみる」
「鯨の親子だ」
「大きいなあ」
「鯨は優雅に泳ぐねえ」
「のんびりしているよな」
「潮を吹いた」
「夕焼けにきらきら光っている」
「おーい」
「こんなところにおったら危ないぞ」
「子供を育てるところじゃないよ」
「お前さんたちも早く逃げろよ」
「元気でね」
「さよなら」




