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志歩の事情


◆scene No.3◆


 志歩が莉沙の誘いに乗ったのは……訳が……自分の事情もあった。


少し前までは、彼氏と同棲をしていたのだが……。

ときめきは無くなり、それから志歩が全ての家事をこなすのが当然とばかりに思いやりも無くした彼に嫌気がさして、部屋を出て、そして独り暮らしを始めたのだが………。


新居に住み出してからなんだかつけられてる気がするのだ。


冬悟をここへ誘う口実(ストーカー)は、単なるでまかせでもない。

最初は気のせいかと思っていたが、もしかすると、元カレかも知れないと思っていた。

一度引っ越せば、また敷金や引っ越し代がかかる。それを思えば、本当にストーカーかはっきりとわからず、気のせいですませられる程度で、すぐに出る気にはなれなかった。


けれどその、なにか得体の知れない不安は続く。


だから……


もしかすると、新しく『彼』が出来たら諦めるのではないかと。

もしも、志歩の誘いが上手くいけば、この奇妙な事は冬悟をこの部屋に連れてくることで、その不安も減るし、そして冬悟も志歩の手に入る。

そして………報酬さえ……それだけあれば、また引っ越しは出来るしそうすれば志歩には損はないように思えたのだ。


「部屋は向こうもあるんだよな?」


先に部屋に入った冬悟は、異常がないか見てきてくれる。1DKの部屋のその先は、寝室として使っている。


玄関ですでに緊張している志歩は、靴を脱いでドキドキとしながら冬悟の後を着いて歩いた。


「どう?なんか、変わってる?」


くる、と見回して………。


「あ………」

キッチンの上に、ティーセットを見た。


「これ?」

コクンと頷くと、

「普段は使わないから、絶対に出してない」


それは、実は志歩の冬悟を引き留めるための作戦だった。だけど……元カレかもしれないストーカーに、心細いのは……本当だった。


「そっか………」


「桐生先生………もう少し、いてくれませんか?」

志歩のあながち演技でもない心細い声に、冬悟は仕方ないなというように笑って

「………じゃあ、少しだけいるよ」

と、言ってくれた。


ホッとした志歩は、そのティーセットを洗い、かごに伏せてDKに置いてあるテーブルにビール4本を出して、それから軽く食べられるチキンサラダを出した。

とりあえずのビールは、二人ともほどけた緊張からか、すぐに一気に飲み干して、次の缶ビールを開けた。


「色々と心配だろうから、鍵を2重にしたらどう?」

「大家さんの許可がないと」

仲介会社に言われたことをそのまま言うと、

「俺が言ってやろうか?」

「いいんですか?」

「女の子だと、舐められてる所もあるからな」

「やった!やっぱり先生はカッコいいなぁ!」


そう言って、冬悟は志歩が出してきた仲介会社の電話を、ビジネス手帳に書き入れた。


なんだかすでに解決法を、見つけた気分で志歩は笑いながらビールを飲みそして、

「先生ってモテるでしょ?」


「もう子持ちのオッサンだよ」

「オッサン、じゃないですよ。私が………どれだけドキドキするの押さえてたと思うんですか?」


「からかうなって」

笑いながらそう言う冬悟の声に、志歩はもっとゆっくりと、距離を縮めるつもりだったけど、勝負に出ることにした。

成るようになれ!である。


緊張と程よい酔いが、興奮を高めているのかも知れなかった。


「からかって………なんかないですよ」

「ん?」

空になったビールの缶をくしゃっと潰した冬悟が、志歩を見た。


「だって………先生の事。私、あのときからずっと」


志歩はジャケットを脱いで、ワンピースのファスナーを下ろした。

これから、しようとする事への怖れか………それとも、興奮からか……小刻みに指が震える。


「待てって、俺は結婚してるんだ」

志歩の意図を覚ったのか、冬悟には戸惑いが見えた。


「知ってますよ………一緒に来られてたから、可愛らしい奥さんと」

「知ってるなら止せって」


「この部屋に一人は怖い………先生、せめて……今日だけでも………、安心させてほしいんです」


キャミソール姿のまま、冬悟の首に腕を巻き付けた。


「だめだよ」

「恥ずかしいんだから、恥をかかせないで……今日だけは……」


志歩はぎゅっと力を込めると、キャミソール越しの胸が冬悟の体に押し付けられて、二人の体の間で形を変える。


「桐生先生……お願い、私に応えて。ずっと……好きだったんだから」


その言葉にふっと冬悟の腕から力が抜ける。


「今日………だけで、いいのか?」

冬悟の囁くような確認する声に、志歩はコクンと頷いた。


(今日だけなら……)


きっと冬悟はそう考えたに違いない。それとも、震え怯えたような志歩を放っておけなかったのか……。


顔を見合わせて、志歩はおそるおそる唇を冬悟のそれに寄せた。


長い腕が、志歩の背に回されて、下着ごしに彼の手の熱を伝わらせてくる。


(今日だけ………)


志歩の目に、冬悟の整った鼻梁が映る。


近くにありすぎて………、気がどうにかなりそうだった。

あの頃……。


ちょうど多感な頃の恋焦がれた気持ちが……蘇って。


「きりゅ………せんせ………すき、なの」


冬悟の息が、志歩の肌に触れて。


志歩は、その純粋な心と、そして背徳感にゾクゾクとして危険なその行為を推し進めていく。


この夜、止めるものは………何もない。


躊躇いは無かった。


利害の一致。それに似た、莉沙と志歩の思惑。


そして、志歩は………冬悟を二人の用意したその頼りない思惑というその上に乗せることに成功した………。


――――。


冬悟はその日、志歩の部屋ですごし、軽く眠り夜明けの前に帰っていった。



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