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約束


◆scene No.15◆


 早く帰る、と言ったものの、まったくどうするべきかは思いもつかない。


知らず深いため息をつけば、


「おいおい、桐生。嫁さんと喧嘩でもしたのか?」

ニヤニヤと隣の席の同僚である、納見(のうみ) 謙豪(けんごう)がヒソヒソと言ってきた。

「……ただの喧嘩なら、いいんだけどな」


事は深刻だ。

「なんだ?離婚危機か」


考えてもいなかったその『離婚』という言葉に思わずガタンと音をたててしまって、はじめてその可能性に戦慄した。


「おいおい………マジな方かよ」


そんなやり取りの後、昼休み……。


「何があった?」

謙豪に聞かれて、冬悟は素直に呟いた。

「……浮気した……」


「した、か。………そりゃ。ヤバイな、嫁さんから離婚したい言われたら、身ぐるみ剥がれてポイだよポイ。100%お前は悪だ」


「簡単に言うな。どうすれば、修復出来るか悩んでるんだ」


「頭下げろ、頭を」

莉沙が責めてきたなら、そうする覚悟はもちろん………ある。


「バレてるかそうでないか、分からないのに?」

「じゃあ、とっととクリーンにして、嫁の機嫌とれ」

「どうやって……」


「どうやってって、そりゃ………まぁ、当たり前に、優しくして、それにプレゼントと後はベッドで優しくしろ。プレゼントもまぁ嫁によっては逆効果らしいけど」


「………前半はともかく後はハードル高いな……」


「何で?簡単だろ?嫁なんだから」

「だから……なぁ………。それが簡単じゃないから悩んでるんだろ」


「拒否られてる?」

冬悟は指を5本だした。

「気がついたら、これくらいしてない」

特に、理由は思い当たらない。

湖都が産まれてからは、莉沙も子供を3人抱えて大変そうだったし、冬悟の仕事も遅くなることが増えたし、接待が増えて一緒に過ごす時間が減ったと言えばそれが理由かもしれない。

「5ヶ月?」

「違う」

「5年?」

頷くと、謙豪は

「……あー、嫁にもう興味失せたのか」

そうじゃない、と拒否できないのが辛い所だ。

新鮮味が失せたといえば、失せた気がする。


「……いっそ。別れちゃえば?」

「それは嫌だ」

冬悟は、きっぱりと言い切った。

それだけは、絶対にしないという意思が冬悟にはある。


「お前さ、真面目に仕事しすぎなんだよ。なんでも完璧にしようとしすぎだ。たまにはなぁ……家庭を省みないと俺みたいになってしまうからな。大事にしろよ、今気づいて良かったんじゃないか?完全に離婚届突きつけられる前でさ、まだ間に合うって。ある日突然テーブルに離婚届おかれる前でさ」


2年前に仕事に忙殺していて、すれ違いの末に離婚した謙豪の言葉には実感がこもっていて、冬悟の胸を抉る。


「とりあえず今日は、早く帰るって言ってきた」

「よし……なんか、言ってきたら、ひたすら謝れ!これにつきる。で、『2度としない』だ」


残業も全て意識の外にやり、この日だけはと、意地でも早く帰宅する事に冬悟は成功した。


残った仕事は……明日でいい。


『もうすぐ帰る』


LINEを入れれれば、既読になり莉沙から

『待ってるね』

と返事がすぐに入る。


家に着いた時刻はまだ8時すぎ。


冬悟にしてみれば、いつになく早い帰宅だった。


「ただいま」


「おかえりなさい」

玄関には、莉沙が立っていた。


鞄を持とうとする莉沙に

「重いからいいよ」

「そう?」

何となく、お互いに緊張があるような気がしてしまう。ひいてはそれだけ冬悟が緊張しているからということに他ならない。


「お父さんおかえりー!なんで?今日早い!」

悠成が言い、

「お父さん後で将棋しようよ!将棋!しばらくやってないから」

続いて洸成が張り切って言い、

「ずるい!湖都もお父さんに肩車してもらうのぉ~」

と兄たちに負けじと、まとわりついた。

「あ、じゃあ俺は今日、お父さんに音読聞いてもらう!」

悠成も思い付いた!というように言ってきた。


元気な子供たちからの要望に、冬悟は少し圧倒された。しかし、これで緊張していた気まずさが解消されたのはありがたかった。


「ほらほら、お父さんは帰って来た所なんだから………お風呂、先に入るでしょ?」


「ああ、うん」

洸成と悠性は男の子同士でバタバタとじゃれあい、湖都はまだまだ喋り足りないらしくて

「あのね、今日はグラタンなの。湖都も手伝ったんだ~」

とくっついて歩く。


「そっか、楽しみだな」

湖都の話に相槌をうち、


そのあとはお風呂から上がれば、

焼きたてのグラタンと、それからふわふわの卵のオムライス、それに野菜スープが並んでいて湯気を立てていた。


「頂きます」


そう言って食べ出した冬悟の周りには、子供達が賑やかに話しかけてくる。


特に湖都は女の子だから、さっき話足りなかった分、お皿にバターを塗ったとか、ポテトを並べたとかおしゃべりが尽きない。


賑やかに食事を終えて、食器を下げに行きキッチンに立っていた莉沙に


「ごちそうさま」

と言うと、冬悟の方を見上げて何とも言えない感じで嬉しそうに笑ったのだ。

「お粗末様でした」


「うん、美味しかったよ」

「ほんとに?ありがとう」


(……なんだ……こんな事で、嬉しそうにするんだ莉沙は……)


「ねね、美味しかったよね?湖都がお手伝いしたからね!」

「そうだなあ、たぶんそのおかげだな」


冬悟はその夜、湖都を肩車してやり、それから悠成の国語の音読を聞いて、洸成と将棋をした。


そんな様子を嬉しそうに眺めてる莉沙がいて、


(まだ……間に合う……)


冬悟はそう、自分に言い聞かせた。

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