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大人の事情


◆scene No.10◆


冬悟と過ごす……、何度目かのこの部屋。


はじめの日こそ、眠ってしまった冬悟だけれど、二度目からは、そんな事もなく……ただ……何かを、埋め合うかのように。共にその部屋で時を過ごしてきた。


「そういえば………どうなんだ?例の」


例の、というのは口実として使ったストーカーであると、そう感じ取れた。


あれは(・・・)わかりません……、まだ」


何となく、時々見られてる気がする。


自意識過剰と言われれば、それまでの。

警察にも届けられないくらいの、そんな志歩の“感覚”だけ。


例えばふと、マンションへと入る前だとか近所で買い物をしている時であるとか……。そんな時に視線を感じて周りを見回してしまう。だから……本当に何かを(・・・)されている訳じゃないから、ただひたすらになんだか気持ち悪い、それに尽きるのだ。


「そ、か。気をつけないとな………」


冬悟は慰めるように志歩の頭に触れてそっと髪の上から撫でた。


「そっちこそ……どうなんですか?」

その感触を心地よく感じながら、志歩は小さな声で問うた。


「どう?とは?」

冬悟の声はとぼけている様でもなく、本当に何の事だかわからない風だった。


「奥さんと………どうかって事です。……そういえば奥さんって働いてるんですか?」


淡々と……この遊戯(ゲーム)をこなしているように見える莉沙。それを冬悟はどう、見てるのかそれが気になった。


「パートだけな、俺はやめとけって言ってるのに。僅かな稼ぎの為に働くなんて、意味がわからないけど」


冬悟がグラスに作ったハイボールを飲みながら、そうポツリと言った。

「子供さんって……何歳でしたっけ?」


「小学生一年と三年と、幼稚園の年中」

「じゃあ、その幼稚園に行ってる間だけ?」

「そう、ほんの数時間だ」


「へぇ~……でも、なんか分かる気がするな……」


「分かる?」

冬悟が顔を斜め向きにして、志歩を見てきた。

分かると言ったのが、意外なようだ。


「お金って言うよりは、社会と関わってたいってゆうか……、家に居たら、話す人も居ないわけだし。たまに一人で家に居るのは、いいんですよ?でも毎日って……それはそれで、しんどいんじゃないですか?」


志歩なんかは、何もない暇な日がとても辛い。

だから、元カレが出不精になったのが耐えられなかった。


「そんなの、子育て終わってからでいいと思うんだけどな」

冬悟の言う子育ての終わりって、いくつだろう?18歳?それとも成人する20歳?

今幼稚園だったら、軽く10年以上だ。


「えーー?それって、あと何年?」


その言葉に、冬悟はため息をついた。


「……母親が言うわけ、嫁に働かせないと生活出来ないのかってさ……」

「お母さん?」

「主婦が働くのが、貧しい家だって考えの人だからさ、男一人の稼ぎで一家を支えろみたいな」


「属にいう、嫁姑の板挟み?」

「まぁな」


その答えに、志歩は他人事とはいえ、何となく腹が立った。

何となく母親の言うことを聞いて、妻を従わせようとするなんて時代錯誤だし、その裏には、冬悟自身が妻を働かせる事が男としてのプライドだとかそんなもので、反対しているように思えた。

第一今は、共働きなんて珍しくも何ともない。


「でも、それって。なんか単なる、プライドっていうか意地みたい。女には、働きたいって意思を持たせちゃ駄目なの?」


「志歩と違って、あいつはほとんど仕事なんてしてきてない。ずっと主婦しかしてきてない。だから、世間がわかってないんだよ」

それはそうだろう……冬悟と同じくらいの年なら、22、3で結婚したなら、大学を出てすぐだ。

だったら尚更、パートくらい快くさせてあげれば良いのにと志歩は思う。


「だから、家に居ればいいって?なんか………桐生先生がそんな亭主関白みたいな旦那さんしてるなんて、思わなかったな」


「志歩だって……いつか結婚したら、分かる」


何となく……莉沙の不満が、分かる気がしてしまった。冬悟は、持論を曲げたりしない、プライドが高くて頑固なのだ。


「………結婚……」


志歩はそっと冬悟に近づいた。『結婚』という言葉に、引っ掛かったからだ。


「もしも……私が、奥さんにこの不倫関係をバラして。冬悟さんを私に下さいって言ったら、桐生先生はどうしますか?」

(……って言うか、奥さんが……したいって言ってきたら?だけど……)


「………離婚してほしいって?」


「そう、別れて下さいってお願いしたら」


「しないよ。志歩は俺が結婚してるって知ってて、こうなったんだろ?俺は………いつか離婚して志歩と一緒になるなんて、言わない」


ハッキリと言い切った冬悟は誠実なのか、それとも……そこが計算なのか………。なんにしても、男の狡さを全面にして隠そうとしていないと言うことだ。


「愛してるから?奥さんを」


どこか、冷淡な雰囲気さえする冬悟は莉沙を愛してる?


「さぁな………家族って、簡単に縁を切れるものじゃないだろ」


冬悟のその言葉は、志歩にはこの冷淡にも見える男にとっては最大限の愛情みたいに感じられた。

(………なんだ………この人は、大事なんだ。奥さんが……)


「もう………この話は終わりにしよう………。俺に失望したか?」

「いいえ、なんだか………何かを確めちゃっただけです………」


きゅっと志歩は、その首に腕を回した。


いつか………こうして会っているうちに、この人の気持ちが志歩の方に全て向くときが来るのだろうか?


「桐生先生……好きです……」

「……そうか………」


冬悟は、それに、言葉を紡がない。


(想いは………言葉に出さないと、分からないんですよ)


いっそ、嫌いだと言えば諦めもつくのに。


(それからそれは………莉沙さんにも……黙ってても大事に思ってる事が伝わるなんて甘いです……でも、これはわざわざ言う気にはなれないんだから……)


愛してる、じゃなくても『大事に思ってる』だけでもいいはずだ。


そんな事を思いながら、唇の柔らかさを確かめ合うような、キスを交わして、衣服越しに体を密着させた。


自分だけの物に出来ない……、そんな風に感じさせられた冬悟とのキスは、その考えを無理矢理振り払い、シミのように広がりそうな僅かな切ない心を封印して、熱を昂らせていく。


大人は………不誠実だ。


心が通いあって無くても、こんな風に愛の行為が出来てしまうんだから………。


男は………狡い…………。


志歩はそれを、分かってて………その狡さを利用してる。


女もまた………時には強かだ。


分かっていながら、すぐに止めようとしないのだから…………。最後まで足掻く事を苦にしないのだから。

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