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変わらぬ日常に


◆scene No.8◆


 何度か……志歩と、夜を過ごした。


言い訳がましいと冬悟自身思うが、誓って……はじめはそんなつもりは無かった。


浮気をしたところで、思った以上に、冬悟の日常は変化を見せることなく平穏で……。


朝起きて、莉沙の用意した朝食を摂り、会社へ行きいつものように仕事をこなし、夜には帰宅する。そのルーティンに……ほんの少しだけ加わったのは休憩をする時間に……LINEをチェックする事。


『夕食、一緒に食べてくれませんか?たまには誰かと食べないと美味しくなくて』


やはり……断るべきだ。そんな風に理性は告げていた。


『一人だとやっぱりあの部屋はまだ怖くて』


その付け加えられたメッセージに、ぐらりと揺らぐ。


数回のその、“何もなかった”ように続いた日常がある、その経験からくる結果……そこから得た答えが、冬悟の背を押した。


何より、莉沙は疑り深い性質でもなく、志歩もまたこの関係を適度な距離を保ちつつ楽しもう、とでもいうように思えたからだ。


会社での地位は年齢と共に上がってきて責任ある一員となり……、夫として家庭を支えながら、子供達には父親として責任を負い、一家を養う働き手である冬悟にとって、そのいずれでもない自分が、志歩といる間は……まさにその絶妙な隙間として存在した。


 若くして結婚した冬悟は、就職してからというものずっと懸命に、同期の誰よりも働いてきたつもりであるし、莉沙と協力して、生活費を切り詰めて、100円の缶コーヒー一つ買うのさえ悩んだりもした。その積み重ねで、子供の誕生と共に家だって購入した。


それからは、子育てで忙しい莉沙の負担を減らすべく、冬悟が家計のやりくりをして生活を支えてきたのだった。そして、結婚してから10年経ち、子供たちも成長し、近頃ではようやく少しゆとりが作れてきたのだった。


そのひたすら長く走ってきたような今、汗をかいて、カラカラに渇いた喉にほんの少しの水を飲むような、例えるならばそんな心地だ。


志歩とは、大学生時代に家庭教師と生徒という間だからか………。


何も考えずに、面白おかしく過ごしていた、その頃にまるで戻ったような気がして、社会人になってから、はじめて見つけた何とも言えない、例えるならばニュートラルになれる時間だった。


『食事くらいなら、いくらでも誘う相手がいるんじゃないか?』

冬悟の返答に、

『いぢわる言わないで下さいよ、桐生先生とが、いいんです。決まってるでしょ?』


その返事に、ふっと笑みがもれる。


『高いところは無理』

『私だって』


『じゃあまた、この前の珈琲店で』


1度待ち合わせした場所は、わかりやすくて良い。

珈琲森林は、本格的な珈琲店という雰囲気でシックな内装が落ち着かせる。


席にすわり、タブレットを取り出して気になる情報を検索していく。そうして少し時を待てば、ふっと影がさして見れば……


「お待たせしちゃいました?」

予想通りの相手だった。


「いや、さっきだ」


「桐生先生、私ね、この店に行きたかったんです」


志歩が雑誌を置いて示したのは、最近流行りだした格安の本格イタリアンだった。


「じゃあ、そこに行ってみるか」

気軽に入れる店であるし、冬悟は志歩と共にそこへと向かうべく立ち上がって、ジャケットを羽織り鞄を持った。


人気店だから、さすがに混み合っていたが、回転も早くそれほど待たずに店内に入ることが出来た。


「先生……何を食べます?」

「軽くでいいかな」


「……なんだか女子みたいな事を言いますね」

「男だって30を過ぎれば、食事には気をつけるんだ」


「じゃあ、生ハムとルッコラのピザとこっちのパスタでいいですか?」

「それでいいよ」


冬悟の返答に、志歩は頷き、ワインと軽い食事で時間を過ごせばその何と言うこともない一時は、気分よく酔わせそしてしがらみから解き放つ。


そしてその解き放たれた気分のまま……志歩の住むマンションへと向かうべく、駅へと。


足は向かったのだった、自然と………。


それは、何か意思を確かめ合ってではなく、そういうなんというか、ごく自然な流れだったのだ。



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