毒の花の使い道
いつもと変わらないモノクロの景色。
いつもと変わらない日常。
いつもと変わらない僕。
何もない平凡な毎日が、終わりを告げようとしている。
放課後はいつも図書館で、本を読んでから帰っているが、今日は違う。
いや、今日だってそのつもりだった。
しかし、図書館に向かう途中で、窓から花を抱えて走っていく彼女を見た。
あれは間違いない。
彼女の手に持っていたのは、僕が教えた"キョウチクトウ"だ。
しかも、よりにもよってトリカブトよりも、毒の強い猛毒の方の花だ。
きっと何か企んでいる。
確証はないがそんな気がした。
彼女の後ろ姿を追って僕も走ったが、いつの間にか見失った。
今、僕がいるのは人通りの多い商店街。
この狭い道路を多くの人が、行き来している。
その景色が僕の目には、モノクロでしか見えない。
つまり、昔のテレビが人の大渋滞を黒と灰色で、表しているようなものだ。
例え、識別コードがあっても、この量のコードを読んでいくのは無理だ。
それに彼女には識別コードがない。
彼女のことは気になるが、この状況ではあきらめるしかないと自分に言い聞かせて、少し寄り道をしてから帰ることにした。
周りの家からは、美味しそうな晩ご飯の匂いが漂ってくる。
僕のお腹の音も、悲鳴をあげてきた。
今日のご飯はなんだろう、なんて思いながら歩いていると、人通りの少ない道に出た。
この先は昔、よく野球やサッカーをした、川沿い近くの原っぱがある。
周りに建物はないし、広いから遊ぶにはうってつけの場所だが、流れの強い川がすぐ隣に流れているから、慣れるまで怯えて遊んだものだ。
昔を思い出していると、急に懐かしくなってきて、久しぶりに行ってみたいと思った。
お腹が空いたことなんて忘れて、思い出に引き寄せられた人形のように、フラフラと歩く。
変わっていない思い出の場所に、安堵しながらゆっくりと歩いていると突然、女のうめき声が聞こえた。
「うぅーー、ゴホッゴホッ……し……たい……しに……たい……よ、ゴホッカハッ……ハァ……ハァ、ゴホッ……」
苦しそうに"死にたい"と何度も繰り返して、ひどい咳を繰り返す彼女。
誰か呼ぼうかと思ったが、人通りは少ないし建物は見当たらないこの場所で、人を呼びに行っている間に、彼女になにかあっては大変だと思い、とにかく彼女のところに行くことにした。
声は橋の下の方から聞こえた。
光を遮っている橋の下は暗く寒い。
僕は声を殺しながらゆっくりと近づいた。
橋の柱からこっそりと覗き込むと、うずくまって座っている髪の長い女の人がいた。
震えて苦しそうにしている女の人を見て、すぐに大丈夫ですか!? と声を荒げて近づいた。
声を殺してきてしまったせいで、急に話しかけた僕に、彼女は驚いて顔をあげた。
その顔を見たとき僕は、心臓が止まるかと思った。
「え……? 新波さん?」
新波あかり。
僕のクラスメートで明るく可愛いクラスの人気者だ。
「君は……赤坂くん?」
震えた声で僕の名前を呼ぶ彼女。
「……苦しそうだけど大丈夫? こんなところで何をしているの?」
僕の問いに、少し困ったように俯いた。
なかなか口を開かない彼女を見ていると、ズボンの近くから識別コードが出ていた。
彼女からは、識別コードが出ないはずなのにと不審に思い、ごめんねと言ってズボンのポケットから出ている、長細いものを引っ張った。
出てきたのは、花びらが欠けている花。
その花の上には、#c63659というコード名が出ている。
色がピンクでこの形は……"キョウチクトウ"だ。
「ねえ、新波さん、これ……食べたの?」
僕の頭の中を、"死"という言葉が占領する。
体から体温がなくなるような気がした。
僕の言葉を否定してほしいと、心の中で彼女に叫んだ。
しかし、僕の願いは虚しく、彼女の口から出た言葉は、一番聞きたくない言葉だった。
「うん」
時間が止まった気がした。
下を向いて微かに震えている彼女。
「この花何かわかる?」
「知ってるよ、赤坂君が教えてくれた花じゃん」
長い髪を耳にかけて、僕の目を見てきた彼女。
力なく笑う彼女の笑顔は、前にも見たことがある気がした。
「なんて言ったか覚えてる?」
「自分で質問したんだから忘れるわけないよ、毒の強い花でしょ?」
……驚いた。
いつも通りに戻った彼女が、こんなことで嘘をつくはずはない。
苦しかったと言っている彼女は、これを猛毒の花だと知ったうえで、口にしたのだろう。
聞きたいことは山程あるが、毒の花の使用方法を聞いたときの彼女の放った"君には関係ないよ"という冷たい言葉と、恐ろしい顔を思い出してしまって、質問することができなかった。
どうしようかと口ごもっていると突然、彼女が口を開いた。
「……驚いているよね、赤坂くんが聞きたいこと全部、答えるよ。私も一人で悩むのは疲れたし……でもお願いだから、このことは二人だけの秘密にして」
小さな声だけど、はっきりとしたその言葉は、僕の胸に突き刺さる。
「……わかった、誰にも言わない、約束する」
今にも消えてしまいそうな、頼りのない僕の言葉が、ちゃんと彼女に伝わるように、何度も返事をする。
「ふふっ、ありがとう、私ね……ずっと赤坂くんなら秘密を守ってくれるだろうなあって、思ってたよ」
さっきとは違い柔らかい笑顔で僕の方を向く彼女。
「え……? 話したこともないのに?」
「うん、自分でもよくわからないけど赤坂くんなら大丈夫、信用できるって……不思議だよね」
彼女の言葉一つ一つがうれしかった。
モノクロの世界で怯えてた僕にとって、彼女の言葉はどれも暖かく、心に響くものばかりだ。
「私は……この日をずっと待っていたのかもね、だから無意識のうちに君に合図を送っていたんだよ」
彼女の言葉と同時に、あの頃の記憶が蘇る。
毒の花を聞かれた教室、毒の花を抱えて走る彼女を追って、僕はここに来た。
「あ……確かにそうだね」
「でしょ? ごめんね、巻き込んじゃって」
今にも泣きそうな彼女。
僕の消えてしまいそうな、頼りない言葉で精一杯、思いを伝える。
「僕は……君に会うこの日を、ずっと待っていたのかもね、だからお節介だと思っても、君を追いかけたんだよ」
毒を教えたのも、彼女を追いかけたのも僕が決めたこと。
だから巻き込まれたわけじゃないと一生懸命、彼女に伝えた。
「ありがとう……本当にありがとう」
とうとう泣き出した彼女にティッシュを渡す。
ニコッと笑った彼女を見て体が熱くなった。
「よし! それじゃあ……私の秘密、教えるね」
元気になった彼女は、いつも通りの明るい笑顔で話し始めた。