海軍へのいざない
話を山久好太郎に戻そう。時は1942年4月の事である。好太郎は、22才になっていた。大学もあと1年で卒業だ。だが、彼は未だに呉服店を継ぐか、海軍へ入隊するか否か迷っていた。そんなある春の休日の事であった。大学の入学以来通っていた、海軍予備航空団で教官を務めていた京野敬作少佐から、家に電話が来た。電話に出た母親が、京野少佐の名前を口に出した時は、好太郎自身動揺した。何か嫌な予感が、その時の彼の脳裏にはあったのかもしれない。
「はい、山久ですが」
「ああ、好太郎君か?
直ぐに航空団の方へ来てくれ」
「どういった要件でしょうか?」
「来れば分かるよ。じゃあ13:30に来てね」
そう言うと、好太郎の質問にも答えずに、電話を切った。彼は、急いで着替えて、航空団に向かった。待ち構えていたかのように、京野少佐は、好太郎が来ると、航空団の施設の中にある応接間で、彼を待たせた。
「ちょっと待ってて。今、予備航空団司令の浅井四龍少将をよんで来るから」
軍隊経験のある父を持つ、好太郎には少将という地位がどのくらい高いものであるか、という事が分かっていた。教官の京野少佐でさえ、頭の上がらない人物を、未だかつて好太郎は知らなかった。5分経過した頃だろうか?真っ白な海軍の制服に身を包んだ、浅井少将が入って来た。立って待つように言われていた好太郎は、直立不動で少将を出迎えた。
「楽にしなさい。今日来てもらったのはね、単刀直入に言うと、君に海軍に入隊して貰いたいという事だ。つまり、スカウトだよ。」
隣にいた京野少佐は、くすくす笑っていた。しかし、この時の海軍からのスカウトを好太郎は、保留にした。なぜなら、まだ正式に運用こそされていなかったが、学生達の間では予備士官という制度を、大日本帝国陸海軍が運用し始めるのではないか?と憶測が広まっていたからだ。それを知った上で、答えを保留にしたのである。スカウトとは言っても、今回採用されるならば、一番下端の二等兵というクラスからスタートする事は、好太郎には分かっていた。この時期は、徴兵(赤紙)とは別に、志願兵も大量に海軍は募集していたのだ。そこに、操縦技術の上手自分を、下っ端として入隊させれば、戦力になる。とでも思ったのだろう。噂とはいえ、予備士官の制度が始まれば、好太郎は少尉として、軍隊生活をスタート出来る。この差は、本当に大きなものであった。無論、階級が上がれば、責任も重大になる。だが、それ以上に給与や日々の食事、待遇も天と地程の差があったのである。特攻隊員の中には、戦死して2階級昇進せずに、兵曹長以下の人間は、少尉に。士官以上はそのまま2階級特進、という制度に代わった事を確認して、敵艦に突入した者もいた、という逸話が残っている。