決意の手紙
ある時、好太郎は彼女に用意していた手紙をコーヒーを飲みに行ったついでに、おいて店を後にした。その手紙には、優花への溢れる想いがビッシリと書かれていた。そして、もし自分に好意があるなら、手紙の返事を書いて欲しいと、自分の住所も添えた。その2週間後、好太郎の元に優花の返事が届いた。そこには、好太郎程ではないが、彼女の好意が感じられるような文章が書かれていた。こんな経緯もあり、二人は付き合う事になった。お見合い結婚が当たり前の時代。いくら、大学が自由な雰囲気にあるとは言え、まだまだ現代のように男女の恋愛まで開放的になっていた訳ではあるまい。優花は、好太郎が海軍に徴兵されてからも、会えなくても手紙は出し続けていた。付き合い始めてからは、二人で楽しい時間を満喫していたが、開戦してからは、そういう空気感がなかったのか、自分達からすすんでデートなどをやめてしまったようだ。戦前は、20歳になると徴兵され、検査などで特に異常がなければ、大日本帝国陸海軍兵となり、兵役が待っていた。健康状態などによって、甲乙丙と三種にランク付けされ分けられた。ただ、兵役を免除されていた者もいた。学生や健康状態に異常があるもの達がそれに該当する。次第に、日本軍の快進撃が止み、戦況が苦しくなってきた昭和18年以降は、学生も戦場に送られる。いわゆる学徒動員が行われたからだ。この大東亜戦争(太平洋戦争)の末期になると、女子学生ですらも衛生兵の代わりとして戦地に派遣された人間もいた。この学徒動員で徴兵された多くの大学生は、予備学生と呼ばれ、部隊に配属されると即興で教育を施され、通常よりも短い期間で、実戦部隊に配属された。それ程、戦況が悪化していた何よりの証である。彼らには教育課程の段階から、既に少尉の階級が与えられ、部隊に派遣される頃には、大体の者が中尉クラスになっていた。兵隊から、この地位になるには最低10年はかかる。中には兵隊からの叩き上げで軍隊に定年までいて、退役直前にようやくこの地位になれる人間もいる。要するに、予備学生は、消耗の激しい士官を補充すべくして、養成された人間なのだ。叩き上げの士官は特務士官。予備学生出身の士官は予備士官。海軍兵学校や海軍大学校出身の士官は、前者2つより全士官に占める割合が高く、彼らの方が同じ階級であっても上位に位置していた。海兵や海大出身のいわゆるエリート士官にしか出世の道は開かれていない。それが、大日本帝国海軍という組織の伝統であった。陸軍もほぼ同様だったといえる。山久好太郎も、後に徴兵されるのであるが、彼はこの予備学生として招集される事になる。彼が、のちに生まれる神風特別攻撃隊戦死者第一号になることなど、彼も周囲も思ってもみなかったのである。刻一刻と、運命の出撃へと近づいていた事は確かだ。