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其の三

 翌朝、見合いの礼と称して贈られた品が迦具夜の寝所に運ばれた。

顔も見せずの迦具夜の無礼に、それでも貴公子の誰かが要求の品を献上して来たのだろうか。侍従のひとりを部屋に招きいれる。彼の手に持っていたのは長さ一尺の質素な箱である。飾り紐もなにもなく、上箱を持ち上げると中に縁まで氷が張った器がひとつ。少しばかり箱を揺らすと、氷の下はまだ水で音を立てた。器には霜が一面についており、男物の指跡が見て取れる。首を傾げる迦具夜に、侍従は言った。

「溶けよ、との言伝でございます」

 それが最後の仕事とばかり、迦具夜の返答を待たず侍従は頭を下げて早々に部屋から出ていく。

 口の中で一度侍従の言葉を反芻し、聡明な彼女は理解した。全身に振るえが生じる。

彼女にできた唯一のことは屋敷を飛び出すことである。幾度となく繰り返された家出に、今度は固く決意するものがあるとは露知らず、馬番はたやすく手綱を迦具夜に渡した。門番もこれまた馬番と同じで、昨日のように不審な男がいない分、警戒もなかった。

 彼女には荷物も金貨もなにも持ってはいなかった。数刻すれば目付け役の竹翁が自分を追ってくることは想像ができたので、迦具夜は今度こそ見知らぬ道を駆け抜けたのだ。

案内人もおらず、けれど迦具夜は地の国を目指していた。走り抜ければ天の国の端にいずれ出よう、幼い確信だけが胸にある。馬は新しい世界に息を弾ませている。

 やがて茅葺屋根の家の数が少なくなり、田んぼ、畑と続く道になる。身に受ける風は驚くほど冷たいというのに身体は芯まで熱かった。頬に時折長い髪が触れ、結びがはらりと舞い散る。

 道はやがて狭まり途切れる。目の前の緑が残る林に馬を突っ込ませ、速度を落とした。「不忠、不孝を成すのか」

 からかい半分の男の声が、耳元で聞こえた。

 振り返った迦具夜は、その男を見て笑う。昨日会った男は、迦具夜と同じ速度で馬を走らせ、後方から声をかけてきたのだ。反射的に迦具夜は手綱を引いた。馬がいななき前足を上げる。男の方はすでに予知していたのか、鮮やかな手綱捌きで馬をとめた。

「どこへ行く気だ」

「わかっていらっしゃるから、不忠と不孝など口に出されたのでしょう」

「だが案内がおらぬ」

「必ず来ると、信じておりました」

「減らず口だ。だが感心はせぬ」

 笑みを崩さず男は諌める。

「なぜ。地の国で学びたいことはたくさんあります。そして自ら動けと諭したのはあなたではないでしょうか」

 男は喉の奥で声を震わせた。今日も彼は簡素な浅黄色の狩衣である。

 馬が身じろぎをして枯れ葉が音を立てる。男の馬は毛並みが良く、光の加減で金色にも見える月毛である。

「そういえば、あなたの名を知りませぬ。どうお呼びしてよいか」

 伏目がちに問えば、男はやはり軽く笑った。

「まあ、地の国で帝をやっている。そんなところだ」

 迦具夜は口に手をあて、目を見開いた。男は――地の帝は驚く迦具夜を馬上で抱き寄せ、頬に軽く唇を寄せる。

「竹翁は今回、来ないのか」

「え、ええ」

 男の正体をまだ納得できない迦具夜は曖昧に返事をする。迦具夜の父である天の帝は、御簾から出た姿をあまり見たことがない。奥に閉じこもり、臣下の報告を低い声で受け答える、それが帝だと思っていた。故に男の言葉は信じ難く、あまつさえ帝の地位を軽んじる物言いに自然と笑みがこぼれる。

「姫様っ」

 和やかな雰囲気はしかし、ひとりの老人の悲痛な声により引き裂かれた。

 背の高い草や蔓に阻まれながらもおぼつかない足を奮い立たせ、竹翁は下馬して駆け寄ってきた。幾度となく足を絡ませ転びそうになる老人に、迦具夜は思わず駆け寄って手を差し伸べた。竹翁は縋るようにして迦具夜の手を掴んだ。

「地の国の男と……密通の疑いをかけられておりますぞっ」

 爪が幾重にも重ねられた迦具夜の着物を掴む。やがてそれは生身へと傷みが伝わるほどだった。

 背後で地の帝と名乗った男が舌打をした。



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