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虐げられた異能の巫女は一途な愛で満たされる

作者: 鳥柄ささみ
掲載日:2026/04/05

 カーテンを開き、窓からしとしとと雨が降り続くのを見て、火陽(ファーヤン)国の王であるナホトは大きく溜め息を吐いた。


「今日も雨か。いい加減、あの眩い暑すぎる太陽が恋しいな。……サク」


 嫌味ったらしくナホトが見下ろしながらそう吐き出せば、びくりと身体を震わせるのはナホトの正妻であるサク。

 サクが「申し訳……ございません……」と掠れた声で震えながら地に這うように頭を下げるも、ナホトはふんっと鼻を鳴らし、余計に苛立っている様子を見せた。


「謝るくらいなら早くボクに太陽を見せてくれないか?」

「…………申し訳、ありません」

「はっ! 本当にお前は使い物にならないなっ!  一度くらいまともに能力を使えないのか!? この役立たずが!」

「うっ……」


 サクの態度に苛立ったナホトがサクの頭を足蹴にする。サクは蹴られた勢いで倒れ込み、顔を地面に叩きつけられて、あまりの痛みに苦悶の表情をしながら呻く。

 だが、ナホトはそれでも満足しなかったのかさらに身体をもう一蹴りし、サクは縮こませるように蹲った。


「もっと有用な能力だと思っていたがな。とんだハズレくじを引かされたものだ」

「ナホト様〜! ナホト様〜! そんなゴミに構っていたら陰気が移ってしまいますわ! こんな陰鬱な虫ケラなど放っておいて、ハレムまでお越しくださいませ〜」


 不意に猫撫で声が聞こえたかと思えば、夫婦の寝室だというのに堂々と部屋に入ってくる女。女はサクを汚いものでも見るような侮蔑を含んだ視線で一瞥したあと、ナホトにしなだれかかった。


「ジュリか」

「はい。貴方様のジュリでございますわ」


 ジュリはナホトの第二の妻、いわゆる側室だった。他にも数多の側室がいるが、ナホトはこの妖艶かつ甘え上手なジュリをどの妻の中でも一番の贔屓にしていた。


 ナホトはジュリの背に手を回すと、サクに見せつけるかのようにジュリと密着する。


「あぁ、そうだな。こんなとこにいても陰気にあてられてジメジメするだけだしな。この天候のように」

「えぇ、本当。ですから、ほら行きましょう? 皆、ナホト様を待っておりますわ」


 女は勝ち誇った笑みを浮かべ、サクを見ながらナホトに唇を寄せる。

 ナホトもまた、サクに寵愛の格差を見せつけるようにジュリと口づけを交わすと、「部屋を片付けるまで飯抜きだからな。塵一つ残さぬよう、床が舐められるほど綺麗にしておけよ」と言い捨てると二人は意地悪い笑みを浮かべながら仲良く寝室を出ていった。


 ぐぎゅるるるる……


 誰もいない部屋でサクの腹の虫が鳴く。

 その音を聞きながら、サクは大きく溜め息を吐いた。


「お腹が空いたけど、どうせ今日もご飯抜きね」


 もうかれこれずっと、サクはまともな食事を食べていない。

 いつも何かしらの言いがかりをつけられ、食事を抜かれる日々。さすがに正妻が餓死というのは体裁が悪いからか全く食事を与えられないということはなかったが、それでももらえる食事は残飯だった。


 恐らく、今日もきっと難癖をつけられてまともに食事を食べさせてもらえないことは確定しているが、それでも何もしないという選択肢はサクにはないので、ノロノロと身を起こしながらサクは部屋の片付けを始める。


(いつまでこの仕打ちが続くのかしら。こんな苦しい想いをし続けるのならいっそ……)


 そんな悲観的な思考が過ぎる。

 それほどまでにサクの日常は苦痛の連続だった。


 そもそも、なぜ正妻であるはずのサクがこんな仕打ちを受けているかというと、それは五年前に遡る。


 元々火陽国はその名の通りとても暑く、乾燥地帯で領土こそ広大なもののその半数以上は砂漠だった。なかなか雨が降らず、作物が育たないせいで人口は減少の一途を辿り、どうにか国を復興できないかと国王が考えたときある噂を聞いた。


 それは、遥か遠くにある小さな島国にいる巫女には天候を操る能力があるというもので、当時の火陽国の王であるナホトの父は藁にもすがるような気持ちでその島国……豊光(フォングァン)国へと出向いた。


 巫女の能力はとても人気が高く、引くて数多だった。

 どの国も彼女を自国へと迎え入れたいと各国みんな必死にアピールした。

 もちろん、ナホトの父もまた火陽国には巫女が必要不可欠だということを訴え、巫女を迎え入れられるのならば宝のように大切に扱うと約束し、火陽国の産業の要である宝石を数えきれないほど差し出した。


 豊光国は多くの選択肢に悩んだものの、どの国よりも切実に訴え、どこよりも多くの財産を持ってきた火陽国ならば巫女を丁重に扱ってくれるだろうと判断し、巫女であるサクを火陽国に渡すことを決めた。


 ただし、豊光国から火陽国へいくつかの取り決めを行った。


 それは、サクを大切に扱うこと。

 そのためにも、サクを王子の正妻として嫁がせること。


 ナホトの父はもちろん了承し、サクはナホトの正妻として盛大に迎え入れた。

 そして彼女を丁重に扱いもてなした。


 すると、どうだろうか。


 サクが火陽国に来てから肌を焦がすほど照りつける陽射しが少なからず和らぎ、滅多に降らないはずの雨がたまに降るようになった。

 国民は歓喜した。サクの能力に対して半信半疑だった国民も、手のひらを返して彼女を敬った。サク様万歳と。


 そして火陽国に人が増え、仕事が増え、国が栄えていった。……はずだった。


 サクを王子の正妻として迎え入れて一年後、国王と王妃が相次いで亡くなった。どうも流行りの病のせいで命を落としてしまったらしい。人々は国王夫妻の急死を嘆いたが、新たな国王としてナホトが玉座に就くことになり、サクがいよいよ王妃になったことで国民は歓喜した。


 これで、ますます火陽国は安泰だと。


 だが、密かにナホトはそれが不満だった。

 この国の王は自分なはずなのに、両親だけでなく国民までもがサクを崇めることがナホトには気に食わなかった。


 ボクが一番偉いはずなのにと。


 ある日のこと、ナホトの旧い友人である隣国傲烈(アオリエ)国の王子タイジが一人外遊と称してやってきた。

 ナホトは歓迎の宴を催したあと、外交と称して護衛もつけずに私室にてタイジと二人きりで近況などの話に花を咲かせていた。


「いいのか? 王妃様を放っておいて」

「別に、旧友と会うのにわざわざ連れて来なくてもいいだろう?」

「それもそうか。それにしても、ナホトが王になってから国家運営は安泰だそうじゃないか。羨ましい限りだ」

「それほどでもないさ」


 謙遜しながらも、タイジの賞賛の言葉に内心ほくそ笑むナホト。

 ナホトはタイジに少なからず劣等感を持っていた。

 なぜなら、傲烈国は国土はさほど大きくないが、統制が取れていて国民は誰もが王族を崇めているいわゆる独裁国家で、ナホトはそれに憧れを抱いていたからだ。

 だからこそ、タイジからの賞賛の言葉に自分が彼よりも上回った、彼に勝ったのだと密かに勝ち誇った。


「なぁ、ナホト。お前の奥さんは天候を操れるのだろう?」

「あぁ。それがどうした?」

「なら、オレに嵐を見せてくれないか?」

「嵐……?」


 嵐と言われてナホトは理解できずに眉を顰める。嵐というものを経験したことがないナホトは、嵐というものが何なのか知らなかったのだ。


「雷が鳴るほどの大荒れの天候のことだよ。知らないのか?」

「い、いや。知っているさ。だが、どうして嵐になんてする必要がある?」

「そりゃもちろん、能力を見てみたいからさ。実際、君の奥さんが来てから火陽国の天候が素晴らしく安定しているのは知っている。だが、大荒れなどはしたことがないだろう? もしかしたら、この天候は能力などではなく、たまたま運よく安定するようになったのかもしれないじゃないか。だから、本当に思うように天候が操れるのか知りたくてな。つまり、実力が見てみたいんだ」

「実力……」

「どんな天候でも操る能力。素晴らしい奇跡をこの目で見せてもらおうかと思ってね。もちろん、そんなことができないというのなら仕方ないが」

「で、できないはずがないだろう。もちろんできるさ。大雨にして荒れた天気にすればいいのだろう? それくらい簡単にやってみせるさ」

「そうか。それは楽しみだ」


 タイジはそう言って無邪気に笑う。そんなタイジとは対照的に、ナホトは焦っていた。

 タイジに簡単にできるなどと威勢を張ったはいいが、正直自信はない。

 だが、今更できないなどと言えるわけがなかった。ナホトはタイジに弱味を見せるなど絶対に考えられなかった。

 そのためには、サクに何が何でも嵐を引き起こさせる必要があった。


(今日……いや、明日までになんとか嵐にさせなくては)


 その後、タイジと挨拶をして別れるとナホトはすぐさまサクのいる私室へと向かった。


「サク! サクはいるか!?」


 ナホトは私室に戻るなり、大声でサクを探す。

 すると、湯浴みを済ませたばかりらしいサクが髪を濡らした状態で奥からパタパタと小走りでナホトに駆け寄った。


「はい、ナホト様。私はここにおります。……お急ぎのようですが、どうかなさいましたか?」

「あぁ。サクに頼みがある。今すぐ嵐を起こしてくれ」


 突然の突拍子もない頼みに、目をぱちくりとさせるサク。

 ナホトの言っていることが理解できなくて、困惑した様子でナホトを見つめた。


「嵐、ですか? なぜ、突然嵐を起こせなどとおっしゃるのです?」

「理由などどうだっていいだろう!? いいからさっさとやれ!」

「キャッ!」


 思いきり身体を突き飛ばされて、サクは尻餅をつく。あまりに突然の乱行に、サクは混乱した。


「ナホト様、どうなさったのですか? いきなりなぜこんなこと……。もしや、具合でも悪いのですか? お医者様をお呼びしましょうか?」


 サクが訳がわからないなりにもナホトを気遣い駆け寄る。

 だが、それすらも気に入らないナホトは、さらに苛立った様子でサクを振り払って叫んだ。


「いいから、今すぐ嵐を起こせと言っているんだ!」

「……っ!? いくらナホト様の頼みでも、そんな急におっしゃられても無理です。嵐など今まで起こしたこともありませんし、やったこともございません。それに突然嵐などになったら国民の皆様の生活が……」

「煩い! ボクに口答えなんてするな! つべこべ言わずにさっさとやれって言ってるんだ!」


 バシン……っ!


 鈍く重たい音が室内に響く。

 それがナホトがサクの頬を叩いた音だと理解するのに、わずかな時間を要した。


(いったい、何が起きたというの……?)


 打たれた頬が燃えるように熱くなる。

 衝撃で口内が切れたのか血の味が口いっぱいに広がり、じんわりと視界が滲んだ。


 痛い。痛い。痛い。


 突然の衝撃に、顔も口も心も何もかもが痛かった。


「ボクはお前の旦那様だぞ!? この国の王様なんだ! 誰よりも偉いんだ! そのボクの頼みを聞けないと言うのか!? お前には能力しか能のないくせに!」


 突然の侮辱。罵倒。

 望まれて結婚したはずなのに、なぜ嵐にできないと言っただけでこれほどまでに酷い仕打ちをされなければならないのか、サクには全く理解できなかった。


「どうしてこんなことをなさるのです? ……結婚のお約束と違いますっ」

「約束? ……勝手に約束をしたのは父だろう? ボクじゃない」

「っ! そんな……」

「ボクは最初から納得していなかったんだ。勝手に結婚を決められただけでなく、結婚相手まで決められて。ボクは優しいから渋々受け入れていただけで、こんな結婚したくてしたわけじゃない! ボクは今まで十分我慢した! ボクが我慢しただけの見返りを寄越せ!」

「急にそんなことおっしゃられても……」

「ほら、いいからさっさと嵐にしろ! この役立たずが! 少しはボクのために働いてみせろっ!」

「うぐっ」


 その後も殴られ、蹴られ、髪を掴まれて振り回されて。痛みと苦痛でサクは呻きながら「やめてください」「許してください、ナホト様」と懇願するも、ナホトは一向にやめてくれる気配はない。


 そんなときだった。


 突然、穏やかだったはずの空に暗雲が立ち込める。そして、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。


 そんな外の景色を見て、ニヤリと笑うナホト。その瞳は狂気の色が滲んでいた。


「ほら、やればできるじゃないか! ならもっと痛めつけてやれば……もっと酷くなって嵐が起きるはずだな……!」

「!?」


 さらに苛烈する暴力と罵倒。

 サクは必死に身を縮こませながら、ひたすら耐えることしかできなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。ふんっ、全然嵐にならないな。だったら……」


 雨は本降りになってきたのにそれ以上荒れる気配がないことに痺れを切らしたナホトは、サクの部屋へと入っていく。

 サクは一体なぜ自分の部屋に行くのかと、ぼろぼろになった身体でふらふらとナホトのあとを追うと、飛び込んできた光景に自分の目を疑った。


「ナホト様!? やめてください! やだっ! ダメっ! ナホト様、お願いだからやめてください!!」


 サクが絶叫にも近い悲鳴を上げる。

 なぜなら、ナホトがサクの私物をことごとく破壊していたからだ。

 服は裂かれ、装飾品は引きちぎられ、嫁入り道具として持ってきた化粧品や香水など全てが折られたり割られたりしていた。


「酷い……なぜこんな……っ」

「ほらほら、早く嵐にしろ。さもなくばもっとお前の持ち物がなくなっていくぞ?」

「やめて……っ! もうこれ以上はやめてください!!」


 サクがナホトの身体にしがみつく。

 だが、ナホトは鬱陶しいとでも言うようにサクを強引に引き剥がして、その勢いのまま壁に投げつけるように叩きつけた。


「そういえば、これはお前が一等大事にしていたよな?」

「ナホト様!? どうか、それだけは……それだけはどうかお許しください……っ! 何でもしますから……!!」

「何でもするというのなら、早く嵐にしてみろ。……ほら、できぬのだろう? だから、実力行使をするまでだ。恨むなら己れの非才を嘆くのだな」

「そんな……っ、あぁ……! あぁああああああ」


 祖母からの形見の鼈甲櫛が折られ、家族からの手紙を破られ、たった一つの家族の肖像画も裂かれてしまい、大事なもの全てが壊されてしまったことにサクは半狂乱になる。


 すると、サクの心情と比例するように天候は大荒れに。

 風は吹き荒んで木々を大きくしなるほどの強さへ。雨は大粒となったかと思えば、盆をひっくり返したかのような猛烈なものへと変わっていく。

 極めつけは轟音と共に大地を引き裂く雷まで聞こえてきて、いよいよ嵐の到来にナホトは「これが嵐……!」と歓喜した。


「はははは! ほら、ボクにできないことはない! もっと早くこうすればよかった! ふふ、これでタイジも納得するだろう。ボクはすごいのだと……!」


 ナホトはそう言って高笑いすると、そのまま上機嫌でサクの部屋を出て行く。

 残されたサクはぐちゃぐちゃにされた大事なものを掻き集めながら、ぼろぼろの身体でシクシクの泣くのだった。


 その後も、ナホトは躾と称してサクを痛ぶり続けた。


 今まで我慢していたぶんだと自分で自分に言い訳して、サクが自分の思った通りの行動をしないと飯を抜き、少しでも天候が落ち着くと難癖をつけて下女のように働かせる。

 さらに、自分で結婚相手を選ぶと数多くの側室を作り、わざとサクに見せつけるように彼女達を寵愛してサクを貶めた。


 ナホトはサクを虐げることに優越感を覚え、サクが苦悶の表情を浮かべるたびに愉悦に浸った。


 それが結婚してから五年経った今まで続き、サクの身体は痩せこけ、髪はボサボサで、肌はぼろぼろ。ところどころ痣ができ、サクは正妻とは思えない見窄らしい姿になっていた。


 そして、誰も彼もがサクを虐げ続けることによって、火陽国がかつての姿からは想像できないほど常に厚い雲に覆われ、しとしとと雨がよく降る国へと変貌を遂げたのである。



 ◇



「陛下が言うようにそろそろ太陽が恋しいわ」

「ずっとこの薄暗い雨だものね」

「本当、正妻の陰気さには困ったものだわ」

「さっさといなくなれば太陽も戻ってくるかもしれないのに」

「そうそう。側室がたくさんいるのだから、陛下も早く離縁してしまえばいいわよね。そうしたら、あの人にかかるお金が浮くわけだし」

「浮くって言ってもあの人残飯処理係でしょ? 大して変わらないんじゃないの?」

「あははは。確かに、それは言えてるかも」

「…………」


 近くにサクがいるというのに使用人達は聞こえているかどうかすら気にもとめないでサクの悪口を大声で言い合う。

 正直ずっと言われ続けて慣れてきてはいるものの、それでも傷つかないわけではなかった。


(私だって、こんな陰気になることを望んでなどいなかった……)


 約束はなかったことにされ、夫であるナホトは率先してサクを虐げ、それに追従するように側室や使用人も軽んじる。

 かつての穏やかな日々があったことなどとうに忘れ去られ、国民からすらこの曇天を理由にサクの存在は疎まれている。


 サクは火陽国の人々にとってもはやお荷物な存在と化していた。


(この国にはどこにも居場所がない……いっそ、離縁してくれたら国に帰れるかもしれないのに)


 正妻だというのに、服や装飾品などの持ち物はほとんど破壊されて捨てられてしまって最低限しか持ち合わせていない。食事も死なない程度の粗末な量。あてがわれる場所も元々寝室にしていた場所の隅のほうだけ。

 その場所すらナホトの気分によっては追いやられ、ベランダで過ごすこともしばしばあった。


(いっそ早く死んでしまいたい)


 そう思っても、自ら命を断つ勇気もなくてずっとこの状況を甘んじて受け入れている。


 居場所もない。逃げ道もない。


 ただ日々が過ぎるのをジッと耐えて待つのみ。

 サクにはそれしかできなかった。


(……豊光国のみんなは元気かしら)


 ふと故郷を思い出す。


 大好きな家族。大好きな幼馴染。大好きな友人。


 みんなの笑顔や思い出だけが、サクの支えになっていた。


 しかし、それ以外の大切なものは全てナホトに奪われてしまったせいで、サクと豊光国を繋ぐものは記憶以外何もない。

 新たに手紙を書いても渡してもらうことすらできずに目の前で燃やされ、サク宛の手紙や贈答品もあのときを境に全く届かなくなってしまっている。


(望まれて結婚したはずなのに。本当に、どうしてこんなことになってしまったのかしら……)


 豊光国のあの穏やかな日々が恋しい、死ぬ前に一度でいいからみんなに会いたい。でも、その願いは叶わないと、サクははらはらと静かに涙を溢すのだった。



 ◇



「宴をする。支度しろ」


 珍しくナホトに話しかけられたかと思えば、何かの催しで各国の王を招いて宴をすることになったらしい。

 寝耳に水だったサクは困惑するも、どうも正妻が不在というのは体裁が悪いとのことで、形だけでも出席しろとのことらしかった。


「お前は前に出なくていいからな。宴の主催者としてはボクとジュリが前面に出るから、お前は裏方に徹しろ。いいな」

「はい」


 サクがそう答えると、すぐさまどこかへ行ってしまうナホト。

 サクはナホトの機嫌を損ねないようにとサクはすぐさま与えられた服を着て久々の化粧を施していると、今度はナホトと入れ替わるようにジュリがやってくる。

 その表情は不機嫌そのもので、ひどく歪んでいた。


「その服、汚したら承知しないから」

「はい。心得てます」

「ふんっ! 全く。ナホト様のお願いだから貸したけど、どうしてこんなゴミに私の服を……」


 どうやら与えられた服はジュリの服だったらしい。ジュリがぶつぶつと文句を言いに来るのを大人しく俯きながら聞く。


「いい? あんたは裏方だからね。決して表に出ないこと。もし必要なときは遠くから挨拶なさい」

「はい、わかりました」


 もはやどちらが正妻かわからぬほど立場が逆転しているが、サクが大人しく受け入れるとジュリはそれ以上何も言わずにナホトのところへと行ってしまった。


(そもそも、こんな醜い姿で出られるわけがない)


 ジュリの鮮やかな羽織に不釣り合いな土気色の肌は痣のせいで斑に色がつき、痩せて骨張っている。髪はパサパサでひどくうねって見窄らしい。顔の精気は失せ、化粧でも誤魔化せないほど。

 かつての精気に満ちた白魚のような美しい肌も、ふっくらとした身体つきも、艶々な春色の艶やかな髪はどこにもなかった。


 だからこそ、サクはこんな醜い姿を誰にも見せたくはなかった。見知っている人には特に。……そのはずなのに。


「え。もしかして、マツバ……?」


 裏方に徹しようと目立たぬ女中のように食事の補充や片付け、掃除などをしていたとき、ふと見知った顔が見えた気がして思わずサッと隠れる。

 そして、影から覗き込むとそこにいたのは確かに幼馴染であるマツバであった。


「マツバが……どうして?」


 マツバはサクの三つ下の幼馴染で豊光国の王子だ。

 火陽国に嫁ぐ前までサクと親しくしていてサクのことを「ねぇね」と呼んで慕ってくれていた。

 あれから五年も経っているせいか、サクよりも小さかったはずがかなり身長も伸びて遠目から見てもサクの頭一つ分は高いのがわかる。顔つきも身体つきも男性らしく逞しくなっていて、周りにいる女性からの視線を集めるほど凛々しくなったマツバに、サクは思わず目を疑った。


「でも、あれは間違いない。絶対にマツバだわ」


 いくら見違えるような成長をしたからといって、サクが大事な幼馴染であるマツバを見間違えるはずがなかった。

 だからこそ、どうしてここにマツバがいるのかと思っていると、不意に「そこで何をコソコソしている」と冷ややかな声をかけられ、サクは恐怖で身体を硬直させた。


「ナホト様……申し訳ございません。すぐに持ち場に戻ります」

「待て」


 サボっているなんて思われたらまた叱責されるとサクが慌てて持ち場に戻ろうとすれば、なぜか引き留められる。

 サクは訳がわからず言われた通りに足を止めると、ナホトはキョロキョロと辺りを見回して何かを得心したのかニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「そういえば、あやつは豊光国の新たな王となった者だと言ってたな。知り合いか?」

「っ、……はい。幼馴染です」

「ほう、幼馴染。それならなぜ、コソコソと隠れるような振る舞いをする? 旧友に会いたくないのか?」

「私は仕事がありますから」

「なるほど。では、特別に会わせてやろう」

「!? な、なぜです。やめてください」

「ははは、知り合いなのだから問題ないだろう?」


 ナホトは嫌がるサクを無理矢理マツバがいる方へと連れて行く。サクは必死に抵抗するも力で勝てるはずもなく、呆気なくマツバの前へと連れて来られてしまった。


「本日は遠路遥々お越しいただき、どうもありがとうございます」

「こちらこそお招きいただきありがとうございます。……っ!? サク……姉……?」


 先程までの朗らかな表情から一転、信じられないものを見るような表情へと変わるマツバ。

 そんな彼のことを見ていられなくてサクは俯こうとするも、そんなことはさせないとでも言うようにナホトが背後に手を回して無理矢理サクをマツバのほうに向けさせた。


「おや、二人はお知り合いで?」


 知っているのに知らないふりをするナホト。

 彼はサクが嫌がることを理解していた。だからこそ、サクを無理矢理ここに連れて来ていた。


「……えぇ、幼馴染なんです。久々に会えたら嬉しいとは思ってましたが、まさかこんな形で会えるとは」


 マツバが言葉を選びながら話しているのがよくわかる。それが余計にサクには惨めだった。


「それはよかった。……ところで、まだ豊光国の王は未婚と聞きましたが、もしお古でよければソレお譲りしましょうか?」

「…………は?」

「ナホト様!? 何をおっしゃってるんですか!?」


 いきなり突拍子もないことを言い始めるナホトに、理解が追いつかない。

 ナホトがソレと指したのは明らかにサクのことである。

 突然何を言い出すのかと、自分だけでなくマツバまで侮辱するような物言いに信じられないとサクはナホトに食ってかかるような声をあげた。


「お前は黙っていろ」

「っ! ですが……っ」

「煩い。主人であるこのボクが黙れと言ってるんだ」

「……っぐ」

「やめてください!」


 ナホトの首が手にかかり、軽く絞められたところでマツバの静止がかかる。

 マツバの必死の形相に機嫌をよくしたのか、ナホトは笑みを溢しながら手を離した。


「おっと、そんなに声を荒げないでください。冗談ですよ」

「冗談、ですか?」


 マツバの声が固くなる。

 それを聞いて、サクは居た堪れなくなった。


「えぇ、冗談ですよ。それにしても、どうもそちらの国で大層大事にされていた巫女殿ですが、我が国では役立たずでしてね。ほら、本日の天候もそうですが、ずっとこのような曇天のままでして。いい加減、この見せかけの能力には飽き飽きしていたんですよ」

「そうでしたか」

「ですから、そちらにお返ししようかと思いまして。ボクのお古で申し訳ないですが、ご伴侶にいかがです? まぁ、役立たずなので伴侶としても役立たずかもしれませんが」


 始終バカにした態度を取り続けるナホト。

 というのも、ナホトは豊光国を辺境の島国であり、国土が小さく、軍事力も大してないということで見下していた。

 さらに、自分が父が頼み込んでサクを嫁がせてもらったにも関わらず、豊光国は自分に余計なものを押し付けてきたのだという勝手な逆恨みからの先程の発言だった。


 黙り込むマツバ。

 その姿に、優越感を感じるナホト。

 自分のせいでマツバまで軽んじられることに、申し訳なさを感じるサク。


(どうしよう。マツバまで巻き込むわけにはいかない)


 何とかこの状況を打破しないとと、サクが口を開こうとしたときだった。

 突然マツバがサクに手を伸ばす。そして、そのまま腕を引っ張られて、気づけばサクはマツバの腕の中にいた。


「ナホト様のお心遣い感謝致します。ありがたくちょうだいさせていただきます」


 マツバがにっこりとナホトに微笑む。

 奪われるような形でサクを取られ、ナホトは憤りを感じるも自分からサクをあげると言った手前下手なことを言えない様子だった。


「彼女をいただく代わりにこちらは何をご用意すればよろしいでしょうか? あいにく、本日はあまり金貨など持ち合わせておりませんので後日お送りする形でもよろしいでしょうか?」

「いや、いい。不良品を回収してもらうのに金はもらわないだろう?」

「そうですか。ナホト様のご寛大なお心遣いに感謝します」


 ナホトがわざと煽るようなことを言うが、マツバは相手にせず。ナホトとマツバでは年が十程も差があるはずなのに、その堂々としたマツバの姿にサクは内心驚いた。


「では、我々はこれにて失礼させていただきます。行こう、サク」

「ナホト様、失礼します」


 サクはぺこりと頭を下げると、そのままマツバに連れられてその場をあとにする。

 何とも呆気ない終わりに戸惑うも、ナホトが見えなくなるまでマツバに肩を抱かれながら並んで歩き続けた。



 ◇



「マツバ。ごめんなさい、巻き込んでしまって」


 ナホトが見えなくなったタイミングでサクがそうぽつりと漏らせば、ギュッとマツバに正面から抱きしめられる。

 先程もそうだったが、あのかつての小さく幼かったマツバからは想像できないほど力強くて、サクはなんだかドキドキした。


「ずっと心配してた。まさかこんなことになってただなんて。俺がもっと早く気づいていたら……」

「ううん、マツバのせいじゃないわ。私が上手く立ち回れなかったから……そのせいで、マツバまで辱めを受けることになってしまって、ごめんなさい」

「謝らないで。サクさんは悪くない。そもそも、サクさんを大事にする約束があったはずなのに、破ったのはあいつだろう? サクさんがこんなことになるのなら、あのときもっと反対しておけばよかった」


 そう言って苦虫を噛み潰したような顔をするマツバ。

 まさか当時マツバが結婚に反対していたとは知らず、サクは「え? 反対したの?」と声を漏らす。


「したよ。でも、約束もしたし、たくさんの宝石を捧げるくらいに欲しているのなら、きっと大丈夫だと父に押し切られてしまって。俺はそれで渋々引き下がったけど、あれからずっとサクさんから連絡がないからおかしいと思っていたんだ。だから、一目でもサクさんの元気な姿が見たくて俺はここに来たんだよ。……元気じゃなかったけど」


 そう言って、縋りつくように抱きついてくるマツバ。

 やはり身体は大きくなったとはいえ、甘えん坊な中身は変わっていないようだ。


「ありがとう、マツバ。またマツバに会えてよかった」

「俺こそだよ。もう一生会えないかと思った。だから、会えて嬉しい。もう絶対にキミをどこへもやらないから」


 さらにギュッとキツく抱きしめられて、胸がいっぱいになる。

 強く抱きしめられて苦しいはずなのに、今は多幸感で満たされていた。


「それにしても、マツバが王様になったなんて。顔つきも身体も立派になって、びっくりしたわ」

「サクさんが結婚してから五年も経ったからね。家督を譲ってもらったんだ。俺も成長したんだよ」

「そうね。昔はあんなに、ねぇねねぇねって呼んでたのに。今は他人行儀にサクさんだなんて」

「そ、そりゃ、俺も十八になったし、二十一になったサクさんをあの頃みたいにねぇねって呼ぶのは失礼だろ!?」

「私は別に構わないけど?」

「とにかく、サクさんはサクさんだ」


 昔はもう少し可愛げがあったのに、意地っ張りだなと微笑ましくなるサク。


(あぁ、やっと自分を取り戻せた気がする)


 こうした何気ない会話をすることが久々なサクにとって、マツバとの気兼ねない会話は楽しかった。

 ナホトから離れるだけでこんなにも心が穏やかになるだなんて、サクは思ってもみなかった。


 そして、サクは今まで失っていた心を取り戻すように、豊光国の船へと向かう道中で火陽国での出来事をマツバに洗いざらい話す。

 船に乗り込み船内の部屋で二人きりになるとやっと肩の荷が降りたかのように、サクは身体中の力が抜けるのを感じた。


「あいつ、一発ぶん殴っておけばよかったな」

「やめてよ。外交問題になっちゃう」

「いいさ。随分と俺達のこと舐めてたみたいだし」

「それに関しては本当に申し訳ないわ。元妻として夫の発言を謝罪するわ」

「元、夫だろ」

「そうだけど。あと、ごめんなさいね。あのときあの人私のことをマツバに押しつけようとしてたけど、気にしないでね。マツバにはもっと若くて相応しい女性がいるだろうから、あんな適当に交わした約束は気にしないちょうだい」


 売り言葉に買い言葉。

 きっとマツバも本心ではなく適当に合わせただけだろうとサクがナホトの代わりに謝れば、なぜかマツバがきょとんとした顔をした。


「何を言ってるんだ? 俺は国へ帰ったら普通にサクさんと結婚するつもりだけど」

「え? いやいやいやいや、何を言ってるの。私は出戻りよ? わざわざそんなハズレを引く必要はないでしょ。マツバはかっこいいし、王様になったんだし、モテるんだろうからもっといい人が……」

「俺はサクさんがいいんだ」


 そう言って、サクはマツバにまっすぐ見つめられる。

 あまりに強い視線に目が逸らせないでいると、いつのまにかだんだんと距離を縮められて気づけばマツバに抱きしめられていた。


「ずっと好きだったんだ。だから、今までどの縁談も断ってきた」

「うそ……」

「嘘じゃない。もしサクさんが俺を受け入れてくれるなら嬉しい」

「受け入れるだなんて。私は年上でおばさんだし、出戻りだし、こんな醜い姿で、マツバに釣り合わないわ」

「そんなことない。そんな姿だろうが、俺はサクさんが好きなんだ。巫女だからとか、能力があるからとか、そういうの抜きにして、サクという人物が好きなんだ。ずっとキミを想い続けていた。だから、俺と結婚してほしい」


 唐突なプロポーズ。

 前回さえも元々望まれての婚姻だったのに、プロポーズは特になかった。

 だからこそ、初めてのプロポーズにサクは胸が高鳴った。


「私で、いいの?」

「サクさんがいいんだって言ってるだろう?」

「……ありがとう」


 本心から自分が必要とされている。

 巫女だからだとか、能力があるからとかじゃなく、サクという自分自身を必要としてくれているマツバの言葉が嬉しくて、サクは涙を溢した。


「好きだよ。いや、愛してる。俺がサクさんを絶対に幸せにするから。約束する」

「……うん。うん」


 サクがゆっくりと目を閉じると、触れる唇。

 優しい口づけが愛しくて、嬉しくて、サクの胸はますます高鳴った。


 そして、その胸の高鳴りに呼応するように晴れ渡る空。行く手には二人の行く末を暗示するような綺麗な虹がかかるのだった。



 ◇



 数日後、豊光国に戻ったサクはたくさんの人々から歓待され、正式にマツバと結婚した。

 その後、サクがマツバからの一途な愛を受け続けたことによって豊光国の天候は恵まれ、多くの作物が実るようになり、動植物が増え、ますます豊かな光り輝く国になっていくのだった。



 一方、火陽国はと言うと、サクがいなくなったことで再び燃えるような暑さを取り戻していた。

 サクがいなくなった当初こそ、久々の燃えるような太陽の暑さに歓喜したが、その後も激しく照りつける日差しは国民を疲弊させた。

 その後も全く雨が降らなくなり、大地は枯れ、今までの天候に合わせて栽培していた作物は実らなくなり、国民はこぞって国王であるナホトに訴えるもナホトは相手にせず。むしろ自分の意に反する国民を次々と捕縛し、処刑していった。

 その後も、飢饉が起きるほど酷いありさまになっても王家の姿勢は変わらず。不満が溜まっていよいよ我慢ならなくなった国民達は反乱を起こし、ついに王家を打倒し、ナホトを処刑した。

 けれど結局国の天候は回復することなく、国民達がなんとかサクに再び火陽国に戻ってくるよう打診するも、サクが戻ってくることはなく、火陽国は衰退の一途を辿るのだった。



 終

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― 新着の感想 ―
元夫や使用人はともかく国民は可哀想かな?でも馬鹿夫が現役の時は正妻の悪口広めてただろうし、使命感で戻っても居心地は良くなさそう。 というか結婚時の契約も違えまくりだし、賠償ものでは。
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