7回目は訪れない
誰かが私の手を掴む。この温もりには覚えがあった。
そのまま強く引っ張られたかと思うと、背後でシャンデリアが落ちた轟音が耳をつんざく。
激しい音に、ほんの一瞬だが気が遠くなっていたようだ。
ハッと我に返ると、周囲からの悲鳴と大時計の奏でるメロディの不協和音がとんでもなくうるさくて、できることなら耳を手で塞ぎたかったが、体が動かない。
私の体に痛みはないのに動かないとはどういうことだろう。
私はぎゅうっと強く閉じていた目をおそるおそる開く。
すると目の前に、とんでもない美形の男性がいた。
天使の輪が浮かぶ艶々の金髪に、深い青色の瞳。顔立ちは美術館で愛でられる彫刻像のように整っている。服装からすると使用人ではなくパーティーの参加者であるのは間違いなさそうだ。
いや、目の前というより、この彫刻のような美形男性の腕の中に私がいるということになる。
つまり、抱きしめられている。
彼は私と目が合うと、ふわっと笑みを浮かべた。
「無事でよかった……」
「……は?」
私はポカンと口を開ける。
そしてようやく、大時計の奏でるメロディが終わっていることに気がついたのだった。
「怪我はないか? 医者もすぐ近くにいる」
「え、え?」
「大丈夫。もう助かったんだよ、君は」
美形な男性は、感極まったような顔で私の頬を撫でる。
「……今回は間に合った」
私はその声に覚えがあった。いや、思い出したのだ。
低くて、なのに発音がはっきりしていてよく響く。訛りもなく、どこか甘さを含んだ声の人。
1回目に階段から落ちた私を見て、医者を呼ぼうとしてくれた。
2回目、間に合わなかったと嘆いてくれた。
3回目には、しっかりしろと励ましてくれた。
それから、自らの首に刃物を突き立てた私に、死なないでくれと祈るように言っていた時もあった。
死にゆく私の手を握って看取ってくれたのも、そして、落下したシャンデリアの下にいた私の手を引き、助けてくれたのも。
全部、全部、彼だったのだ。
そういえば婚約破棄を言い渡され、周囲を見回した時に、とんでもない美形が凝視してきて、恥ずかしいと感じたのだ。
そして間に合ったという発言。
ふむ、それって。
「あの……もしかしてループの記憶、あったりします……?」
思わずそう口にしてしまった私を、美形な彼はマジマジと見つめ、微笑んでから頷いた。
「ああ。どうにか助けられないかと足掻いていたのだけれど、君はどうやっても死んでしまうから何回も絶望していた。でも、やっと助けられたよ」
大時計は24時を過ぎ、すでに数分経っている。
私の脳は遅すぎる理解をした。
まず、私はようやくこの死に戻りループから抜け出せたということ、そしてループしていたのは私だけではなかったということを。
「君の名前を教えてくれないかな? 名前自体は何度も聞いているから覚えてしまったのだけれど、君の口から聞きたいんだ」
そう優しく言われて心臓がドキンと跳ねた。
私は今も彼に抱かれたまま。美形にそんな風に囁かれてドキドキしてしまうのは当たり前かもしれないが、私の胸のときめきはそれだけじゃない。
辛すぎる死に戻りで、彼が何度も私を助けようとしてくれたことを身をもって知っているから。
「わ、私はアマリリス・オルブライトです」
「ありがとう。僕の名前は──」
「──アマリリスッ! なんのつもりだ!」
最高の胸キュンシーンを邪魔したのは、髪をボサボサにし、服をワインで汚したマルセルだった。
隣には同じく髪が乱れ、顔のあちこちについたクリームをボタボタ零しているシャロンがいた。二人とも眉を逆立てている。
もしかすると、私が蹴り飛ばした先に置かれていたワインやケーキのテーブルに突っ込んでしまったのかもしれない。
「いきなり俺たちを蹴り飛ばすだなんて! なんて暴力的な女だ!」
「そうよそうよ! ドレスも髪もメイクも酷いことになっちゃったじゃないっ!」
その言い草に、私はポカンと口を開ける。この人たち、どこまで愚かなのだろう。
ちょっと視線を動かせば、落ちてきたシャンデリアが見えるだろうに。まさか自分たちのいた場所にシャンデリアが落ちてきたことを気づいていないなんてこと、ある?
「いきなり俺たちに暴力を振るうだなんて、つまりアマリリスの有責で婚約破棄ってことだよなぁ?」
「そうよそうよ! 慰謝料払いなさいよっ!」
「あの……頭は大丈夫ですか? ぶつけたとかそういう意味じゃなくて、理解力的な意味なんですけど」
私は思わずそう言っていた。
受けを狙ったわけじゃないんだけれど、周囲の貴族たちはドッと笑い声を上げた。
普通はそうだよね。マルセルとシャロンがありえないくらいおかしいというだけで。
マルセルたちは周囲に笑われていることくらいはわかったのか、カーッと顔を赤くする。
「一応教えてあげるんですけど、シャンデリアが落ちてきたので助けようと思って回し蹴りしたんですよ」
「だ、だとしても、暴力に変わりはないっ! それにだ、そんな風に男に引っ付いて! これは浮気だよなぁ? やっぱりアマリリスの有責だっ!」
「そうよそうよ! 男と見ればすり寄るビッチが!」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。ここまで自分たちを棚上げするなんて、本気?
とはいえ、私は助けてくれた彼に抱きしめられたままだったのは事実だ。
「あっ、すみません。ずっと引っ付いていて……」
慌てて離れようとしたのだが、彼は放してくれない。何故か背後からバックハグの要領で抱きしめ直された。
「悪いけど放すつもりはないよ。僕は君を好きになってしまったから」
「ええええっ!」
心臓がドキンを通り越してバクンッと爆発した。
全身が熱くなり、私の顔は真っ赤だろう。
「やっぱり浮気じゃないか。それで貴様は誰なんだ! 服装からして貴族だよなぁ? 貴様ごと不貞で訴えてやる!」
「そうよそうよ! 賠償金たっぷり払いなさいよね!」
マルセルたちはニヤついて私たちを指差し、歪んだ笑みを浮かべている。
やっぱりこんな人たち助けない方がよかったのだろうか。
「そうだね、アマリリスに名乗ろうとした途中だった。その前に、僕は君たちがアマリリスにしたことを、この目で見て、この耳で聞いていると言わせてもらうよ」
「そんなことどうだっていい! 顔にも見覚えがないし、どうせ田舎の貧乏貴族かなんかだろうが!」
マルセルはぎゃんぎゃんとがなり立てた。しかし背後の彼に視線を送ると、彼は穏やかに微笑んだままである。
「……僕の名前はクレイグ」
私はその名前を聞いて息を呑んだ。
「はあ? ったく何様だよ。家名も言えよな。言ったところで知らないかもしれないけど、一応聞いてやっても──ん、クレイグ……? どこかで聞いた名前だな」
マルセルは首を傾げている。隣のシャロンはサーッと青ざめたから名前を知っていたのだろう。
「失礼。クレイグ・ヴァルティエだ。何様かと聞かれると……王子様、ということになるだろうね」
茶目っ気を込めたウィンクをしつつ、我がヴァルティエ国第三王子クレイグ殿下はそう言ったのだった。




