2回目
ハッと目を開くと、眩しさに頭がクラクラした。
私は階段から落ちたはずなのに自分の足で立っている。頭どころか体のどこも痛くない。
どういうことだろう。目をぱちぱちと瞬かせたところで、目の前にいた人物が私に向かって声を張り上げた。
「アマリリス・オルブライト伯爵令嬢。お前との婚約は破棄させてもらう!」
「……へ?」
聞き覚えのあるセリフを言ったのはマルセルだった。その横にはマルセルに体を押し付けるシャロン。
しかもここは、さっき私が後にしたはずの王城のパーティー会場だ。
大時計の針は23時50分を指している。
「えっ、なにこれ……」
「ははっ、驚いているようだな! お前みたいな可愛げのない女は捨てて、このシャロンと結婚するって言ってるんだよ! バーカ!」
私はあんぐりと口を開けた。
さっきのは夢だったのだろうか。それともこっちが夢? 走馬灯を見ているとか?
ニタニタ笑う酔っ払いのマルセルが本気で気持ち悪い。
それに、さっきはそこまで意識が回らなかったけれど、パーティー会場なため周囲には多くの人が私たちに好奇の視線を送っている。中には信じられないような金髪碧眼の美青年まで、目を大きく開きながらこの茶番を凝視しているものだから、余計に恥ずかしくてたまらなかった。
「……バカはどっちよ。婚約破棄したいなら別に構わないわ。私だって貴方のこと別に好きじゃないもの。そんなに私が嫌なら喜んで婚約破棄してあげるわよ。ただね、こんなところでやる意味があるかって言ってるの。格上の侯爵令息だから何? この茶番を見て、今後貴方を信用するような貴族なんていない。貴方は侯爵閣下に恥をかかせ、自分の首を自分で締めたのよ」
何がどうなっているのかわけもわからなかったが、さっき言いそびれた言葉が追いついたかのようにスルスルと口から出た。
「な、なんだと……っ! このバカ女っ!」
「バカ以外の言葉を知らないの? 本当に愚かね。恥を知りなさい。フォーテスキュー侯爵がもし貴方を許して跡継ぎのままにするなら、貴方の代でフォーテスキューは終わるでしょうね。貴方の妻になったならどれだけ愚かでも支えてあげようと思っていたけれど、もうそんな義理もなくなったもの。解放されて、本当に幸せ!」
ああ、スッキリ。
もしかして、言いたいこともろくに言えずに死んでしまった私を神様が憐れんで時を戻してくれたのかもしれない。ありがとう、神様!
「ここでの発言は父に報告します。酔っ払っていたなんて言い訳にもなりませんからね。ここにいるたくさんの人が証人ですから」
私がそこまで言うと、マルセルは青ざめ、プルプルと震え始めた。
今更になってやらかしたと気付いたのかもしれない。でももう遅すぎる。
「ま、待ってくれ……」
マルセルはそう言いながら私に手を伸ばしたが、私は一瞥しただけで背を向けた。
今度こそ退場だ。
さっきのように階段で足を滑らさないよう、慎重に手すりを掴む。
よし、ゆっくりと階段を降りれば。
そう思った時、手すりが濡れていることに気が付いた。酒の匂いがする。うっかり者の給仕が発泡ワインの栓を開けた際に、噴出したワインが手すりにまでかかったのかもしれない。まったく、危ないな。
「ま、待て、アマリリスッ! 待てってば!」
私の思考を戻したのは追いかけてきたマルセルだった。
マルセルは私を捕まえようとするように腕を伸ばす。しかし勢いがありすぎたのか、マルセルは私の背中をど突いた状態になっていた。
「あっ……」
濡れた手すりは私の体重を支えてくれない。すっぽ抜けた手は空を切り、私の体は宙に投げ出されていた。
さっきと同じ。私は大階段の下まで落下した。
ぐしゃり、と自分の体が砕ける音を聞く。
どうして、こんなことに。
「ち、違う! 俺は突き落とすつもりなんか……!」
「っ! 間に合わなかった……早く医者を!」
遠くでマルセルの取り乱した声と誰かが医者を呼ぶ声、そしてまた大時計が新年を告げるメロディが聞こえたのだった。




