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1回目

 12月31日、23時50分。ヴァルティエ国で毎年恒例である王城の年越しパーティー会場では、新年まであとわずかという時間帯特有の、どこかそわそわした空気が漂っていた。


 天井でキラキラと輝く巨大なシャンデリアはパーティー会場をきらびやかに彩っている。

 特に今年は長いこと国外に留学していた第三王子のクレイグ殿下が戻ってきたということで、パーティーはいっそう豪華で盛り上がりを見せていた。


 まもなく新年を迎えて美しい音色を奏でるであろう大時計の秒針の音ですら、可もなく不可もない程度の家柄である伯爵令嬢の私には、王家からこの年越しパーティーに招待された喜びを感じさせてくれるものだった。

 目の前の婚約者、マルセル・フォーテスキューの言葉さえなければ。


「アマリリス・オルブライト伯爵令嬢。お前との婚約は破棄させてもらう!」

「……は?」


 マルセルは我がオルブライト伯爵家と懇意にしているフォーテスキュー侯爵家の令息だった。ウェーブのかかった長めの薄茶色の髪に、緑色の瞳をしており、洒落者らしく派手な礼服もサラッと着こなすイケメンだ。


 マルセルの横には、琥珀色の瞳をした赤毛の美女が寄り添っている。肉感的で、口元のほくろが色っぽい。マルセルにお似合いの派手めなドレスで、突き出たメロンのような胸をマルセルの腕に押し付けている。

 彼女は確か、数年前に年老いたガスター男爵の後妻になり、今は未亡人のシャロンではないだろうか。化粧が濃い──いや、華やかな容姿と、好色──もとい、数々の男性との浮き名を流している。


「……何故、私が婚約破棄をされなければならないのですか」


 私は至極冷静にマルセルに向かって問うた。

 マルセルはニタニタ笑いながら気障ったらしく前髪を風になびかせている。

 よくよく見ると顔が赤くて目つきはどろりと濁っているし、息も酒臭い。どうやらワインを飲みすぎたらしい。声はしっかりしているが酔っ払っているのだ。


「何故だと? 我がフォーテスキューより格下のオルブライト伯爵に頼まれて仕方なく婚約しただけではないか。本来ならありがたがって涙を流し、おとなしく足を開けばよいものを。そういう生意気なところがお前はダメなんだ。今夜のドレスも新年を迎えるというのに地味で色気がない。少しはこのシャロンを見習ったらどうなんだ?」

「まあ、言い過ぎよ。可哀想だわ。でもアタシみたいなドレスは彼女には着こなせないんじゃない?」


 ギラギラしたドレスから半分以上露出した胸をユサッと揺らし、シャロンは私のごく平均的な胸元を憐れんだ目で見つめてから、フッと鼻で笑った。


「そりゃそうだな! いいか、もう一度言ってやろう。アマリリス、お前のような顔も平凡な上、髪も目も性格を表したような暗くて面白みのない女との婚約は破棄だ」


 確かに私は紺色の髪と目という暗い色の組み合わせである。顔だって華やかさや色気には欠けるが、まあまあ整っている方だとは思う。10人に聞けば8……いや9人は「そこそこ可愛い」「わりと美人」と答えてくれるだろうし、祖父母の世代には美人さんだと好評なのである。


「だが、どうしても婚約破棄は嫌だと言うのなら、この俺の足元に跪き、靴にキスをしたら考え直してやっても──」

「いえ、もういいです」


 私はマルセルの言葉を遮った。

 大時計がカチリ、カチリと音を立てるたび、私の怒りも蓄積していく。

 言いたいことはたくさんあったが、心の中に溜まっていく一方だった。

 それでもマルセルの戯言を最後まで聞いていられるほど、私は気が長くない。


「私に婚約についての決定権はありません。今あったことは父に報告いたします」


 私は言いたいことを全て押し殺し、広間に背を向け、パーティー会場から去る。


 背中に「ああいうところが可愛くないんだ」と嘲笑う言葉をマルセルに投げかけられたが無視した。


 別に婚約者といってもマルセルのことなど好きではなかった。顔合わせで、初めて見たマルセルをイケメンだとちょっぴりテンションが上がったこともあったけれど、最初だけだった。


 努力を嫌い、頭が悪くておまけに女遊びばかり。責任を負うのも嫌がり、なのに欲望にだけは忠実。私にも何度も婚前交渉をさせろと迫ってきて、その度にウンザリして「性交渉は結婚してから」と逃げ回り、時に言い返していた。そういうところがマルセルには生意気に感じたのだろう。


 マルセルの人間性はとてもじゃないが好きになれないが、政略結婚だからと諦めていた。でも、今考えると体を許さなくて本当によかったと思う。


 マルセルも結婚すれば多少は女遊びを控えるだろう。控えなくても私が跡継ぎを産めばどうとでもなる。我が国では正妻にはそれだけの権利があるし、離婚になっても財産分与がある。

 侯爵夫人になった時のためにと、我慢してマルセルの分まで勉強していたのが、彼からすれば余計にお固くてつまらない女に見えたのかもしれない。


 でも、もう我慢はやめだ。

 伯爵の父も人並みの情はあるし、私が衆人環視でここまでされては婚約破棄に同意するだろう。こんな結婚を強要するほど非常識でも悪人でもない。侯爵も同様だ。


 そうだ、ある意味では解放ではないだろうか。

 ちょうど新年になるところだし、新しい未来が私を待っている。


 私は心の底から気分が上がり、足取りも軽くパーティー会場から出る階段に一歩足を踏み出し──次の瞬間、ズルッと足を滑らせていた。


 会場前の大階段は艶々の大理石製。その純白の階段は見映えはいいがかなり急であり、足を滑らせる事故が多発していると聞いたことがあった。


 今の私みたいに。


 私は大階段から投げ出され、激しい音を立てて真下の床に落下した。

 全身が痛いが、特に頭に激しい痛みがあり、どんどん意識が遠のいていく。


 体は動かず、すぐに目も見えなくなった。

 これはもう、ダメだ。

 私はそう諦めた。


 最後に残ったのは聴覚だった。

 遠くで悲鳴と「医者を!」と叫ぶ誰かの声と、からくり大時計が場違いなほど賑やかなメロディを奏でて新年を告げる音だった。


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