呪紋の覚醒54
パテイシャの問い掛けに、ラーヴィアは穏やかに返していく。やはり、カウイという人物は噂と違うのかもしれない。もしくは、彼の話術が巧みであったのか。
三人は予定通り、揃って門を後にした。
案内役は、当然パテイシャだ。彼女を先頭に砂漠を進んでいき、目的の魔方陣に辿り着いても歩みを止めはしなかった。緊張しているのか、会話を楽しむ雰囲気もない。
守護の塔では、ケイオスが把握していたかのように待ち構えていた。見知らぬ人物が魔方陣を通ってきたことに気付いたのだろう。
「遅い戻りとなってしまって、申し訳ありません」
正午は疾うに過ぎていたため、彼女は開口一番に謝罪を口にした。圭も倣うように頭を下げていく。
ケイオスは頷くことで応じて、件の男へと目を向ける。
「ここへ連れてきたと言うことは、この者は呪紋の所持者なのだな」
「はい。彼は愛を司る神女神の闇、融合の紋章を宿しています」
そう口にして、彼女は彼を促すように視線を送っていく。意図を汲んだのか、彼は一歩だけ足を前へ進ませた。
「お初にお目にかかります。わたくしはラーヴィアと申します。サンデスト王国の王子、カウイ様の付き人の身分でございます」
「ほう、王族の付き人か。――何故、この状況で躊躇いなく正体を明かす? 身分を利用されても構わないのか?」
「忠誠心はないのか?」と言外に問われて、ラーヴィアは心なしか胸を張る。表情に焦りはなく、小さな笑みが形付けられていた。
「あなたと交渉するためですから止むを得ません。わたくしは王族ではなく、カウイ様に忠誠を誓った身でございます。――今後、リュイール王国の首都、ルヴィスタで仮面舞踏会が開かれることをご存じでしょうか?」
「ああ、既に情報は掴んでいる」
「それでは、リュイール王国がゼウイムス王国に付き人制度の取り締まりを依頼していることは?」
「何かを働き掛けていると知っているが、そう言うことか」
「その時、カウイ様はきっと囚われの身となるでしょう。わたくしの条件はただ一つ、彼の身の安全をどうかお守り下さい。約束をして頂けるのならば、喜んであなた方の組織に属したいと思っております」
ケイオスが何か思案するように黙り込む。しかし、時間はそう掛からなかった。
「ならば、カウイ王子をこちら側に引き込んで見せろ。無論、それまで我々の存在を明かしてはならない」
「……護る代わりに、王族の後ろ盾が欲しいと言うことですね?」
「そうだ。サンデストでの、我々の活動が容易くなる」
ラーヴィアの表情は何処か複雑そうだ。主人を守護する存在は得られるが、更なる危険な立場へ追いやってしまう可能性が充分にある。大事に至らないよう考えていた分、迷いが生じてしまうのは致し方ない。沈黙はしばらく続いた。
圭たちは口を挟まず、無言で事の成り行きを見守るしかない。
「わたくしからも条件がございます」
「条件? 王子を護るほかに何がある?」
「付き人制度を取り締まるのではなく、廃止にしたいのです。推奨国のサンデストだけでもなくしてしまえば、これまでの勢いは間違いなく衰えるでしょう。確実に手を貸していただけるのなら、カウイ様はあなた方に協力してくれるはずです」
不意に、ケイオスがにやりと笑んだ。計略を巡らせていることは見て取れる。
「いいだろう。手を打つ案はある。封印の鍵――サンデストにある光の鍵を手にさえすれば、自ずと願いは叶えられるだろう」
封印の鍵によって何が引き起こされるのか、薄らと察しているものの彼は詳しく知らない。カウイが護られるのだから、敢えて訊くこともしなかった。
「あなたの手に乗りましょう」
「交渉は成立した。付き人を希望した態で、カウイ王子の許にパテイシャを連れていけ」
彼女を宛がうのは担当していたこともあるが、きっと監視の兼ね合いもあるのだろう。ラーヴィアの様子から、組織に属していても全てに従う素振りは見られない。右も左も判らない新参者への手助けと、万にひとつ裏切るかも知れないことへの対処を想定したものだろう。
「パテイシャ、構わんか?」
「もちろん、お任せ下さい」
ケイオスの考えを汲み取って、パテイシャは進んで指示に従った。そして、圭を振り返る。
「少しの間だったけど、圭くんと過ごせて楽しかったわ。しばらくは毎日、戻るつもりでいたけど仕方ないか。……その内に報告で戻ることがあるから、また仲良くしてね」
茶目っ気たっぷりに軽く片目を瞑ってみせた。そんな彼女に、圭は深くお辞儀をしていく。
「お世話になりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ふふふ。――それじゃあ、ラーヴィアさん。ストールへ戻りましょうか」
そうして、彼女は任務を果たすため、彼を伴い魔方陣の向こうへと消えていった。
二人を見送ったのち、圭はケイオスに視線を向ける。
「付き人制度を廃止するために鍵が必要なんて、本当にそれで良かったの? まるで騙しているみたいだ」
「物は言い様だ。騙してはいない。あの男も恐らく、意味合いを察してはいるだろう」
ケイオスが決断したことである。それ以上、圭に何かを進言することは出来なかった。気分を切り替えるために、軽く息を吐き出して目蓋を閉じていく。やがて開かれた目は、強い意志を見せていた。
「昼食は食べました? これから用事はありますか? 良ければ、これから特訓に付き合って下さい」
矢継ぎ早に投げ掛けるが、彼の反応は至って沈着だ。
「暫くは付き合うつもりでいる。その様子だと、お前も食事を済ませているのだな」
「もちろん」と言わんばかりに、圭が大きく頷いていく。
「では、すぐに開始しよう」
ケイオスとの特訓は、昨日の宣言通りに実践的なものであった。実践形式は、翔平を呪紋によって形作った、あの日以来である。コントロールは「なかなか」と言わしめるだけあって、的に対する反応はより一層狂いが見られない。反撃に出られても、瞬時に防御態勢を取って躱せるだけの域に到達しつつある。たったの四日間だ。呪紋の更なる効果なのか、良い意味で適応能力に異常がきたしたのかも知れない。
彼が場を離れても、圭の自主的な訓練は続いた。今度は体力を身に付けるために、限界を超えて倒れない程度に身体を鍛え上げていく。こちらに置いては、四日間で身に染み込ませることは不可能である。日々の積み重ねが重要だ。
前回の報告を聞く限り、彼らの進展はほぼ見られないだろう。リュイール王国で開催される舞踏会を軸に、多少の時間を置いて赴かない限り、事態は動かないに違いない。一日長時間、塔に籠もってレベルを上げよう。そう考えていた彼の許に、予想だにしない人物が声を掛けてきた。
「河合圭。俺と……ファリアード王国へ来てくれ」
ラピュセだ。守護の塔に訪れて一週間、そして二週間が過ぎ去ったときである。
これまで圭が出向いた王国は数え切れない。サンデスト王国のように二日と行かず、一日に短時間、敢えて自分の容姿を知らしめるように各国へ足を踏み入れた。世界を見て回ると言う名目もあったが、翔平に自分を探させる為に他ならない。
彼に付き添うのは、パテイシャのような担当者はごく稀で、諜報に影響のないケイオスかイディアが殆どである。特にラピュセに至っては、ヴァッシュを通さない以外に接点は皆無だった。
「我々にとっての吉報で違いないか?」
訓練の場として定めた森の開けた空間で、ケイオスが圭よりも先手を打っていく。対する彼は常に事務的だ。
「火の鍵の在処が判明した。……守護者は岩窟にいる。頭は偏屈で岩のように固かった。女神イリアスでないなら通さないと言う」
だから、女神の同一的存在である圭を求めた。至極明白な理由である。
汗を拭いながら事情を理解して、圭は口を挟まず窺うようにケイオスを見た。
「随分と好機な時が来たものだ。ファリアードの王族は今、リュイール王国の舞踏会へ身を置いているのか?」
「全員じゃない。向かったのは一人。……ヴェント王子だけ」
何故と彼は問わなかった。答えを知っているからだ。
ファリアード王国は、サンデスト王国と隣り合っている。太陽に恵まれた土地と均衡を保てるのは、火山地域が相応しい。もしも、大地に恵まれたリュイール王国や水に恵まれたセントウォール王国があれば、争いは過激化していたのかも知れない。真逆の位置に王国があったからこそ、表面的な平穏は約束されていた。
本来、王国は馴れ合いを好まない。武器や防具、生活必需品を作る興業大国であるためか、職人気質が多く他者におべっかを使うことが苦手である。王族もまた然り。他国から舞踏会の招待状が送られても出向くのはごく稀である。彼らにとっては、踊りを楽しみ社交の場を広めるより、技術の向上やより精度の高い物作りに励んだ方が効率的で生産性が高い。
社交界に姿を見せず遠退いているものの、国も人も彼らを疎んじはしなかった。無論、身を守る術を提供してくれているからだ。全国に出回る彼らの作品は大半を占めている。
しかし、数少ない同盟国が相手となれば、義理を通さなければならない。国王は一族で社交性の高い者を選び、リュイール王国へ送り出したに違いない。
「ラピュセ。舞踏会は終わるが、まだ注意が向いている明日に圭を連れていくが良い。――鍵を確実に得るため、我も同行しよう」
組織の主導者が自ら赴く。つまり、何を置いても失敗してはならないと言うことだ。
ラピュセは珍しく緊張の表情を見せる。
「……ヴァッシュが居ればいいのに。……ヴァッシュとだったら頑張れるのに」
だが、ぶつぶつと呟く内容は執着の塊だった。執着は難しいようでいて、その実、何よりも扱いやすい感情だ。
「ふむ。そうだな……今回の件を滞りなく成功させたのならば、ヴァッシュとお前の行動を共にさせよう」
それは唯一の起爆剤である。
「頑張る。……一緒に居れるように頑張る」
迷惑を被るのは、これまでと同様に当事者のみで影響はない。彼の様子からして、ヴァッシュに危害を加える可能性もないだろう。
やる気が普段以上に漲ってきたのか、ラピュセは足取り軽く――いや、それ以上だった。鼻歌を歌い不器用なスキップをしながら、その場を去って行く。




