呪紋の覚醒51
先程よりは回復しているものの、圭の身体は未だ疲れを色濃く残していた。どうにか気力を振り絞り、真っ白な空間の広間へ足を踏み入れる。
しかし、呪紋の所持者たちの姿はなかった。思わず気が緩んでしまい、身体がふらついたところをケイオスが支えていく。
「お前はもう休んでいろ。身が持たなくなっても知らんぞ」
「はい……そうします」
強がったとしても迷惑をかけるだけだと判断し、圭は内心悔しく思いながら素直に応じることにした。反面、身体を燻っていた性的な欲求が静まったことに安堵もする。
ケイオスの部屋は空間に溶け込んでいるように見えるため、圭ひとりで位置を特定することは難しい。彼に案内される形で、再び横抱きにされながら運ばれていく。
室内に入りベッドへ辿り着くと、ゆっくりと下ろされた。だが、圭はそこで眠るつもりはない。
「ケイオスさん、毛布を借ります」
一言断りを入れて、彼は毛布を手にとってくるまり床で寝入りだした。
圭の行動に、ケイオスは何も言わない。静かに寝息を立てる様を見下ろして、小さく溜め息を吐き出すとその場から踵を返していく。
筋肉痛と言うのだろうか。圭は身体に痛みを感じながら目を覚ました。そして、ベッドで横になっていた自分に驚く。
起き上がってケイオスの姿を探せば、昨日と同様に椅子の背に凭れながら眠っていた。
(……またベッドを占領しちゃったんだ)
例えベッドを使う気がなくとも、いつの間にか移動されている。年下だからか、或いは彼らの求める呪紋を宿しているからか、どちらにせよ特別扱いをされている。
圭は嬉しいとは思わなかった。ベッドを譲ってくれたことに対して、申し訳ない思いの方が強い。
一晩使っていた毛布を念のためにはたいて、静かに眠る彼の許へ近付いていく。そっと毛布を掛けていくが、ケイオスが瞬時に目を覚ますことはなかった。
きっと、疲れが溜まっているのだろう。無論、他のこともあるだろうが、数日ベッドで横になれないこともまた、ひとつの要因に違いない。
表情の動かない寝顔を見詰めながら、圭は彼がベッドで寝られる方法はないかと思案する。
森の木々や葉を使ってベッドを作ってしまうのもいいが、運び込むのが大変だ。さらに言うと、一時的に身を置いているだけなので、部屋の空間を圧迫するのは躊躇われる。
(そうだ、呪紋の力で即席のベッドかハンモックみたいなのを作れないかな。それだったら、必要な時は出して、必要じゃない時は消せるかも)
それほど時間をかけずに答えへ辿り着いて、圭はケイオスからそっと離れていった。
そして、水浴びの準備に取り掛かろうとしたとき、ベッドの横に用意された荷物に気付く。
鞘に収められた短剣を重石の代わりにして、手紙と衣類や身体を拭くための布が一纏めに置かれていた。
手紙を手に取り目を通してみると、ケイオスらしき字で綴られている。
『昨日パテイシャに頼んでおいた、おまえの着る物だ。サイズが合っているかどうか知らんが、使え。ナイフは昔俺が使っていた物だが、おまえにやろう。手入れはしてある。もうひとつ、おまえが忘れていった布は回収しておいた』
無愛想な文面であるが、彼の気遣いが充分に窺えるものだ。
短剣を手にとって、圭は目覚める様子のないケイオスを振り返る。利害の一致で行動を共にしているだけの者に、命を奪いかねない刃物を贈ると言うことは、少なからず信用してくれているのだろうか。
(ケイオスさん、ありがとう)
様々な意味合いを込めて、圭は心の中で感謝の思いを告げた。やがて制服のポケットにあるハンカチと、荷物を全て胸に抱えて部屋を出ていく。
真っ白な空間に出て、まず彼がしたことは部屋の位置を確認することだ。ぐるりと周りを見回し、次に魔方陣の位置関係を計って、念のためにその場へマントを置いておく。慣れるまで時間を要するため、それくらいやらなければ迷う可能性があった。
万全に準備したあと、圭は広間を後にして塔の出入り口を目指していく。螺旋状の階段を幾つも下りていくが、彼が呪紋の所持者たちと会うことはなかった。
そうして一階に辿り着いたとき、こちらに歩み寄ってくるリークの姿に気付く。
「おはよう、圭君。随分と早いね。これから、水浴びに行くのかい?」
相変わらずな様子で、リークが先に声を掛けてきた。
「おはよう。リークも行くなら、一緒に行こうよ」
「残念だけれど、僕はこれからリュイール王国に向かうところなんだ」
そう言ったリークの格好は、旅人のような装いだ。腰の辺りで斜め掛けしたベルトに長剣を携えている。フード付の黒いマントは手に持っていた。
「そうなんだ。頑張ってとは言えないけど、気を付けてね」
見送るつもりでいる圭に頷くと、リークは最上階を目指して階段を上ろうと一歩を踏み出す。しかし、何かを思い出したのか、その場で足を止めて振り返った。
「そうだ、圭君。空いた時間でいいんだけれど、今度翔平君のことを聞かせてくれないかい?」
「翔ちゃんのことを?」
圭が不思議そうに小首を傾げれば、リークは微笑を浮かべて相槌を打つ。
「少し、彼に興味があってね。僕が突然こんなことを言い出すのは、おかしいかな?」
何かを探るように、圭はリークをじっと見詰めていく。
先の呪紋の力や戦いを学ぶときに、彼は圭が作り出した翔平を知っている。戦闘能力などは創造の紋章により実際の翔平とは異なるが、彼は確かに翔平との戦いを楽しんでいたように見えた。それが起因して、興味を示したのだろうか。
それとも――。
「もしかして、昨日翔ちゃんに会ったの?」
圭の鋭いとも言える指摘に、リークはくすりと笑んだ。
「会ってはいないけれど、偶然彼を見掛けたよ。城で保護されているものだと思っていたけれど、どうやらギルドのエージェントになったみたいだね。僕が見たときは、薬草取りの護衛か手伝いの依頼途中だったよ」
「そうなんだ。……翔ちゃんはギルドで働くことにしたんだ」
翔平らしいと、圭は笑みを浮かべる。
「彼は凄いね。見知らぬ世界へ飛び込んできたにも関わらず、戸惑いも躊躇いもなく生活しようとしている。君を捜し出すのは、時間が掛かるのだと踏んだのだろうね」
その時の光景を思い浮かべているのだろう。リークは翔平の物怖じしない姿に、何処か計り知れない表情を浮かべていった。
真意は掴めないが、彼の様子からして翔平に害を及ぼす可能性は少ないだろう。意図せず、圭は翔平の状況を知る術を得られた。
「分かったよ、翔ちゃんのことをいろいろ話すね。その代わり、今のように翔ちゃんのことを教えて」
「接触は出来ないけれど、それくらいなら構わないよ。リュイール王国に居る間は、彼を見掛けたら様子を見ておこう」
二人の交渉は揉めることもなく成立し、リークはゆったりとした足取りで階段を上がっていった。しばらく彼の背中を眺めて、圭は反対の方向へ向かう。
数度訪れているため迷うことなく川辺へ進み、大きな岩に荷物を置いていくとすぐに衣服を脱いでいく。全裸になったものの、以前のように誰が来るかも判らない。局部を隠すように、圭は着ていた服を腰に巻いた。次いで、ハンカチを手に川の少し深い部分へ身を浸かる。
(やっぱり、シャンプーとか石鹸が欲しいな。だけど、歯磨きと歯磨き粉と同じでなさそうだよね)
こういった面で、元居た世界との違いに不便さを感じずにはいられない。だからといって、圭にそれらを作り出せる知識はなかった。万が一あったとしても、材料がない若しくは高価だったりするのだろう。
せめてと思い、濡らしたハンカチで身体を綺麗に拭って、頭部は濡らした後に両手の指で髪や頭皮を揉んでいく。最後の仕上げは、全身を水の中へ潜り込ませた。
水浴びを済ませて、身体を拭い、新しい服に着替える。パテイシャの選んだサイズは、ぴったりであった。
圭が次にしたことは、衣類や使用した布の洗濯だ。洗濯機どころか桶も洗剤もないが、多少の汚れは落ちるだろう。おぼつかない手付きであるが、何処かで見た手洗いの方法を真似てみる。
洗い終わった衣類は水気を絞りはたいた後、木と木の枝を使い引っかける形で干していく。
(あ、木の枝を使って物干し竿やハンガーなんか作れそう)
不格好に干された洗濯物の光景を眺めて、圭は何とはなしに閃いた。便利な短剣も手に入れてすぐに実行へ移したいところだが、時間的な面もあり日を改めた方がいいだろう。
物作りにおいて、彼がまず優先すべきことは如何に即席のベッドかハンモックなる物を作るかだ。無論、創造の紋章を用いてである。サンデスト王国から戻ってきてからの課題となるが、呪紋の制御の一環にもなるため良い結果となるかも知れない。
食事の後に歯の汚れを落とすため、近くの木の枝を短剣で切り落とすと、圭は川辺を後にした。
洗濯物はそのままに元来た道を戻れば、顔を洗うためか、塔の出入り口から続々と呪紋の所持者たちが姿を見せ始める。顔を合わせる度に挨拶と共に食堂で待っていてくれと口々に言われ、ケイオスの部屋へ赴くつもりであったが、圭は食堂となる部屋へ向かうことにする。ケイオスが疲れているのならば、下手に起こさずに寝かせておいた方がいいのだと思い立ったからだ。
食堂にあてられた部屋で皆を待つと、保存食である食品や果物を手にぽつりぽつりと入ってきた。ケイオスとリークを除いた全員が揃えば、朝食の時間となる。
だが、時間は限られており、ゆったりと食事をすることは出来ない。交流となる会話もそこそこに、食べ終わった者は順々に席を立っていく。
最後に残されたのは、圭とパテイシャだ。行動を共にするからか、彼女は圭が食べ終えるのを待っている。
「圭くん、急がなくてもいいのよ。これからのために、しっかりと栄養を摂りなさい」
頬杖を突きながら、パテイシャは急かさずに笑顔で言った。
「でも……」
「いいの、いいの。そう言うことは気にしない。みんな、ああいう感じに慣れているだけよ。普段は塔に戻らないで、朝食も向こうなことが多いしね」




