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呪紋の覚醒49

 ケイオスの尤もな言葉に、圭は再び顔を俯かせて縮こまる。

 彼らは善意で接してきているわけではない。親切にしてくれているのは、圭が呪紋の所持者で創造の紋章が一団にとって鍵となる存在だからだ。

 ケイオスたちは圭に宿った呪紋を欲し、圭は翔平を在るべき世界へ戻すために共にいる。よって、単なる利害関係でしかなく、知人であっても友人の間柄では決してない。

 呪紋によって繋がりは儚く結ばれているが、個々の絆は出会って間もない故にないようなものである。

「だが、お前の心遣いは受け取っておこう」

 圭が羞恥心で沈黙に陥っていると、ケイオスの落ち着いた声が耳に届いた。

 驚きながらも顔を戻していけば、互いの視線がぶつかる。彼は視線を逸らさずに、ずっと圭を見ていたようだ。

「圭、気を急いて己を追い込むな。如何なる事柄も順序と言うものがある。始めが肝心だと、お前の世界では言わないか?」

「言います」

「お前が呪紋を手に入れさえすれば、望むことはすべて叶えられるはずだ。先ほど無謀だと言ったことも、あっさりと容易くなっているだろう。呪紋はお前にとって、己の身を守る術でもあることを忘れるな」

 先程と違い、今度は圭自身を心配しているような物言いだ。飴と鞭を使い分けているとまでは行かないだろうが、こういった部分を垣間見してしまうと、縋るものが何もない者にとっては勘違いしてしまうところである。

 思わず、圭は問い掛けたくなった。

「ケイオスさんは、どっちを心配しているんですか? ぼく、それとも呪紋?」

「――呪紋だ」

 ほぼ即答である。当然かつ分かり切っていたことだ。

 彼が呪紋を重視するならば、圭も交渉事で呪紋を切り札にすればいいだけのことである。

「呪紋の特訓に向かう前に、ひとつ取引をしませんか?」

 取引の内容は、言うまでもなくラーヴィアとのことだ。パテイシャがケイオスを壁だとみなしている以上、ただのお願いだけで通るわけがなく時間の無駄となってしまう。

 圭の発言に、ケイオスは何も言わず目で先を促す。

「もしも昨日より呪紋を上手く扱えたら、明日ぼくのする行動を許して下さい」

「何の行動を許せと言う?」

 冷静な態度を崩さないままで促され、圭は単刀直入にラーヴィアと約束したことを話し出した。そして約束に至った経緯を付け加え、パテイシャは危険だと止めてくれたが、それを押し切って交渉しているのだと伝えていく。

 ケイオスの様子に感情の揺らぎはない。何の反応も示さず、すべてを聞き終えても押し黙っている。

「ぼくの取引に応じてくれますか?」

 返事を催促しながら相手を注視していく。

「……いいだろう。取引に応じてやろう。無論、呪紋を上手く扱えたらな」

 唇の片端を吊り上げて意地悪く笑う様は、相手に対しての侮りから来るものだろうか。圭の中にある僅かな闘争心を刺激していく。

 ラーヴィアと先に約束した以上は後に引けず、言ってみれば崖っぷちに立たされた状況である。己を追い込むなと言われたが、今回は回避できる事態ではない。

「さて、これからどうする? 昼食をとるか特訓をすぐに始めるか。お前はどうしたい」

 話が一段落したとみなしたのだろう。ケイオスが話題を切り替えて、圭に昼食の主導権を渡していく。

 今の勢いで行くならば特訓を選ぶところだが、彼は真顔で敢えて別の方を選び取った。

「あなたと昼食をとります」

「構わんが、俺と食しても面白くも楽しくもなかっただろう」

 不可解だと眉根を寄せる彼に、圭は天使のようだと言われる笑みを向けていく。

「一度ご飯を一緒に食べたからって、そんなことは判りませんよ。時間がもったいないから、行きましょう」

「やはり、お前の考えていることは理解できん。――子守は苦手なんだが」

 ころりと態度が変わって馴れ馴れしくする様は如何にも子供のようで、ケイオスはぼそりとこぼしながら引き摺られるように広間を後にするしかない。片手はがっちりと圭の両手によって握られていた。


 食堂として使われる一室で昼食を取り、圭はケイオスを連れて塔から離れた場所にある木々の開けた空間に足を向ける。呪紋の特訓の場にあてられた部分だ。

 ここへ至るまで、二人の間にそれなりの会話は成立していた。言うまでもなく圭の方から会話を切り出すことが多く、ケイオスはそれらに応じている形となっている。内容はサンデスト王国の話題が割合を占め、言わば圭の主観による報告の場だ。ときおり互いを知ろうとする話もあったが、ケイオスについては拒絶の意味合いなのか無言を貫き通した。

 しかし呪紋の特訓が始まれば、彼の口数は驚くほどに多くなる。説明や助言に必要性を感じたため、事務的であるが自然と口に出しているのだろう。淡々とした雰囲気を纏いながらも、熱意の伴った態度を覗かせるときがしばしばある。

 圭の集中力は以前よりも増していた。今回も基礎的な力の制御から始まるが、昨日よりも円滑に呪紋の力を引き出すことが出来ている。常に癖を付けるように幾度も素早く、自分の中にある力を引き出し持続させ、呪文を呟くことで力を具現化させていく。彼の周りに浮かぶ魔方陣からは、人や魔物、動物をかたどるものは表れなかった。

 彼が意図的に思い描く形は、生命の樹を中心とした自然の全てだ。使い方次第で一つ一つが攻守・補助において万能であり、掛け合わせることでより強力な力を生み出せる。

 例えるならば、風と葉と火だ。風と葉であらゆるものを裂く刃が生まれ、火と風で竜の吐き出す炎の息となり、三つの要素を合わせれば炎を纏う鋭い矢となる。圭の選んだ闘いの手段は無限の可能性を秘めており、創造の紋章の所持者に相応しいと言えよう。

 完璧の域に程遠いが、彼は着実に呪紋の力を制御しだしている。このまま怠らず順調に励んでいけば、間違いなく一週間前後で相応に扱うことが出来るだろう。

 予想を上回る順応性に、ケイオスの鋭い目が僅かに見開かれた。

(話に聞いていたが、これほどとは思わなかった。リークの指摘どおり、難点は体力ともに実戦で対応しきれるか、か)

 ケイオスが見守る先で、息を弾ませる圭の姿が確かにある。どんなに呪紋の力に対する柔軟性を持っていようと、やはり身体の方が追い付けないでいるのだろう。

「そこまでだ。しばらく休むとしよう」

「……っ、は、い」

 額に汗を滲ませながら、返事とともに身体から全ての力を抜いていく。疲労は思いの外蓄積していたようで、圭はその場に座り込んでいった。

「近くに湧き水がある。喉が渇いているようなら汲んでくるが?」

「お願い、します」

 上下する肩はすぐに落ち着きそうになく、発する声も途切れ途切れでままならない。

「では、汲んでこよう。少し待っていろ」

 素っ気ない調子を崩さずに言い置くと、ケイオスは静かな足取りで緑が覆い茂る中へ消えていく。

(……気を遣ってくれたんだよね?)

 遠ざかる黒い背中を見送り、息を整えるために深呼吸を試みる。何度も繰り返していくと、漸く身体が落ち着きを取り戻していった。

 服の袖で額の汗を拭い、圭は膝を抱えながら前を見据える。真剣な眼差しだ。

(やっぱり、体力がもたない。呪紋のコントロールも大切だけど、少しでも持久力をつけないと駄目だ。毎回、休憩で時間を割くことになっちゃう)

 課題となる部分を改めて思い知り、今後のことを思案していく。

 とは言え、思い付くのは元の世界でもやっていたようなジョギング或いはランニングくらいだ。しかし、有酸素運動は続けなければ意味がなく、都合良く即座に体力がつくものではない。

(どうしよう。すぐに効果の出そうな運動なんて思い浮かばないよ。……でも、やらないよりはやってみた方が絶対いい)

 自分にそう言い聞かせて、圭はそれほど悩まずに問題の改善方法を選んだ。

(今日から毎晩、ここを使ってジョギングしよう。ここなら危険はあまりなさそうだから、きっと大丈夫だ)

 ゆっくりと地面から立ち上がって、特訓の再開に備えて身体を解していく。ほんの数十分の休息でも、集中力を持続させられるほどに疲れは取れていた。

 その時、茂みの中からケイオスが姿を見せる。手に持っているのは、つるつるとした大きな葉っぱで作られた自然の器だ。畳んだ部分が開いて水を溢してしまわないように、木の枝を細長く薄切りにし、先を鋭く尖らせて刺し綴っている。

「葉は綺麗にしてから組んだ。水が汚れていることはないだろう」

「有り難うございます」

 礼を述べてから、葉っぱの器を受け取っていく。そのまま口をつけていけば、冷たく何処か甘みのある液体が喉を通って体内へと流れていった。

「――美味しい。歯磨きのこともそうだけど、ケイオスさんは凄いですね。自然を使っていろいろ出来るなんて」

「環境や文化の違いだ。必要な物が手許になければ、間に合わせで作るしかない。そう言った生活に慣れている。それだけのことだ」

 異世界の皆がそうなのかケイオスがそうなのか判然としないが、つまりは凄くないと言いたいのだろう。

「でも、ぼくからしてみれば凄いと思います。今度いろいろと教えてくれませんか?」

 口許に笑みを浮かべながら、いつもの癖で小首を傾げていく。

 美少年の様になる仕種であるが、ケイオスは興味のない様子で見返すだけだ。

「構わんが、お前はまず体力作りが必要だ」

 痛いところを突かれて、圭は笑みを苦いものに変えるしかない。

「そのことは、自分でも気付いていました。だから、少しでも体力をつけようと、今日から毎晩ここで走ろうと思います」

「いい心構えだ。ここならば邪魔は入らないだろう。――話は戻るが、次にすべきことは実戦に対する免疫をつけることだ。明日からは俺を的にして、お前の力を撃ち込んでこい。だが、稀に反撃を仕掛ける。単なる的だからと言って、断じて油断はするな」

 何処までも的確な助言だ。しかし、ひとつだけ口にしていない箇所がある。

「あの、コントロールの方はどうでした?」

「なかなかだと言って置こう」

 短いながらもいい返事が貰えて、ほっと安堵の息を吐き出していく。

「安心するのはまだ早い。当然だが、粗削りな部分が多々ある。気を引き締めて、今後も精進することだ」

 やはり、彼は厳しい言葉を忘れない。一瞬だけ気を緩ませてしまったことを恥じて、圭は肝に銘じるように深く頷いた。

 そうして、二人は再び特訓に戻っていく。

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