呪紋の覚醒48
「あら、失礼しちゃう。実はどころか、わたしはいつもいい人よ。よーく覚えておきなさい」
腰に手をあてながら怒っているようで、パテイシャの目は明らかに笑っている。そのため、謝罪を口にしながらも圭の笑みは止むことがなかった。
彼の笑顔がきっかけとなったのか、漸く二人の間に和やかな雰囲気が生まれていく。
しかし、束の間に過ぎない。
パテイシャが空を仰ぎ見た。つられるように見上げれば、太陽の位置が正午の刻を告げようとしている。圭が塔へ戻らなければならない時間だ。
「もうちょっと話していたかったのに残念ね。でも、仕方ないか。明日もここを選ぶんでしょう?」
空から視線を戻して、彼女は確認の問いを投げ掛けた。
圭は緊張した面持ちで頷いて肯定する。
「明日、ラーヴィアさんと会う約束をしました。それで、あの、少し別行動を取ってもいいですか?」
遠慮がちでありながら、有無を言わせない響きのある言葉だ。パテイシャは悩むように眉根を僅かに寄せていった。
「悪いけれど、それはケイオス様次第ね。まずは、あの方に話を通さないと駄目よ。因みに、わたしは反対かな。まだ実感が湧かないでしょうけど、ここはあなたにとって危険な場所だってことを忘れないで」
勝手な行動を控えるよう彼女からやんわりと釘をさされ、圭は肝に銘ずるようにしっかりと頷く。そして素直に聞き入れた証に、とある案を持ち掛けていく。
「それじゃあ、ケイオスさんに確認して許してくれたら、パテイシャさんも同行する形でどうですか? でも、ラーヴィアさんの話を聞くときは、少し離れてくれると嬉しいです。凄く勝手でごめんなさい」
「まあ、それならよしとしましょうか。但し、万が一あなたの身に何か起こりそうだったら、話の途中でも遠慮なく介入させてもらうわ」
条件付きであるものの許しを得られ、圭の口から安堵の息が漏れた。硬い表情は解れていき、柔らかなものになっていく。
圭が感謝を口にすれば、パテイシャは何処か呆れたような表情を浮かべた。
「安心するのはまだ早いんじゃない? ケイオス様が残っているのよ」
「たぶん大丈夫だと思います。あの人は、ぼくに世界を見て回れと言いました。人から話を聞いていくのも、世界を知るための一つの手段です。パテイシャさんも、色々と聞いて回っているでしょう?」
「それはそうだけど……。圭くんの場合、あの方が許してくれるかどうか微妙なのよね」
「約束を破るわけに行かないので、無理そうでもお願いして絶対に何とかします」
彼の強い眼差しと発言に、彼女の目がすっと細められる。
「ふふふ、可愛い圭くんでもたまに男っぽくなるのね。いいこと知っちゃった」
またしてもからかうような彼女の調子に、圭は落ち込んだように肩を落としていった。
「……ぼく、真剣なんですけど」
「ごめんなさいね、つい微笑ましく思って。――さてと、そろそろ行きましょうか。本当に時間がなくなりそうだから」
「あ、はい」
先に歩き出したパテイシャを追って、圭は肩を並べるように歩調を合せていく。
すると、彼女は隣を確かめて、再び前を見据えていった。
「あのね、圭くん。一生懸命なのはいいけど、あまり気を張り詰めない方がいいんじゃない? 何事も適度が一番よ。気を抜くべき所は抜いて、やるべき所はちゃんとやる。途中で息切れしないようにするための、ひとつの賢いやり方よ」
足を進ませながら、圭はパテイシャにちらりと視線を向けた。
「はい、徐々にそうなれるように努力してみます」
彼女の言いたいことは、なんとなく圭にも分かっていた。先程のことだけでなく、すべての事柄に対して言っているのだろう。時間が経てば多少の余裕も出てくるだろうが、今の所どうにもならないことだ。
(パテイシャさんがぼくをからかうのは、気を緩ませるためでもあるのかな?)
心の中で思ってはみても、口に出すことはしない。例え訊いたとしても、彼女はきっとはぐらかしてしまうだろう。気を遣ってくれていることへの感謝の代わりは、一刻も早く異世界や組織の環境に慣れることである。
二人の歩みは止まることなく、主都ストールの門へと進んでいく。
目的地へ近付くたびに、圭の中でストールへ訪れた時の記憶が呼び起こされる。首都内へ入るために、貨幣を支払わなければならないという部分だ。
「あの、ここは一度出て戻る時も、お金を支払わないといけないんですか?」
疑問を口にすれば、すぐに「ええ、そうよ」と彼女の声が返ってきた。
「出たり入ったりするのは金銭的に大変だから、ここを訪れた人たちにとって長期間の滞在が常識となっているの」
「そうですか……」
相槌を打ちながら、パテイシャの様子を窺っていく。
恐らく、彼女は圭を魔方陣の場所まで送り届けるつもりでいるのだろう。また舞い戻らなければならないとなれば、必要以上に金銭を使わせることになる。
(ぼくの我が儘で余計なお金も使わせちゃったし、ここはひとりで戻った方が少しは浮くよね。ちょっと不安だけど、方角は大体把握しているし……きっと大丈夫だ)
大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて、圭は再び隣を歩く彼女に視線を向ける。
「パテイシャさん、ぼくを送るのはここまでで大丈夫です。ここで別れましょう」
唐突とも言える発言に、彼女の足がぴたりと止まった。彼と向き合うように、身体の方向を変えていく。
「どうして?」
圭も立ち止まり、真正面にやや怪訝な表情の彼女を捉えた。
「逃げるようなことはしません。ただ金銭面を考えると、ぼくだけで戻った方がいいんじゃないかと思ったんです」
「……なるほどね」
そう呟きながら、パテイシャは圭の表情をじっと見詰める。何か考え事をしているのか押し黙ったままだ。
何も言わず返答を待てば、彼女の口が動き出した。
「分かったわ。ただ心配なのは、あの場所まで辿り着けるかどうかね。万が一迷うようなことがあったら、試しにケイオス様のことを強く念じてみて。きっと、あなたを導いてくれる」
「分かりました。――それと、今日は塔の方へ戻りますか? 戻らないなら、待ち合わせ場所を決めないと」
「大丈夫よ。夜頃になると思うけど、暫くは毎日戻るわ。だから、出発の時は一緒ね」
「はい、明日もよろしくお願いします。それじゃあ、ぼくは行きます。今日は色々とありがとうございました」
深々と一礼すると、圭はフードを被り出す。白砂漠の中で肌を晒すのは、さすがに得策ではない。
「気を付けて帰るのよ」
ゆっくりと遠退く圭の華奢な背中に、パテイシャは声を掛けながら見送った。
何の問題もなく門を通過して、自分の記憶を頼りに魔方陣のある場所を目指していく。
しかし、何処を見ても周りは同じような景色だ。目印になるようなものはなく、一歩間違えれば白砂漠の中を彷徨うことになる。
圭が選んだ行動は、正に無謀と言えるものだ。それでも、返せる目処のないお金をなるべく使わせたくはなかった。
後ろを振り返り、白い砂に刻まれる自分の足跡を見る。今はくっきりと形を成しているが、風が吹けばやがて消えていくだろう。主都ストールの建物も砂の丘に隠れて見えなくなってきている。
再び前を見据え、砂を踏み締めながら歩みを進めていく。だが、足取りとは裏腹に心細さはどうしても拭えない。
(ケイオスさん、貴方の所へ戻りたいです)
まだ迷っているわけではないが、無意識の内にケイオスを呼び求めていた。
すると、何処かでケイオスの気配がし出す。きょろきょろと辺りを見回せば、自分の向かうべき先に彼らしき姿がぼんやりとあった。
圭に視線を向けたままで、彼は待っているかのように佇んでいる。
『――圭、こちらだ』
「ケイオスさん!」
砂に足を取られないように、その場を駆け出す。白砂漠の中ひとりで不安だったこともあり、表情は安心したものに満ちていた。
だが、不可思議なことに幾ら走ってもケイオスの許に近付くことが出来ない。二人の間は、常に一定の距離が保たれていた。
(幻覚? 幻影? 蜃気楼?)
どの現象が適切なのか判別できないが、圭は足を休めることはしない。彼の姿を一心に追い続けていく。
やがて、圭は歪みを知らせる魔方陣の所に辿り着いていた。同時に、ケイオスの気配や幻のような姿は掻き消えてしまう。
(……あれは、本当にケイオスさんだったのかな?)
疑問は尽きることがないが、ずっと立ち止まっているわけにも行かない。圭はケイオスが待っているだろう、魔方陣の向こう側へ一歩を踏み出していった。
途端に、眼前に広がる光景が塔内のものへと変わる。塔の最上階である真っ白な空間だ。大きな魔方陣の中央に、おぼろげとしたものではないケイオスの姿もあった。不機嫌そうな表情も相変わらずだ。
彼の許に駆け寄るなり、圭は嬉しそうな笑みを浮かべていく。
「案内してくれたの、ケイオスさんですよね? ありがとうございます」
「お前は無謀だ。何故、ひとりで戻ろうとした? 手間を掛けさせるな」
やはり、幻のような姿は彼であった。しかし開口一番に手厳しい言葉で迎えられ、圭の表情は瞬時にして固まる。しょんぼりと項垂れて、謝罪を口にするしかなかった。
「謝罪は必要ない。俺は理由を訊いている」
「それは……返せるお金を持っていないから、なるべくお金を使わせたくなかったんです。服も食べ物も貰ってばかりで、今のぼくに返せるものは何もない。だから、せめてと思ったんですけど、やっぱり無謀でしたね」
顔を俯かせたままで、圭はひっそりと苦笑いを浮かべる。
「そのことなら、気にすることはない。お前をこちらに呼び寄せた我々の義務だ。至れり尽くせりとは行かないがな」
「でも、ぼくはそれが嫌なんだ。気が引けちゃうし――翔ちゃんの受け売りだけど、自分に出来ることなら自分で何とかしたい」
先程の笑みは消え失せ、今度は真剣な表情でケイオスを見上げた。対する彼は、圭の眼差しを真正面に受け止めていく。
「圭、目的を違えるな。我らの望みは、お前が創造の紋章を己のものにすることだ。第一の努めはそれに尽きる」
「……はい」




