呪紋の覚醒45
螺旋状の階段を駆け上がり、守護の塔の最上階へ辿り着くと、圭は大きな扉の前で足を止める。目を瞑って息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。
圭の行動は緊張を解すものではなく、逸る心を落ち着かせるものだ。深呼吸を何度も繰り返して、圭は漸く両開きの扉に手をかけた。
すると、扉は圭が開くよりも先に内側から開いていく。彼を出迎えたのは、イディアだ。
「圭、こちらへ」
彼女に促されるままに中へ入れば、昨日と同じような光景が目に飛び込む。
圭の位置からケイオスの表情を窺えないが、彼を前にして立ち並ぶ呪紋の所持者たちの面持ちは恐いくらいに真剣だ。食事時のものとは、全く異なる眼差しである。
「さあ、パテイシャの所へお行きなさい。これから、各々の王国へ向かいます」
普段の彼女と違う事務的な言葉に、圭は表情を引き締めると広間の中へと歩みを進めた。
イディアの指示通りに、呪紋の所持者たちに混じりパテイシャの隣に身を置く。
「――来たか」
パテイシャの横に立つ圭を見届け、ケイオスはぼそりと口を開いた。次いで、呪紋の所持者たちの表情を見回す。
「これから、空間に歪みを作る。皆の者、準備は良いな」
ケイオスの確認に、彼らは言葉もなく頷いた。その様を眺めて、彼はパテイシャへと視線を向ける。
「パテイシャ、昼時には必ず圭を帰らせるのだ。……行動を共にする以上は、我らの創造の紋章を危険に晒すな」
「はい、重々承知しております」
表情を緩めず彼女が頷けば、彼の視線は圭の方に流れていく。
「圭。我らと行動を共にしている以上、勝手な真似はするな。お前の行動次第で、他の者たちの責任が問われることになる」
脅しのような釘を刺され、圭は表情を引き締めたままで無言に深く頷いた。
ふいに、ケイオスがその場に片膝を突く。真っ白い床に広がる魔方陣に片手で触れ、おもむろに目蓋を閉じた。次いで僅かに彼の口が開かれ、呪文を唱える声が微かに流れ出す。
暫くすると、彼の低い声に呼応するように、魔方陣が闇色の光を放ち点滅し出した。それと共に、彼らの周りの空間が捩れたように歪み始める。やがて空間の捩れる現象が治まり、代わりに巨大な魔方陣を囲むようにして人の頭ほどの大きさの魔方陣が二十二も浮かび上がった。
呪文を呟く声が止み、辺りがしんと静まり返ってゆく。その中でゆっくりと立ち上がるケイオスの表情は、何処か疲れているように見える。額からは、幾つもの汗が薄っすらと滲み出ていた。
ふっと身体の力を抜くように息を吐き出し、ケイオスが再び圭に視線をやる。
「――圭、今我が創り出した魔方陣についての作用を知りたいか?」
空間に作られた歪みを初めて使う圭に対して、ケイオスが問いを投げかけた。
「お願いします」
「いいだろう。但し、一度しか説明する気はない。良く聞いておくことだ。解らなければ、後は他の者に訊け」
彼に冷たく言われ、圭は挑むように頷く。
そんな圭から視線を外さずに、ケイオスは説明をするべく口を開いた。
空間に浮かんでいる二十二の魔方陣は、歪みの位置を特定する目印であり守護の塔と目的地を繋げる扉でもある。魔方陣は一つひとつ各王国に通じ固定されており、それぞれの位置によって向かう場所が異なっている。
そして、魔方陣は守護の塔から通った者にしか反応を示さない。故に、無関係の者に魔方陣の存在は認識されることもなく、万が一魔方陣を通る者が居たとしても素通りするだけで守護の塔へ行くことは不可能だ。だが、ただひとつ例外があり、塔から通った者が無関係の者を伴った場合、魔方陣は反応を示し守護の塔へ訪れることが可能となる。
ケイオスの説明を聞き終わり、圭は理解したことを示すように頷いた。しかし、その表情は明らかに考え事をしている様子だ。
(この魔方陣は、ぼくがリュイール王国へ出た時に現れたものと一緒なのかな? ――そういえば、どうしてぼくたちの召喚された場所が守護の塔じゃなくて)
「考え事ならば後にしろ」
思考の底へ沈みかけた時、ケイオスのひんやりとした声が耳に飛び込み、圭ははっと我に返った。
「あっ、ごめんなさい」
圭が慌てたように謝罪を口にするが、彼は眉間に皺を寄せたのみで何も言わない。そして、圭から視線を外していった。
「皆の者、良い知らせを期待している」
呪紋の所持者たちにそれだけを言い置くと、ケイオスはその場から踵を返していく。どうやら、彼らを見送る気はないようだ。
(どうしよう……ケイオスさん、怒っちゃったのかな?)
目の前から遠ざかり自室へ消えてゆく彼の背中を、圭は不安げな眼差しで見詰める。その肩を、ふいに誰かが軽く叩いた。
視線をそちらへ向ければ、今回行動を共にするパテイシャが妖艶な笑みを浮かべている。
「さあ、圭くん。みんなが各王国へ向かい始めたわ。ぼんやりしていないで、サンデスト王国へ行くわよ。準備はいい?」
彼女の科白に周りを窺えば、その場に居た誰もが各王国へ通じるそれぞれの魔方陣へ歩き出していた。
「はい。パテイシャさん、今日はよろしくお願いします」
パテイシャに向き直り、圭はそう言ってお辞儀をしてゆく。すると、「こちらこそ」と彼女も頭を下げ、その拍子にフード付のマントから豊満な胸の谷間が覗く。昨日に続き、彼女の服装は露出度が高い。
圭は頬を赤らめつつも目のやり場に困り、彼女からさり気なく目線をずらした。
くすりと、パテイシャが笑んだ。そして、フードを深めに被って美貌を隠していく。
「圭くん、わたしについて来て」
フードに遮られることのない艶やかな赤を帯びた形の良い唇が、圭を進むべき場所へ誘おうとしている。圭が従うように頷けば、彼女は二十二の中のひとつの魔方陣へ向かって歩き出した。
そのまま立ち止まることなく、パテイシャが目的の魔方陣に接触する。途端に、彼女の姿は空間へとけ込んだように消えていってしまう。広間にひとり残された圭は、その後を追おうと彼女が消えてしまった魔方陣へ歩み寄った。
ギラギラと二つの太陽が照りつける下で、時には小さな山脈や山、砂紋を幾つも形作りながら真っ白な砂の海が際限りなく広がっている。時折砂を運ぶように熱風が吹き抜ける中、周りを見回したところで白い砂漠しか目に映らない。
(……暑い)
じんわりと滲み出す額の汗を拭い、圭は強烈な日の光を遮るようにフードを被っていく。だが、マントが黒色な為に暑さを凌ぎ切ることは出来なかった。
「少し我慢してね。砂丘に隠れて見えないけど、この先にサンデスト王国の主都ストールがあるから」
そう声をかけてきたパテイシャは、同様のマントを身につけているにも関わらず涼やかだ。あまりの暑さに声を上げる気力もなく、圭は無言で彼女の言葉に相槌を打つしかない。
パテイシャが案内をするように先頭を歩き出す。彼女に黙々とついて行きながら、圭は砂に足を取られないよう注意しつつ、再び周りに視線を走らせた。
砂漠であるが故なのか、圭たちの他に行き交う人の光景は見られない。植物も動物たちの姿も全く見当たらず、やはり目に痛いほどに煌く白い砂ばかりがそこにある。
しかし、主都ストールが目と鼻の先になれば、先程までの殺風景な情景が一変した。
主都ストールは、砂漠の中のオアシスと呼ぶに相応しい場所だ。そこだけが砂漠から切り取られたように、青々とした緑が広がっている。密集した緑の存在から、どうやら砂漠の地で貴重とされる水が豊富にあるようだ。
最奥に水の湧き出る大きな泉があり、泉を独り占めするかのように城がどっしりと構えられ、城に対してコを描くように国民の住居などが建ち並んでいる。それらの全てを囲い護るように、巨大な塀は聳え立っていた。
「……すごい」
大地の枯れてしまった地で繁栄し続ける王国の首都を砂丘から見下ろして、圭は呟きと共に感嘆の息を吐き出す。
ストールへ向けて足を進める度に、先程まで姿を見せていなかった旅人や冒険者たちがちらほらと別の方角から現れた。恐らく、彼らは別の道筋からやって来たのだろう。歪みを利用してやって来た圭たちとは違い、徒歩などで訪れる彼らは安全な道を熟知しているはずだ。
旅人や冒険者たちに混じって門まで進み、圭たちはそこで足止めを喰うことになる。
門の前に、二人の門番が待ち構えていた。彼らの前では小さな行列が出来ており、圭たちは行列の最後尾に並んでいく。そして、後ろから門番と列に並ぶ者の様子を窺えば、彼らは金銭のやり取りをしていた。
圭が首を傾げていると、前に並んでいたパテイシャが振り返ってくる。
「王族の住んでいるストールは誰でも自由に出入りを許されているけど、それにはお金が必要になるのよ。王国は娯楽施設で持っているようなものだから、お金を持っていない者は入るなってことね」
微苦笑を浮かべて説明を寄越す彼女に、圭は自分がお金を持っていないことを思い出す。
「あの、ごめんなさい。ぼく、お金を持っていません」
圭がすまなそうな声音で正直に告げば、パテイシャは色っぽい仕種で首を左右に振った。
「大丈夫よ、あなたの分のお金はちゃんと用意してあるの。――と言っても、用意したのはケイオス様だけど」
「ケイオスさんが?」
「そう、ケイオス様が。あなた、イディアのお金を断ったんですって?」
パテイシャにそう言われ、圭は今にして漸くイディアがお金を渡そうとしていた真意を知る。弟のようだから何かしてあげたいと言う気持ちもあっただろうが、今の事態を予想し心配してのことだったに違いない。
「……イディアにもケイオスさんにも迷惑をかけちゃったな」
独り言のように小声を漏らし、圭は溜め息を吐き出しながら肩を落とした。
(お金がなくても充分と思ったけど、やっぱり必要に迫られる時もあるよね。でも、どうやってお金を作ればいいんだろう? 今回のお金もちゃんとケイオスさんに返さなきゃ)
異世界の銭貨について悩んでいると、圭は唐突に誰かに手を引っ張られる。驚いたように顔を上げれば、パテイシャがにっこりと笑む。圭の手を引いたのは、彼女の細い手だ。
「圭くん、列が動いたわ。さあ、前へ進みましょう?」
彼女はそう言って、圭の手を引っ張りながら流れる列の波に従い前へ進んでいく。
前を歩く彼女の華奢な背中を見、繋がれた手に目をやり、圭はフードの下で恥かしさに頬を赤らめた。その恥かしさは彼女の行動にではなく、自分自身に対するものである。




