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呪紋の覚醒43

 深い眠りから意識を浮上させ、圭はゆっくりと目蓋を開けてゆく。次いでベッドから上半身を起き上がらせ、静寂に包まれた室内を見回した。

 昨夜と同じ位置にケイオスの姿がある。だが寝入っているのか、その双眸は閉ざされたままだ。椅子の背凭れに寄りかかり、胸の前に腕を組んで微動だにしない。

(ケイオスさん……本当にあそこで寝ちゃったんだ)

 昨日の疑問の答えを目の前に、圭はベッドから静かに降りていった。そして毛布を手にすると、足音を立てないように彼の許へゆっくりと近づいて行く。

 俯き加減なケイオスの寝顔を窺う。寝息を立てることさえない彼の身体に、そっと毛布をかけてやる。その時、圭の心臓が一瞬だけ高く跳ね上がった。

 ケイオスの手が圭の手首を掴んでいる。

「何をしている?」

 不機嫌な低い声音と共に、ケイオスの双眸がゆっくりと開いた。彼の雰囲気に気圧されて、圭は反射的に身を引く。だが、片腕を捕らわれている為に離れることは叶わなかった。

「何をしている、と訊いている」

 顔を上げながら再度問われ、圭は灰色の瞳を見返してゆく。

「あなたに毛布をかけていたんだ」

「何故、そんなことをする?」

「ベッドを占領しちゃったから……せめて起きるまではと思って」

「――気遣いは無用だ」

 圭の科白に、素っ気なく返すとケイオスは彼から手を離していった。かけられた毛布を手に椅子から立ち上がり、圭から離れて行く。そんな彼の姿を、圭はその場に立ち尽くしたまま様子を窺うように目で追っていった。

 ケイオスが毛布をベッドに放る。新しい着替え類を手にすると、何も言わず部屋を出て行ってしまう。

「圭、もう起きてる?」

 入れ違いのように、彼が出て行った扉の向こうからイディアの声が飛んできた。圭はすぐに扉へ向かい、躊躇いもなく開けていく。

「おはよう、イディア」

 圭が笑みと共に挨拶をすれば、彼女は答えるように微笑を浮かべる。その胸元には、黒いフード付きのマントと清潔な布が抱えられていた。

「おはよう、圭。昨夜はゆっくりと眠れたかしら?」

「うん、よく眠れたよ」

「それは良かったわ。――はい、これが貴方のマントよ。それと、顔を洗ったらこの布で顔を拭いてね」

 そう説明をしながら、イディアは彼に抱えていたものを手渡す。次いで、懐に手を伸ばすと小さな布袋を取り出した。

「この袋の中に入っているのは、この世界の銭貨ね。ほんの少ししかなくて申し訳ないけど、各大国を回るついでに好きな服を買ってくるといいわ」

 そんな彼女に、圭は微笑を浮かべながら緩く首を左右に振る。

「ぼくはこの服さえあれば充分だよ。だから、気にしないで」

「でも、その一着じゃあ大変じゃない?」

「そんなことないよ。向こうの服もあるし、使い分けながら毎日洗濯すれば足りるよ」

「でも……」

 尚も食い下がるイディアを、圭が今度は強い眼差しで制した。

「イディア、それはあなたのお金でしょ? 食べ物も食べさせてもらっているのに、これ以上は甘えられないよ。あなたの気持ちだけ受け取っておくね。――ありがとう」

 そうして、彼は感謝の意を表すかのように嬉しそうな笑みを浮かべる。

 圭の態度に、イディアが気を悪くする素振りは見られない。彼女は彼の意思を尊重するように頷き、小さな布袋を懐の中へと戻していった。そして、圭に向かって変わらない笑みを浮かべる。

「それじゃあ、顔を洗ってご飯を食べに行きましょう。みんなが朝食の準備を始めている頃よ」

 イディアの言葉に、圭も変わらない笑みで頷く。しかし、何かを思い出したのか、焦りの滲む小さな声を上げた。

「どうかしたの、圭?」

「ううん、何でもない。イディアは先に行っててよ。顔を洗ったら、すぐに行くから」

「ええ、分かったわ」

 圭の促しに小首を傾げたものの、彼女はそう言うとその場から踵を返してゆく。彼女の背中を見送りながら、圭はほっと安堵の息を吐き出した。

(……良かった。イディアをあそこへ行かせられないよね。だって今、ケイオスさんが水浴びをしているはずだもん)

 そういう理由があり、イディアとの会話から彼女が心配して付いて来そうなことを察して、圭は彼女を先へ行くように促したのだ。それはイディアを思ってのことなのか、それともケイオスを思ってのことなかのか。恐らくは両者だろう。

 圭はイディアから渡されたものを手にして、ケイオスが居るであろう水辺へ向かうべく部屋を出て行った。


 水の流れる場所へ向かう途中、圭は生命の樹の前でふいに立ち止まる。巨大な樹を見上げ、以前に見せられたその記憶を思い返してゆく。

「ねぇ、あなたはこの世界を変えてしまった神様を怨んでいるの?」

 ふと、そんな問いが口を突いて出た。しかし、ただ風が枝や葉を鳴らすばかりで答えが返ってくる筈もない。

「あなたは凄いね。どんなに世界が変わっても、この世界の為に命を生んで育んでる。立ち向かうよりも、あなたは受け入れることを選んだのかな?」

 静かに生命の樹へ語りかけ、圭はさらに近づいて手の平で幹に触れていった。まるでゆっくりと息づく、その鼓動を聴いているかのような仕種だ。

「……ごめんなさい。ぼくはもう創らないと誓ったのに、あなたに似た形を創って闘わせてる。何も話せないけど、あなただって生きているのに……本当にごめんなさい」

 生命の樹の幹を撫でるように触れながら、彼は自分の行いを謝罪した。それは自己満足の行為でしかなく、だが許しを請うことはしなかった。彼は生命の樹に似たものを、これからも形創ってしまうことを確信している。

 一頻りに生命の樹に触れ、圭は本来の目的の場所へ踵を返して行く。彼が立ち去った後、生命の樹は涙を流すかのように小さな命の芽を幾つも降り注がせた。

 生命の樹から暫く歩みを進めると、水の流れる音が圭の耳に届く。さらに前進して行けば、森の中を流れる川が目に飛び込んでくる。その中に、こちらに背を向けているケイオスの姿があった。やはり川で水浴びをしていたのか、その引き締まった裸体を隠すものは何もない。背中にはⅩⅢの数字にメビウスの輪が絡まる〝混沌〟の紋章の証が存在を主張していた。

「ケイオスさん、お邪魔するね」

 聞こえるはずもないが、彼の背中に一声を掛けると、圭はその空間へ踏み込んだ。砂利を踏みしめる音が聞こえたのか、ケイオスは顔だけを振り向かせ、眉間に皺を寄せて嫌そうな表情を見せる。だが、言うことは何もないのか、すぐに圭から視線を外してしまう。

 ケイオスのあからさまな態度に、圭は首を傾げるしかない。

「どうして、嫌そうにするの?」

 不思議そうに問いを投げかけながら、彼の許へゆっくりと足を運ばせる。

「俺がここに居ることは知っていただろう。今後は、時期を見計らってからこちらへ向かうべきだ」

 圭に背中を向けたままで、ケイオスは問いの答えとは違うことを口にした。

「それって、裸を見られるのが恥ずかしいってこと? だったら、お互い様だよ。だって、ケイオスさんもぼくの裸を見たでしょ?」

「何故、恥ずかしいと言う思考に走る?」

「え、違うの?」

「男同士で恥ずかしいもないと思うのだが。俺はただ、ひとりで居たいだけだ。この場は精神を集中することに適した場所だ」

 彼の話を耳にしながら、圭は彼よりも川上の方を選び、その場に身を屈ませた。ケイオスは川の奥へ入っている為に、圭が彼の表情を窺うことは出来ない。とは言え、お互いに声が聞こえる距離ではある。

 手早く洗顔を済ませ、圭はふとあることに気づく。

(そういえば、歯磨きってこの世界にないのかな? 歯磨きをしないと、なんか変な感じがする)

 そう思いながら、彼は川の水を両手で掬うと口に含んだ。水を口の中で転がし、口内を綺麗にしていく。気の済むまでそれを行い、砂利の地面に吐き出した。ケイオスが川の中へ入っていることもあり、圭は水をそこへ吐き捨てる気にはなれなかった。

 イディアから渡された綺麗な布で濡れた顔を拭い、圭はケイオスの背中を窺うように見詰めていく。

「ケイオスさん、この世界に歯を磨く習慣はあるの? ぼくの世界では歯ブラシと歯磨き粉を使うんだけど」

「歯ブラシと歯磨き粉? 何だ、それは」

 聞き慣れない言葉に、終始背中を向けていたケイオスが訝しげな表情で圭を振り返る。

「歯を磨きたいのなら、細い木の枝を使え」

「細い木の枝?」

 思いも寄らない彼の言葉に、圭は驚き眼で鸚鵡返す。

「そうだ。木の枝の皮をナイフで剥き、裸になった枝の先端を歯で軟らかくなるまで噛み潰すんだ。そして、軟らかくなった木の枝部分で歯を磨いて汚れを落としていく」

「……痛くないの?」

「試してみたらどうだ?」

 圭に歯磨きの試みを勧めながら、ケイオスは川から上がっていく。裸とは言え、いつの間にか腰にはしっかりと布を巻きつけてあった。

「うん。ご飯を食べ終わった後に試してみるね。教えてくれてありがとう」

 ケイオスの姿を目で追いながら、圭はそう返事を返してゆく。次いで、彼を追いかけるようにその場を立ち上がった。それに対して、ケイオスは手早く身支度を済ませると、短剣を取り出してゆく。何をするかと思えば、近くの木の枝を切り落とし、丁度近くに寄ってきた圭に投げて寄越した。圭は慌てて飛んできた木の枝を受け止める。

「朝食の後に歯を磨きに行く時間はない。皆、すぐにここを立つことになっている」

 彼の言葉に、圭は木の枝を握り締めながら頷いた。つまりは、塔の最上階へ向かう間にこの枝で試せと言うことなのだろう。

「あ、そうだ。ケイオスさんも一緒にご飯を食べようよ」

「何……?」

 圭の唐突な提案に、ケイオスの眉間に皺が寄っていく。

「どうして、ひとりでご飯を食べちゃうの? みんなで食べる方がおいしいよ。ね、一緒に食べよう?」

「……断る。お前と会話はするが、だからと言って馴れ合う気はない」

 ケイオスの冷たい拒絶に、今度は圭の眉間に皺が寄っていった。

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